ピエール=オーギュスト・ルノワール/10分でわかるアート
2021年11月17日
いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年/横浜美術館

横浜美術館にて、「横浜美術館リニューアルオープン記念展 いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」が開催中です。
1965年の日韓国交正常化から60年となる節目に、韓国の国立現代美術館との共同企画により実現した本展。
横浜美術館リニューアルオープンの理念である「多文化共生、多様性尊重」を表現した展覧会となっています。
日本に暮らす私たちにとって身近な「韓国」。
ドラマや音楽、食、ファッションといったKカルチャーは世界的にも大人気で、ふだんの生活でも「韓国」を感じる機会は多いのではないでしょうか。
日本と韓国は地理的に近いですが、長い歴史の中でずっと仲良くいられたわけではありませんでした。
最も近しい他者、とも言えそうです。

「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」展示風景
本展では、日韓それぞれのアートを紹介し、お互いの関係性、新しい姿について考えてみようというものです。
日本初公開の作品や、本展のための新作なども展示されます。
日本が敗戦し、朝鮮半島の植民地が解放されたのが1945年。その後日韓の国交が正常化したのが1965年。
この空白の20年間、何があったのでしょうか?
1952年のサンフランシスコ講和条約によって、在日コリアンは日本国籍を失いました。
その後、在日コリアンは、「朝鮮籍」として無国籍となるか、大韓民国の国籍を取得するか、それとも日本に帰化するのか考えなければなりませんでした。
本展はこの20年間を辿るところからスタート。
1940年代後半~60年代を生きた在日コリアン1世の作品の中から、時代を象徴するテーマの作品が中心に展示されています。

曺良奎(チョ・ヤンギュ)《マンホールB》 1958年 宮城県美術館蔵
飲み込まれそうなマンホールの暗闇に胸がざわつくチョ・ヤンギュの《マンホールB》。彼は日本で日雇い労働者として働いていたそうです。
豊かとは言えない生活、在日コリアンとしての国籍選択、自分は何者なのか・・・日々の生活の中で生まれた作品です。

展示風景より、左から宋英玉(ソン・ヨンオク)《隔たり (帰国船)》1969年、《作品’69》1969年 光州市立美術館 河正雄コレクション蔵
チェジュ島に生まれたソン・ヨンオクは、小学生の時に日本へ渡り、1944年には大阪美術学校を卒業しました。
展示される2作品は日本から朝鮮民主主義人民共和国へ向かう帰国船をモチーフにしたもので、画面からは悲痛さがただよっています。
この作品が描かれたころは、日本と共和国の「帰国事業」が始まって10年ほど経っていましたが、両国の行き来は自由ではなかったそうです。
そうした不自由さ、両国の分断、民族の離散に画家は何を感じていたのでしょうか。

展示風景より、林典子《sawasawato》2013-ongoing 個人蔵
ナム・ファヨンの映像作品《イムジン河》では、半島の分断を嘆く歌がフォークソングとなり、日本で人気を博していたことが語られています。

展示風景より、林典子《sawasawato》2013-ongoing 個人蔵
林典子の《sawasawato》は、朝鮮民主主義人民共和国で暮らす「日本人妻」を取材したプロジェクトです。
被写体は、在日コリアンと結婚し、帰国事業を通して共和国へと渡った女性たち。
大切な人のために海を渡る覚悟を持つ彼女たちの美しいまなざしに注目してみてください。
世界的なビデオ・アーティストとして知られるナムジュン・パイクは、1932年、日本統治下のソウルで生まれました。
1950年に朝鮮戦争が起こると、それを逃れて兄のいる日本へ渡ります。
大学卒業後はドイツへ留学。その後拠点となるアメリカへ移りますが、日本語が堪能で、生涯を通して日本のアーティストと親交しました。
関連アーティストとして久保田成子の映像作品を展示。

