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2024年11月21日
大名茶人 織田有楽斎/サントリー美術館
こんにちは!
美術館巡りが趣味のかおりです。
例年より暖かい日が多いとはいえ寒い冬の時期。
そんな今にぴったりな、地下鉄の六本木駅から直結の東京ミッドタウンにあるサントリー美術館で開催中の「大名茶人 織田有楽斎」展にうかがってきました。
織田有楽斎(おだうらくさい)について、「名前は聞いたことある気がするけど、どんな人かよく知らないな」という方もいらっしゃるかもしれません。
織田有楽斎って誰?
織田というとあの信長の関係者?
そのとおり!
信長の弟で、名前を長益(ながます)といいます。
有楽・如庵とも号したため、織田有楽斎といわれることも多いのです。
織田有楽斎坐像 江戸時代 17世紀 正伝永源院(通期展示)
信長の息子である信忠をはじめ、豊臣秀吉、徳川家康といった戦国武将に仕えました。
かの本能寺の変では、主君である信忠は自刃したにもかかわらず有楽斎は逃げ延びたため、後の文献で「逃げた男」と揶揄されたりしました。
一方で、茶人としての面も持ち合わせており、茶道の大家として高く評価されている人物です。
この展覧会では、織田有楽斎について書かれた文献や彼との交友関係がわかる書簡のやりとり、使用した茶器や調度品、ゆかりのある寺院の所蔵品などを通して、織田有楽斎の生涯に触れることができます。
織田有楽斎は、織田信長の弟として生まれ、信長の息子である信忠に仕えて、本能寺の変で信忠が自害したあと、逃げ延びたのは前述のとおり。
その後は豊臣秀吉や徳川家康に仕え、さらに交友関係を広げていきます。
展示品のなかには、徳川家康が有楽斎について言及した書状があります。
ある件について「有楽斎に伝え、おろそかにはしないので安心しなさい」と書き綴られていており、家康から有楽斎への信頼があらわれています。
さらに茶人、文化人として活躍の場を広げていきます。
会場に展示されたたくさんの書状から、有楽斎が名だたる武将や貴族、僧侶などとの幅広い交友関係がわかり、その文面からは信頼や敬意が感じられます。
こうしてみると、有楽斎は卑怯な「逃げた男」というよりも、乱世を生き抜く人間関係に長けた信頼に足る人物であるように感じます。
有楽斎がこのような幅広い人と信頼関係を築くひとつの大きなツールとなるのが茶の湯です。本展では数々の茶器が展示されています。
大井戸茶碗 有楽井戸 一口 朝鮮王朝時代 16世紀 東京国立博物館(通期展示)
こちらは有楽斎が使ったといわれる茶碗です。
シンプルで厚みのある茶碗は、持つと手に馴染んで何度も使いたくなりそうです。
青磁輪花茶碗 銘 鎹 一口 南宋時代 13世紀 マスプロ美術館(通期展示)
こちらは青磁の薄手の茶碗。花びらのかたちをした上品な逸品です。
青磁の色がさわやかで清廉とした気持ちになります。
有楽斎本人が作ったお茶道具もあります。
茶杓 一本 織田有楽斎 桃山〜江戸時代 16〜17世紀 正伝永源院
茶杓とは、抹茶の粉をすくうスプーンのような道具です。
自分でお茶の道具を作るとはすごいですよね!
有楽斎は茶杓や茶入、茶碗を自作し、それらを茶会で使用していたそうです。
本当に茶の湯が好きなんだなあと、有楽斎の茶の湯への熱意と愛着が感じられます。
かの千利休にも認められ、茶の湯の世界で重要な役割を果たすようになった有楽斎は、大阪冬の陣ののち、荒廃していた寺院 正伝永源院を再興します。
そして75歳で没するまでこの正伝永源院を終のすみかとします。
本展の展示品をはじめ、有楽斎の遺品が正伝永源院に数多く残されているのは、こうしたゆかりがあるためです。
そして有楽斎は、この正伝永源院に自らの茶室「如庵(じょあん)」を建てます。
会場には茶室の模型や広さを体感できるエリアがあります。
想像以上に狭いです…!
ここではラインが引いてあるだけなのですが、実際の茶室には壁があります。
さらにここに人が2人入り、お茶の道具が置かれたりお花が飾られることを考えると、なかなかの圧迫感ではないでしょうか。
ぜひ会場で体感してみてください!
有楽斎ゆかりの正伝永源院には、他にもたくさんの寺宝が受け継がれています。
蓮鷺図襖 十六面 狩野山楽 江戸時代 17世紀 正伝永源院
いちばんに目を引くのがこの狩野山楽の襖絵《蓮鷺図襖》。
金地を背景に、みずみずしい緑の蓮の葉と白く輝く蓮の花が咲き誇り、空には鷺やつばめといった鳥が飛び交う、明るく華やかな画で心が浮き立ちます。
続く展示室には数々の作品が展示されています。
掛け軸や調度品、お茶道具もたくさんあります。
なかにはかわいい動物の図柄も隠れているので探してみてくださいね!
ミュージアムショップでグッズ化された作品がたくさんあるのでチェックしてみることをおすすめします。
戦国の世に信頼関係を築き趣味に生きた大名茶人、有楽斎
戦国武将として生まれ、時代が江戸に移ったあとも、75歳まで生きた有楽斎。
乱世の中、武将や貴族、僧侶、商人などといったさまざまな人と交わり、コミュニケーション力に長けた友好的な人柄、茶の湯をはじめ文化的な豊かさを持った人物像がみてとれます。
ただ「逃げた男」として評するにはもったいない人物だと本展を見て感じました。
また、自分の才覚を活かして目の前の仕事に取り組みながら趣味の時間も楽しんだ有楽斎の生涯は、仕事も趣味も充実させたい現代の私たちにも通じる部分があるのではないかと思います。
現代もある意味では変化の大きい乱世ともいえます。
展示を通して有楽斎の生き方をみつめながら、自分のこれからの生き方を考えてみてはいかがでしょうか?
それでは愉しいアートライフを!