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2025年9月29日
『白樺』 日本における西洋美術の導入と広がり/茅ヶ崎市美術館
『白樺』 日本における西洋美術の導入と広がり 展示風景より
茅ヶ崎市美術館にて、「『白樺』 日本における西洋美術の導入と広がり」が開催中です。
本展では武者小路実篤と、雑誌『白樺』の表紙を多く手掛けた岸田劉生にそれぞれ焦点を当て、近代日本における西洋美術受容の一側面を紹介します。
『白樺』 日本における西洋美術の導入と広がり 展示風景より
『白樺』は、武者小路実篤や志賀直哉たちによる学習院同窓を中心に、1910年から1923年まで刊行された雑誌です。
明治から大正にかけての日本は、西洋から多様な文化や価値観・思想が流入し、印刷技術も飛躍的な発展を遂げた時代です。
同時期には、『白樺』以外にも多種多様な雑誌が次々と刊行されました。
その中でも美術と文芸を主軸とした『白樺』は、当時にしては珍しく、先進的な雑誌として異彩を放ちました。
レンブラント・ファン・レイン《アルミニウス派説教師 ヤン・アイテンボハールト》1635年 町田市立国際版画美術館
《夜警》で知られるレンブラント・ファン・レインやジョルジュ・ルオーといった西洋の画家の作品を図版や評論を通して紹介。
さらに、その画家たちの芸術表現の背景にある精神性にも焦点を当てて紹介している点が、大きな特徴と言えるでしょう。
このように『白樺』は、西洋美術を紹介する新たなメディアとしての役割も担っていました。
(左)武者小路実篤《筍図》1938年 調布市武者小路実篤記念館【前期展示】/(右)武者小路実篤《エジプト従者像のある静物》1973年 調布市武者小路実篤記念館 ※作品保護のため一部展示替えがあります。前期10/5(日)まで
『白樺』の創刊に関わったのは、当時入学を皇族や華族に限られた学習院を卒業した上流階級の青年たちでした。
彼らの理念を共有し、活動した画家や作家は「白樺派」と呼ばれています。その中心人物として知られるのが、小説家の武者小路実篤です。
美術にも強い関心を寄せていた実篤。小説家でありながらも絵筆をとり、風景や花、人物などを主題に素朴な表現の作品を数多く制作しました。
本展では、実篤の油彩画やスケッチブックといった貴重な資料を展示しています。
(手前)岸田劉生《自画像》1917年 平塚市美術館
自身の娘・麗子の肖像画をくり返し描いたことで知られる洋画家・岸田劉生。
劉生は1911年に、『白樺』が主催した泰西版画展をきっかけにバーナード=リーチや柳宗悦と出会い、実篤とも交流を持ちました。
そのため『白樺』は、劉生の芸術制作において新たな方向性をもたらす重要な存在でした。
『白樺』 日本における西洋美術の導入と広がり 展示風景より
こちらは、劉生が手がけた装幀版画。なんと今回、茅ヶ崎市美術館が所蔵する33点すべてを展示しています!
作品をじっくり鑑賞すると、油彩画とはまた違う麗子の姿も確認することができますよ。
(右)岸田劉生《『劉生畫集及藝術觀』扉》1920年/(左)岸田劉生《童女麗子之像》1921年 いずれも、茅ヶ崎市美術館
劉生の装幀版画は撮影OK。
お気に入りの作品と共に、展覧会の感想をSNSで発信してみても良いかもしれません。
実篤は自分が収集した作品を展示する「白樺美術館」を構想していました。
それに賛同した実業家・山本小彌太は、同構想のためにゴッホの《向日葵》を購入。
兵庫県芦屋市の山本邸で作品を保管していましたが、1945年8月6日の阪神大空襲で被災し、焼失してしまいました。
フィンセント・ファン・ゴッホ《向日葵(写真複製)》ゴッホによる制作:1888年、写真複製:1987年 調布市武者小路実篤記念館
本展では、焼失した《向日葵》の写真複製を展示。
西洋の作品だったこと、そして大きな作品だったため、疎開が間に合わず焼けてしまったといいます。
近代日本における西洋美術の広がりについて紹介する展覧会「『白樺』 日本における西洋美術の導入と広がり」。
展示を楽しんだ後は、同館2階のミュージアムカフェ「美術館カフェ Le chemin(ルシュマン)」で、展覧会の余韻に浸ってみては?
芸術と読書、そして食欲も満たされるかも?秋のおでかけにおすすめの展覧会です。ぜひ足を運んでみてくださいね!