久保田成子《ビデオ・チェスⅡ》1975年 久保田成子ビデオ・アート財団蔵
着衣の久保田と裸のナムジュン・パイクがチェスをしている本作は、今回が展覧会での初公開となります。
1965年、日本は大韓民国とのみ、国交を正式に樹立しました。これにより、人や物の行き来が開通します。
また、互いの同時代のアートを紹介する展覧会も積極的に開催されるようになりました。

展示風景より、李禹煥《風景(Ⅰ)(Ⅱ)》1968/2015年 個人蔵
在日コリアンでもある李禹煥(リ・ウファン)。
本作は、1968年に東京国立近代美術館「韓国現代絵画展」に出品されたもので、当時の日本の美術動向からインスピレーションを受け、蛍光色の絵画を発表したそうです。
李はみることの錯覚を利用した作品を発表し、次第に「もの派」と呼ばれるアーティストになっていきました。

朴栖甫《遺伝質1-68》1968年 国立現代美術館蔵
韓国の美術界をけん引した朴栖甫(パク・ソボ)は、1968年の展覧会を通じて李と知り合います。
2人は韓国のアートを日本のみならず、世界へも示す存在となっていきました。
日本と韓国の当時のアートを見比べることで、影響し合った部分、全く違う部分が見えてくるはずです。
国交樹立後時代が進むと、新しい世代によるアートが登場します。
「中村と村上展」というプロジェクトを中心に、同時代のソウルで活動したイ・ブルを紹介。
「中村と村上展」は、当時韓国に美術留学していた中村政人と、東京藝術大学の同窓生で美大受験の予備校の同僚だった村上隆によって生まれた企画です。
中村が当時実施したアンケートによると、韓国の人びとが「不快な気分を感じる名前」の1位が中村、2位が村上という結果から着想を得たユニークな内容となっています。
時間が経つと、人びとの持つ考え方も変わり、そして新しいアイデアが生まれます。前章までの展示とは異なるアーティストたちの動向も見どころです。
最後の章では、「ともに生きる」をキーワードに作品たちが並びます。
1987年、民衆の力で勝ち取った軍事独裁政権の終幕。
人びとが抱いていた政権への不信感、そして民主化への希望は、当時のアートからも垣間見ることができます。

展示風景より左から、李應魯《構成(Composition)》1975年 国立現代美術館蔵、《群像》1984年 国立現代美術館蔵、林仁景《市場に行く道》1985年 国立現代美術館蔵
アーティスト夫妻である李應魯(イ・ウンノ)と朴仁景(パク・インギョン)も軍事政権の被害者でした。
2人はパリに暮らしていましたが、1967年に共和国のスパイ容疑で韓国に戻され、それぞれ獄中生活を強いられました。
《構成(Composition)》は、投獄を経験したあとの作品で、文字のかたちを研究するなかで生まれたシリーズです。
イ・ウンノは亡くなるまで祖国の統一と民主化を願った作品を描き続けました。

高嶺格《Baby Insa-dong》2004年 個人蔵
在日コリアン2世のパートナーをもつアーティスト高嶺格の結婚式を記録した作品《Baby Insa-dong》》。
結婚式の写真を取り囲むようなテキストには、高嶺自身の葛藤が記されています。
「在日」というマイノリティへの偏見。無自覚さ。会うことを避けていたパートナーの父親(アボジ)との向き合い方。生まれてくる子どもへの想い。
自分には無関係に思える出来事を、誰かが声を上げることで考えるきっかけになる。
アートにも社会問題を提起する重要な役割があります。
まだ自分の知らない世界、新たな価値観を、日韓両国のアートをとおして発見してみてはいかがでしょうか。
横浜美術館では、コレクション展「子どもも、おとなも! つくるわたしが、つくられる」も開催中です。

西野正将《New Generations》2006年
1日中楽しめる充実の内容となっています。
またみなとみらい駅からもほど近いので、寒い冬にもコートを脱いでゆっくり美術鑑賞してみてはいかがでしょうか。