塩田千春の作品から他者との「つながり」を考える。圧巻のインスタレーションに注目
2024年10月3日
サムライ Meets ペリー With 黒船/横浜市歴史博物館
作者不詳《黒船来航図巻 使節ペルリ真写》1854年以降 横浜市歴史博物館所蔵
米艦隊が2度目に来航した際のようすを描いた絵巻中にある、ペリーの肖像画
ペリー横浜上陸170年を記念した企画展「サムライ Meets ペリー With 黒船-海を守った武士たち-」が横浜市歴史博物館で9月1日まで開催中です。
ペリーが上陸した横浜市域の警備に当たった4つの藩、武州金沢藩(神奈川県横浜市)・鳥取藩(鳥取県)・小倉藩(福岡県)・松代藩(長野県)の武士が記した日記や家族に宛てた手紙を紹介する本展。
黒船来航を間近で目撃した人びとのリアルな息づかいを感じるユニークな企画展です。
前日に行われた内覧会をレポートします。
ハイネ《ペリー提督・横浜上陸の図》1855年 横浜開港資料館所蔵
現在はパネルが展示されているが、8月3日~8月18日の期間は実物が展示される予定
本展はプロローグ、第1章~第4章、エピローグの6コーナーで構成されています。
メインとなるのは、横浜の警護に当たった4人の侍の日記です。記録を意識していたのか、非常に緻密で詳細に書かれた資料が多く、藩士たちの能力の高さがうかがえます。
その日の出来事を急いで書いて家族に郵送した人もいて、藩士たちの記録が全国にニュースを広める情報源だったことが分かります。
萩原家文書《覚書帳① 正月23日条》横浜市歴史博物館所蔵
《覚書帳① 正月23日条》(写真上)の日記を小説風に解説したパネル
武蔵金沢(金沢八景)を警護した、武州金沢藩の萩原唯右衛門が書いた日記です。
アメリカ人5人と遭遇し、彼らが船に戻るまで付き添ったと記されています。
喉が渇いた船員に近くの井戸を教え、言葉が通じずに苦労しつつ、自ら一口飲んでみせるなどして丁寧に応接しているようすを伝えています。
警護に当たった藩士たちは、幕府から武力衝突を避けながらアメリカ人の上陸を阻止するよう通達されていました。
もし、この人がトラブルを起こしていたら、歴史が変わっていたかもしれませんね。穏便かつ隙のないご対応、お見事でござった。
入り口のスクリーンでも資料を上映。長い絵巻物などが広げた状態で見られる
桐原鳳卿《横浜日記二(横浜応接所)》年代不詳 横浜市歴史博物館所蔵
応接所の警備のようす。各藩の軍旗が立ち、人員の配置などが分かる
小倉藩(福岡)は、日米会談が実施された応接所周辺を警備しました。随行した医師、桐原鳳卿は「横浜日記」(写真上)と題する日記を2冊記しています。
2冊目は絵日記になっていて、一目で分かりやすく記録されています。
米国側の随行医と握手を交わし、手を握ってあいさつすることに戸惑ったエピソードなどはリアルで興味深いです。
桐原鳳卿《横浜日記二(アメリカ人のサイン)》年代不詳 横浜市歴史博物館所蔵
米兵の似顔絵に英語のサインが入っている。写し取ったのかもしれないとのこと
《佐久間象山肖像(パネル)》国立国会図書館デジタルコレクション
松代藩の軍議役、佐久間象山の肖像。家族に宛てた手紙で「ペリーが自分に会釈をした。周囲にすごいと言われたが、騒ぐほどのことではない」と、まんざらでもないようすを見せている
松代藩(長野県)も、会談の会場となった応接所周辺を警備しました。
2月7日に400名ほどで横浜村に入り、村内の民家などに分宿したそうです。
佐久間象山《家族に宛てた手紙》1854年 横浜市歴史博物館所蔵
佐久間象山は、日記ではなく家族に手紙を書きました。
会談当日の2月10日は正午に上陸が行われ、米国国旗を立てたボート約50艘が着岸、1000人ほどのアメリカ人が隊列を組んで上陸した(正式な資料によると、実際に上陸したのは500名)。
黒船から20~30発の祝砲が放たれたと書き送っています。
作者不詳《プレガット蒸気船ポウハタン》1854年 横浜市中央図書館所蔵 プロローグより
3月13日には軍艦が沖合に走り出し、見物人たちは大いに喜んだそうです。
武士たちも、お世話になった村人に別れを告げて退陣します。別れを惜しむ記述もあり、人情味のある人柄には好感が持てました。
常設展入り口風景
同時開催で企画展「絵本 朝鮮通信使」原画展が7月13日~9月1日まで開催中です。
こちらは、ペリー来航前の国際交流についての展示です。江戸時代に交流のあった、朝鮮半島の使節団の話を描いた絵本の原画が展示されています。
展示風景より
最大時には9隻もの艦隊で来航した割には、ペリー提督は初めから武力を行使しない方針だったそうです。
幕府も、穏便な態度で米国人に接するよう藩士たちに指示する一方で、交渉が決裂した場合に備えて攻撃の準備もさせています。
上層部の緊迫した駆け引きとは裏腹に、現場の侍と米国人は穏やかに交流していたようすも描かれていて、初動がうまくいっていたことがうかがえます。
時代の大きな転換期に最前線で働いた人びとが、良識と理性をもって対応してくれたことに感謝しなければいけないと思いました。
詳細に残された藩士たちの言葉は、突然の変化に私たちがどう振る舞うべきかを教えてくれます。