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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
生誕150年 池上秀畝―高精細画人―/練馬区立美術館
(左)池上秀畝 《桃に青鸞図・松に白鷹図》のうち桃に青鸞図 1928
(右)荒木寛畝《牡丹に孔雀図・芭蕉図》のうち牡丹に孔雀 制作年不詳 いずれも、オーストラリア大使館
展覧会「生誕150年 池上秀畝─高精細画人─」が、練馬区立美術館にて開催中です。
長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)に生まれた池上秀畝(いけがみしゅうほ、1874-1944)。
伝統的な絵画様式を守る「旧派」を代表する画家として、明治時代から昭和時代にかけて活躍しました。
展示風景より
新たな日本画の創出をめざした「新派」に比べ、「旧派」と呼ばれる作品は近年展覧会などで取り上げられることは少なく、その知名度は限られたものに過ぎませんでした。
しかし、綿密な写生やさまざまな表現方法を積極的に取り入れた秀畝は、昭和の初めには、注文から納品までに4年待ちだったとの証言もあるほどの人気作家でした。
生誕150年を機に開催される本展では、新たに確認された作品や、官展(*)に出品された代表作、大画面の屏風、初公開の写生帖などを展示。
秀畝の画業全体を振り返り、単に”旧”ではないその魅力をひもときます。
*官展:文展など国が主催した展覧会のこと。
秀畝と新派の菱田春草(ひしだしゅんそう)は同い年。
交流の記録はないものの、出身地も近く同じ年に本格的に絵を学ぶべく上京した2人は、それぞれ新旧両派の代表的画家として活躍し、近代日本画史にその名を残すことになります。
(左)池上秀畝 《秋晴(秋色)》1907 北野美術館
(右)菱田春草 《付姫(常磐津)》1900 長野県立美術館 ※いずれも3月31日までの展示
秀畝は、のちに新派の画家たちが取り組んだ画題や表現を思わせるような作品も手がけています。
《時雨》は動物画の中でも特に鹿を得意とした秀畝が、紅葉に色づく山の渓流にたたずむ鹿を描いた作品です。
(左から)池上秀畝《時雨》1931 個人蔵 、池上秀畝《老子過関》1931 個人蔵、池上秀畝《牧牛》1929 個人蔵
父から手ほどきを受け、少年期から絵を描いていた秀畝。《がま仙人》は、わずか9歳の時の作品です。
15歳で上京し荒木寛畝(あらきかんぽ)に師事した秀畝は、写生の重要性など師から大きな影響を受けました。
(左)池上秀畝 《大江山鬼賊退治図》1893 飯山陸送株式会社
(右)池上秀畝《がま仙人》1883 信州高遠美術館 ※3月31日までの展示
19歳のときに描いた《大江山鬼賊退治図》は、大江山に棲む鬼・酒伝童子を退治する話を題材にした物語絵。
狩野派の作品などを参考に、物語の主な場面を選び、話の展開がわかりやすいように工夫して表現しています。
明治40年(1907)に文展が始まって以降、秀畝は意欲的に作品を出品し、横山大観や菱田春草といった新派の画家たちと競いました。
第4回文展では 《初冬》で3等賞を受賞。
そして第10回文展から、新たな花鳥画表現に挑んだ第12回文展の《四季花鳥》まで、3年連続で特選を受賞した秀畝は、次第に画壇を代表する画家となっていきます。
展示風景より、(左)池上秀畝《初冬》1910 東京国立近代美術館 ※3月31日までの展示
池上秀畝《四季花鳥》 1918 長野県立美術館
《盛夏》と第7回帝展出品作《歲寒三友》はいずれも旧目黒雅叙園旧蔵品。それぞれ生命力あふれる夏の草花と、寒中に咲く梅、椿、雪を被った竹を華やかに表現しています。
(左)《盛夏》1933 水野美術館
(右)池上秀畝《歲寒三友》1926 水野美術館 ※いずれも3月31日までの展示
第4回帝展に出品された、花鳥画の王である孔雀を描いた《翠禽紅珠》。写生帖にも孔雀を描いた絵が多数残されており、細かく孔雀を観察して描いたことがわかります。
池上秀畝《翠禽紅珠》1929 伊那市常圓寺
秀畝の作品は、皇室や華族(旧大名家)からも高く評価されていました。
旧蜂須賀候爵邸を飾った杉戸絵には、精緻な筆使いにより孔雀によく似た青鸞(せいらん)という鳥と白鷹が表裏に描かれています。 保存状態もよく、秀畝芸術の絢爛さをじっくり鑑賞できる作品です。
(左)荒木寛畝《牡丹に孔雀・芭蕉図》のうち芭蕉図 制作年不詳
(右)池上秀畝《桃に青鸞・松に白鷹図》のうち松に白鷹図 1928 いずれも、オーストラリア大使館
旧派の画家たちの作品は、屋敷や御殿を飾る装飾美術としても認められていました。秀畝も旧家や大家族向けに多くの屏風を制作しています。
本展では畳敷きの鑑賞スペー スが用意され、ガラス越しではなく、畳に座って間近に鑑賞できる作品もあります。
池上秀畝《竹林に鷺図》1913 伊那市常圓寺 ※3月31日までの展示
秀畝は修業時代から晩年にかけて、さまざまなテーマで多くの写生を残しています。
鳥や鹿などの動物、 朝顔や百合などの植物、 道ゆく人びとや祭りのようすなどが生き生きと描かれた写生類からは、秀畝の確かな観察力と、対象を的確に捉える筆力を見ることができます。
展示風景より、鳥類の写生図 信州高遠美術館
池上秀畝《写生帖》信州高遠美術館
『匣書手扣』(はこがきてびかえ) は、 大正6年(1917) から昭和19年(1944) までの27年間におよぶ秀畝作品の膨大な記録。
計14,000点以上の作品の中には、本展出品作のほか、象や獅子を描いた作品などもあり、さまざまな画題に挑戦していたことがわかります。
(左から)池上秀畝《桜下美雉(おうかびち)》制作年不詳 個人蔵、池上秀畝《避邪之図(へじゃのず)》1910 個人蔵 、池上秀畝《『匣書手扣』》1917-1944 信州高遠美術館
秀畝の晩年の重要な仕事として、旧目黒雅叙園の絵画制作が挙げられます。
現在のホテル雅叙園東京内にも一部が装飾として残っており、会場では新たに撮影された映像で絢爛豪華な秀畝の作品を見ることができます。
池上秀畝《画稿(雅叙園「孔雀の間」下図ほか)》制作年不詳 長野県立美術館
また、かつて雅叙園を飾る欄間であった《飛蝶》 3面は、今回新たに発見された作品です。
(右)池上秀畝 《飛蝶》 1937 飯山陸送株式会社
《神風》は、戦勝祈願の目的で靖国神社に奉納された、元寇をテーマにした作品。
荒れ狂う波や戦いのようすを静かで力強く描いた最晩年の大作です。
(奥)池上秀畝 《神風》1943 靖国神社遊就館
「僕は新派でも旧派でもない」は、明治45年(1912)、 旧派と新派の対立が鮮明だった時代に、新派系の機関誌に秀畝が寄稿した一文です。「新派でも、旧派でもよい作がよいのである」 という主張は、秀畝の生涯一貫した思いでした。
本展では秀畝の代表作が一堂に会します。この貴重な機会に、新派とは異なる立場から新しい日本画をめざした画家の豊かな画業に触れてみてはいかがでしょうか。
※文中、展示期間の注記のない作品は通期展示。
本展終了後、2024年5月25日から長野県立美術館に巡回します(出品作品は一部異なる予定)。