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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
田中一村展/東京都美術館
日本画家・田中一村(たなかいっそん)の画業を振り返る大回顧展「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が、東京都美術館にて12月1日まで開催中です。
本展は、代表作をはじめ、近年発見された資料や、初公開の作品を含む、300点を超える作品が一堂に会する、過去最大規模の展覧会となります。
展覧会は3章構成で、一村の人生と芸術の軌跡をたどります。
第1章では、幼少期から20代までの作品が展示されています。
幼い頃から絵の才能を発揮した一村は、18歳で東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学しますが、2ヶ月ほどで退学。
その後は、「米邨(べいそん)」の画号(*1)で、当時人気のあった、中国近代文人画風の南画(*2)を描く若手画家として、独自の道を歩み始めます。
(*1)画号:絵を描くときに用いる名前のこと
(*2)南画:江戸時代中期以降に流行した、中国絵画の影響を受けた絵画様式
若き南画家として活躍していたこの時期の作品は、今なお新たに発見が続いており、 本展でも初公開の作品が多く紹介されています。
昭和初期(20代半ば)は、ほとんど作品を制作していない「空白期」とされていました。
しかし、近年《椿図屏風》などの力作が発見され、一村がこの時期も創作活動を続け、新しい画風を追求し続けていたことが明らかになりました。
画面いっぱいに椿の花と葉が描かれた右隻と、金無地の左隻との対比が印象的なこの屏風は、一村の画風の転換点を示す重要な作品です。
第2章では、30歳で移り住んだ千葉での約20年間の作品が紹介されています。
この時期の一村は、農作業や内職をしながら制作を続け、花鳥画、仏画、障壁画など、多彩な仕事を手がけています。
昭和22年(1947)、一村は《白い花》で川端龍子主宰の青龍展に初入選します。
画号を「柳一村」と改め、新たな決意で臨んだこの作品は、生涯で唯一の公募展入選作となりました。
展示では、《白い花》をはじめ、日本画の伝統を踏まえつつ、明るい色彩と装飾性豊かな表現で描かれた作品が並び、花鳥画家としての一村の魅力を伝えてくれます。
千葉時代の一村は、屋敷の襖絵や天井画などの大きな仕事を依頼されることもありました。
会場では、襖絵の大作が実際の部屋の空間を再現するような形で展示されています。
一村は、昭和30年(1955)、九州、四国、紀州を巡る旅に出ました。
支援者への旅みやげとして贈られた色紙では、自然や風物をこれまでにないスタイルで描き、旅先での開放感や転機も感じられる魅力的なシリーズとなっています。
千葉時代は、一村が日本画の新しい表現を模索した時期でした。
しかし、公募展への応募を試みるものの落選が続き、画壇で評価されることはありませんでした。
50歳を迎えた一村は、昭和33年(1958)12月、新たな可能性を求めて、当時日本最南端の奄美大島へと向かいます。
この決断は、一村の人生の大きな転機となりました。
50歳で奄美大島に移住した一村は、染色工として働きながら制作費を蓄えて、絵画に専念する生活を送ります。
第3章は、50歳で奄美大島に移住してからの作品が並びます。
会場では、鮮やかな色彩の植物や、生き生きとした鳥たち、深い緑に包まれた風景など、南国の自然の豊かさが伝わってくるような、色彩豊かな作品に出会えます。
奄美での交流を伝える色紙絵や、未完の大作なども展示されています。
展示の最後を飾るのは、奄美時代の代表作《アダンの海辺》と《不喰芋と蘇鐵(くわずいもとそてつ)》。
この2点が、そろって展示されるのは14年ぶりです。
《アダンの海辺》では、白い砂浜と青い海、アダンの木が織りなす奄美の美しい自然が、生き生きと表現されています。
不喰芋の成長を鮮やかな色彩で表現した《不喰芋と蘇鐵》では、背景に「立神」という、海の向こうから来た神が立ち寄る場所として、人びとから信じられてきた岩が描かれています。
一村は、島の自然の美しさだけでなく、人びとの信仰も一枚の絵の中に表現したのです。
展示では、彼の書簡、工芸品なども紹介され、これまであまり紹介されることがなかった一村の一面にも触れることができます。
そして、本展のアンバサダー・音声ガイドナビゲーターを務めるのは、曾祖父が一村の後援会長を務めるなど、 実は一村にゆかりの深い、俳優の小泉孝太郎。
柔らかな語り口で一村の作品世界を案内してくれます。
開会式では「とても不思議な田中一村さんとのご縁とかめぐり合わせを感じながら、気持ちをこめて音声ガイドを務めました」と語っていました。
会場には、奄美の自然を映像で紹介するコーナーが設けられています。
また会期中には奄美の文化を紹介する関連イベントも開催されます。この機会にさまざまな角度から一村の芸術に触れてみてください。
無名のまま奄美で亡くなった一村ですが、生前「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と語っていたといいます。
没後半世紀近くを経て、かつて学んだ上野の地でその願いが実現しました。
生涯をかけて自らの画風を追求し続けた画家の「魂の絵画」をぜひ会場でご覧ください。