塩田千春の作品から他者との「つながり」を考える。圧巻のインスタレーションに注目
2024年10月3日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、15世紀に興った「北方ルネサンス」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
ファン・エイク兄弟《ヘント(ゲント)の祭壇画》1432年 聖バーフ大聖堂
北方ルネサンスとはヨーロッパ北部のオランダやベルギーなどの地域の画家や芸術運動を意味します。
ルネサンスは知っている方も多いかもしれませんが…15世紀のイタリア・フィレンツェを中心に、古代ギリシャ・ローマ世界「古典復興」しようとした芸術運動のこと。
ルネサンスはイタリアのフィレンツェが中心だったのに対し、北方ルネサンスはヨーロッパ北部を中心として興りました。
当時、ネーデルラント(現在のオランダ、ベルギーあたり)は毛織物産業で繁栄し、フィレンツェ共和国同様、ルネサンス文化が芽生えた地域でした。
北方ルネサンスは、初期フランドル派のファン・エイク兄弟が油彩画を完成させたことにより、独自の表現が誕生。
油彩画の誕生により、緻密で写実的な表現で描かれた作品が多いのが特徴です。
北方ルネサンスを代表する画家たちを紹介します。
ヤン・ファン・エイク《男性の肖像(自画像と言われる)》1433年 ナショナル・ギャラリー (ロンドン)
ファン・エイク兄弟の弟、ヤン・ファン・エイク(1395頃 -1441)は初期フランドル派の画家です。
油彩画を確立した人物で、技術、描写力の高さから「神の手を持つ男」と言われていました。
そんな優れた描写力のあるヤン・ファン・エイクはブルゴーニュ公国の当主、フィリップ3世に気に入られ、宮廷画家になります。
油彩画を誕生させた技術ある、ヤン・ファン・エイクの名はルネサンス期のイタリアまで伝わっていたそうです。
《ヒエロニムス・ボスと推測されている肖像》 1560年頃
ヒエロニムス・ボス(1450頃-1516)は、ベルギー国境近くの裕福な工房を営む、画家一族の家に生まれました。
詳しくは知られていませんが、おそらく父の元で絵画を学んだのだろうといわれています。
ボスは聖書の主題や、人々の生活を主題にすることが多かったのですが、どれも奇想で幻想的な世界観を描いています。
他の画家と似ていない独自の画風は、生前から注目されており、各国の領主から注文も相次ぐほど人気だったそうです。
アルブレヒト・デューラー《1500年の自画像》 1500年 アルテ・ピナコテーク
アルブレヒト・デューラー(1471-1528)はドイツ・ルネサンスを代表する画家です。
ドイツ、ニュルンベルクの家に生まれ、父は金細工職人として成功を修めていました。
当時、ドイツでは版画制作が盛んで、デューラーも多くの版画を残しています。
27歳の時、自費出版した木版画連作《ヨハネの黙示録》によって名が知られるようになったデューラー。
自身をキリストになぞらえた姿で描いた自画像《1500年の自画像》には、自ら「神のごとき画家」と文字を記しています。
ピーテル・ブリューゲル(父、1525/30-1569)はヒエロニムス・ボス(1450-1516)の影響を受けて、版画家として活動を始めます。
その後、油彩画に専念するようになり、フランドルに暮らす農民たちの日常風景を描くようになりました。
オランダ絵画の先駆者であり、風俗画の走りとも言われたブリューゲル。
後に2人の息子も画家となり、長男は同名のため、(父)表記されることも多く、一家で工房を営んでいました。
ピーター・ブリューゲル(父)についてもっと知りたい方はこちら▼
ここでは北方ルネサンスを代表する作品を紹介します。
ヤン・ファン・エイク《アルノルフィーニ夫妻の肖像》1434年 ナショナル・ギャラリー(ロンドン)
油彩画を確立したヤン・ファン・エイクが描いた本作。イタリアの商人、アルノルフィーニ夫妻の婚約を記念して描かれたものと言われています。
本来は右手同士をつなぐのが一般的だそう。しかし、本作は右手と左手で手をつないでいることから、男性の身分が高く、女性の身分が低い時にする「左手の結婚」を描いたのではないかと言われています。
手前の犬は忠誠心を表し、夫妻の後ろの鏡にはよく見ると、立会人であるヤン・ファン・エイク自身が描かれています。
ヒエロニムス・ボス《快楽の園》1500年-1505年頃 プラド美術館
ボスが描いた快楽の園。ボスらしい奇抜さで楽園と地獄が描かれています。
この絵が描かれた当時「世界は1500年に終わる」と信じられていました。そんな迷信もあって、快楽の園は描かれたのでしょうか。
本作は三連祭壇画で、左翼には神とアダムとイヴが描かれ、中央パネルには裸体の人間たちや動物、果物が描かれています。
そして右翼には地獄を表すため、拷問を受ける罪人などが描かれてます。
アルブレヒト・デューラー《アダムとイヴ》1507年 プラド美術館
デューラーが油彩で描いたアダムとイブ。エデンの園で、知恵の実を食す前の二人が描かれています。
左手でリンゴを持つ男性がアダムで、ヘビが加えたリンゴを手に持つ女性がイブ。
デューラーがイタリアに行き、戻ってすぐに制作されたといわれており、イタリア絵画のような理想的身体で、描かれているといわれています。
デューラーは1504年に同じテーマで銅版画の作品も制作しています。
ヨーロッパ北部で興った北方ルネサンス。イタリア、フィレンツェで興ったルネサンスとは全く別の世界観、表現を知ることができました。
油彩画の始まりなど、美術史においても実は重要な北方ルネサンス。
この記事をきっかけに、北方ルネサンスの作品に興味をもってみてはいかがでしょうか?
【参考書籍】
・佐藤晃子『この絵、誰の絵? 100の名作で西洋・日本美術入門』株式会社美術出版社 2008年
・池上英洋『いちばん親切な西洋美術史』株式会社新星出版社 2016年