PROMOTION
クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
江戸の恋/太田記念美術館
1670年ごろ江戸で広まり、明治時代に衰退するまで多くの人びとに好まれ、大量に制作された浮世絵。その時代に生きた人たちの生活を描いた浮世絵は、絵画のジャンルでは「風俗画」に入ります。
当時、流行した文化や服装などはもちろん、浮世絵にはさまざまな物語が描かれています。その中でも「恋愛」は、あらゆる形でみることができます。
江戸の恋 展示風景
そんな「江戸の恋」を描いた浮世絵を集めた展覧会が、太田記念美術館にて開催中です。
本展では、鈴木春信や喜多川歌麿などの一流絵師が描いた、理想的な恋から昼ドラのようなドロドロとした恋愛まで、さまざまな恋愛をテーマとした作品を60点展示。
江戸の恋バナを2部に分けて紹介します。
※展覧会詳細はこちら
欧米に比べて奥ゆかしいイメージのある日本の恋愛事情。しかし、江戸に生きた人びとの姿をテーマとした浮世絵には、意外にも恋人同士の姿が多く描かれています。
深い愛情で結ばれたカップルのほかにも、遊郭で働く遊女と客のドラマチックな恋、理想的な美男美女が各時代の最先端のファッションに身を包んでくり広げる恋物語など。
浮世絵には、バラエティー豊かな恋の物語が数多く存在します。
(左から)鈴木春信 つれびき 明和4年(1767)頃/鈴木春信 浮世(美人)寄花 路考娘 明和5-6年(1768-69)頃 いずれも、太田記念美術館蔵
第1部では、当時の人びとが憧れた恋の一場面を描いた作品を紹介。浮世絵からみる江戸時代の恋愛事情を一緒に観てみましょう。
勝川春章(1726?-1792)は人気の歌舞伎役者や力士たちを写実的な作風で描き、人気を博した浮世絵師です。
晩年には、緻密な肉筆美人画を手がけたことでも知られています。
勝川春章 桜下詠歌の図 天明(1781-89)頃 太田記念美術館蔵
春章の作品である《桜下詠歌の図》には、桜の下で歌を詠む年若い男性に、まん幕(*)の奥から大勢の女性たちが熱い視線を向けているようすが描かれています。
すし詰め状態の女性たちの頭を数えると、13人いることがわかりますね。その中央手前の男性の姿がよく見える位置に陣取っている彼女が、一同のリーダーだと思われます。
一目でも憧れの男性を見ようとする女性たち。そのうち、幕が取れて女性たちが男性のもとへなだれ込みそうな、そんな絵の続きが想像できるユニークな作品です。
*まん幕:式場や軍陣などで、周囲に張り巡らす、横に長い幕のこと。
月岡芳年 風俗三十二相 いたさう 寛政年間女郎の風俗 明治21年(1888)3月 太田記念美術館蔵
最後の浮世絵師と称される月岡芳年(1839-1892)が描いた本作。身をよじり、手ぬぐいをくわえて必死に痛みをこらえる遊女の姿に目を奪われます。
一体、なんの痛みにこらえているのかと画面右をみると、腕に針を刺して何か文字を書いているよう。アップしてみましょう。
月岡芳年 風俗三十二相 いたさう 寛政年間女郎の風俗(部分)明治21年(1888)3月 太田記念美術館蔵
こちらは、遊女が愛している男性への変わらぬ気持ちを表すために「○○命」と腕に名前を入れる「入れ黒子(ほくろ)」を行っているところを描いています。
遊女が一人の男性を愛する決意が伝わってくる作品。他にも、入れ黒子の上にお灸を置いて、焼き消してしまう遊女を描いた作品もあるそうです。
女心と秋の空・・・一生愛すと思って名前を腕に入れても、やっぱりダメだったと、心変わりが避けられない人が多かったのでしょうか。
江戸時代は、歌舞伎や浄瑠璃で演じられた恋物語が、庶民のあいだで広く愛されていました。
第2部では、芝居を中心に物語や伝説で語られたラブストーリーを描いた浮世絵を紹介。一見すると、穏やかな美男美女が描かれていますが、その絵の背景をひも解くとドラマチックな恋愛が浮かび上がってきます。
歌川豊国『五大力恋緘』 享和3年(1803)頃 太田記念美術館蔵
本作は、元文2年(1737)の大阪、曽根崎新地で薩摩藩士が遊女を斬り殺した事件を脚色した『五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)』を題材とした作品です。
本作のヒロイン・小万(こまん)は、恋人の源五兵衛(げんごべい)を裏切らないという誓いとして、「五大力」という言葉を三味線の裏に記しています。
小万が書いている「五大力」とは、五大力菩薩の略とのこと。手紙の封じ目にこれを記す当時の習慣を、劇中では「あなただけを愛します」という誓いとして使われています。
本展では、小万と源五兵衛の恋の行方が浮世絵で分かりやすく展示されています。このあとの展開について、気になる方はぜひ、会場へ足を運んでみてください。
八百屋お七は、浄瑠璃や歌舞伎などのヒロインとして有名な女性です。
大火事に見舞われたお七は、避難した寺で寺小姓(*)の吉三郎と恋仲となり、再建された家に戻ったあと、再び火事が起きれば吉三郎に再会できると思い、江戸の市中に火を放ちます。その罪でお七は火あぶりの刑となってしまう・・・。
お七の名前を見ると、以上のような物語を思い浮かべる方は多いのではないでしょうか。
*寺小姓(てらこしょう):住職のそばに仕え、雑用を務めた少年のこと。
歌川国貞(三代豊国) 見立三十六句選 八百屋於七 安政3年(1856)11月 太田記念美術館蔵
「八百屋お七」の題材となった放火事件は、天和3年(1684)に起きたといわれています。
しかし、研究者のあいだでは、お七の放火を記録した文献の信ぴょう性に疑問があるとされ、私たちが知るお七像がどこまで史実に沿ったものであるかは、検討が必要とされているそうです。
月岡芳年『松竹梅湯嶋掛軸』 明治18年(1885)12月 太田記念美術館蔵
現代の私たちがよく見るお七の姿といえば、火の見やぐらのハシゴを上るようすを描いたものではないでしょうか。
特に、芳年が描いた本作は「八百屋お七」と検索すると、必ず出てくるほど彼女の姿を印象付ける作品です。
浮世絵のなかに描かれた「恋」に焦点を当てた本展。
太田記念美術館では、毎年さまざまなテーマで浮世絵を紹介していますが、恋をテーマとして展示を作ったのは初めてとのことです。
現代と同じように、江戸時代にも恋愛を軸としたドラマが好まれていたようすがわかる「江戸の恋」展。
お近くの方は、ぜひ美術館で江戸の恋の物語を覗いてみてください。