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2025年8月14日
企画展「簪(かんざし)—位里、俊、スマの名作選」/原爆の図丸木美術館
原爆の図丸木美術館にて、企画展「簪(かんざし)―位里、俊、スマの名作選」が開催中です。
増改築をくり返し、俊が「つぎはぎの美術館」と呼んだ同館は、10月から改修工事のため長期休館に入ります。
改修工事前最後の展覧会である本展では、丸木位里、俊、スマの代表作を並べて展示します。
丸木位里の母である丸木スマは、70歳を過ぎてから初めて絵を描きました。
丸木スマ《めし》1950 原爆の図丸木美術館蔵
約10年でスケッチを含む作品700点を描いてたのだそう。
展示を観ていく中で、スマの絵の上達を追うことができます。
丸木スマ《簪》1955 原爆の図丸木美術館蔵
本展のタイトルにもなっている《簪》は、スマが描いたもっとも大きな絵画の題名です。
亡くなる前年に描かれた最後の大作でもあります。
さまざまな動植物が描かれた賑やかな画面。
しかし、どこにも「簪」は描かれていません。
スマのことを尊敬していた俊は、本作について「きらきら輝く簪をこの絵の題名ににして、働きとおした女、おばあちゃんの生涯を飾ることにしました*」と語りました。
そして、題名を《簪》にしたのです。
*『丸木スマ画集 花と人と生きものたち』(一部抜粋)、小学館、1984年=現在は絶版
リニューアル工事前最後の展示にふさわしい作品《簪》。
この機会にぜひ、展示室でじっくりと鑑賞してみてくださいね。
位里・俊の代表作もあわせて紹介しています。
丸木位里《馬(群馬)》1939 原爆の図丸木美術館蔵
水墨の抽象画を好んだ日本画家の丸木位里。
《馬(群馬)》は、画面に流した絵の具の自由な形を活かした抽象的な作品です。
本作が描かれた1939年は、シュルレアリスムの考えが日本に入ってきた頃です。
そのため、本作は日本画の前衛表現の先駆的な例ではないかと言われています。
実は本作、真ん中部分しか残っていないのだそう。
左右の部分が残っていたら、相当大きな作品であることが分かります。
(左)丸木俊《ヤップ島》1940/(右)丸木俊《ヤップ島の物語》1943 いずれも、丸木ひさ子蔵
抽象画を好んだ位里とは全く正反対で、人物など具象画を好んだ俊。
本展では、修復を終えた《ヤップの島の物語》を公開しています。
俊は1940年1月から半年間、当時日本統治下でにあったミクロネシアやパラオ諸島、ヤップ島を単身で旅をしました。
この時代、女性一人でこれらの国に行けたのは、日本が支配する側だったためでもあり、俊が南洋を描いた絵本は、後に戦争協力だったのではないかと批判されることになりました。
そうした時代の背景もありますが、俊は島の人びとと良好な関係を築き、スケッチや油絵を描きながら豊かな時間を過ごしました。
本作からも、俊と島の人びとの穏やかな関係性が分かります。
原爆の図第1部《幽霊》 ※2024年 スフマート編集部撮影
今から80年前の1945年8月6日8:15、広島に世界で初めて原子爆弾が投下されました。
原爆投下直後に広島へいち早くかけつた丸木夫妻。
戦後の米軍占領下、原爆被害の報道が厳しい検閲を受けていた時期に《原爆の図》連作を描きはじめました。
その後も丸木夫妻は、戦争や水俣病などの公害などを題材とした共同制作も発表。
生涯をかけて人間が人間を傷つけ破壊することの愚かさを描き続けました。
修復作業していた原爆の図第2部《火》が、修復を終えて6月13日から公開されています。
(奥)原爆の図第2部《火》
原爆の図第2部《火》の展示は、1年11ヶ月ぶり!
なお、現在は広島のはつかいち美術ギャラリーに第1部《幽霊》と第4部《虹》が貸し出されています。
14点そろっての展示は、8月24日以降から予定されています。
展示日程の詳細など最新情報は、美術館公式サイトをご覧ください。
原爆の図丸木美術館は、10月から改修工事のため長期休館に入ります。
開館60周年を迎える2027年5月5日に、リニューアルオープン予定しているとのこと。
新しい原爆の図丸木美術館も楽しみですね!
ぜひこの最後の機会に「つぎはぎの美術館」へ足を運んでみてはいかがでしょうか。