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2026年2月24日
内間安瑆・俊子展/神奈川県立近代美術館

内間安瑆《Forest Weave(Bathers-Two-Cobalt)[森の屏風(二人の裸婦・コバルト)]》1982年 早稲田大学會津八一記念博物館蔵
JR逗子駅からバスで約20分。葉山一色海岸を臨む神奈川県立近代美術館 葉山で「内間安瑆・俊子展 色を織り、記憶を紡ぐ」が5月31日まで開催中です。
ニューヨーク在住の日系アメリカ人ということもあり、今まで国内での知名度は高くなかった内間安瑆(うちま あんせい)・俊子夫妻。
両者の軌跡を、色彩豊かな版画、思い出や記憶を物に託したコラージュなどの作品、夫妻と交友関係のあったイサム・ノグチや棟方志功など関連作家の作品を紹介しながら回顧するものです。
初日前日に開催された内覧会のようすをレポートします。

安瑆と俊子 シュラブ・オークにて、1980年頃
本展の展示は全3章。1章ごとに安瑆・俊子それぞれのセクションがあり、同時代の2人の作品が同じ章で見られ、時系列にそれぞれの歩みをたどれる構成になっています。関連作家のコーナーもあり、合計で7つのセクションがあります。
内間安瑆は1921年米国生まれ。1950年代から、脳卒中で倒れる1982年まで日米両国で活躍した日系2世の作家です。
明治から大正期にかけて展開した創作版画運動や浮世絵、長谷川等伯らに影響を受けた作品は、第35回ヴェネチア・ビエンナーレに参加、グッゲンハイム・フェローシップ版画部門を2度受賞するなど国内外で高く評価されました。
代表作は《Forest Byobu》という、1979年にニューヨーク郊外のシュラブ・オークにアトリエを構えた頃から制作が始まった版画シリーズです。
色面織りと呼ばれる、ぼかしのかかった色面のモザイクで全体を構成する独自の手法で描かれています。

内間安瑆《Forest Byobu(Autumn-Stone)[森の屏風(秋・石庭)]》1979年 個人蔵
色面の重なりや濃淡、ぼかしが森の空気感や奥行きを感じさせる

内間安瑆《In Blue(Dai)[青に(大)]》1975年 個人蔵
内間俊子は1918年中国(安東県)生まれ。父の仕事の関係で、大連で幼少期を過ごし、帰国後は神戸で小磯良平に絵画を学びました。
戦後、前衛グループ「デモクラート美術家協会」に参加。1954年に安瑆と結婚し、1959年に家族で渡米。1960年代後半からは独自の繊細な感性で構成するコラージュやボックス・アッサンブラージュの制作に専念しました。
1935年に日本に移住、結婚・子育て、米国移住、夫の長期看病など人生の大きな変化を何度も経験しながら制作を続けた作家です。
今回は、俊子の作品を初期から晩年まで展示する、初の回顧展となります。

内間俊子《Downtown[ダウンタウン]》1982年 高知県立美術館蔵
物体を箱の中に配置した立体のコラージュ「ボックス・アッサンブラージュ」の作品

内間俊子《His Baren[彼のバレン]》1989年 個人蔵
夫婦の記憶を箱に収めたような作品

内間俊子《Putnam Nail[パットナム・ネイル]》1979年 個人蔵
個人の所有で、滅多に観られない作品
《パットナム・ネイル》は古いニューヨークの馬車文化から着想を得た作品。馬車がコラージュされ、格子状の部屋のような構造の中に、ボールなどが入っています。

《Putnam Nail[パットナム・ネイル]》部分

展示風景より
安瑆の初期の油彩画《親密なる会話》は、1953年開催の第17回「自由美術家協会展」初入選作品。
この時期の作品は今までほとんど見られませんでしたが、今回、遺族の協力で見つかり、同館では初展示とのことです。

内間安瑆《親密なる会話|Intimate Conversation》1953年 個人蔵
抽象表現を研究し、前衛画家として認知されつつあった時期の作品
第1章に展示されている《集合前》《化粧する女》の2枚は、恐らく1点ものだそうです。同館の西澤晴美主任学芸員によると「1枚しか刷らない版画、モノタイプの作品だろう」とのこと。

内間安瑆《集合前|In the Square》1955年 個人蔵

内間安瑆《化粧する女|Young Girl Making Up》1956年 個人蔵

夫妻の交友関係と家族写真
夫妻は日米の美術交流に大きな役割を果たしています。安瑆は帰米前の1950年代にイサム・ノグチや長谷川三郎らと交流。創作版画コレクターのオリヴァー・スタットラーの通訳を務め、恩地孝四郎、棟方志功、平塚運一らにインタビューする機会を得ました。
また、俊子はデモクラート時代に瀧口修造、久保貞次郎らと交流がありました。夫妻は日本やニューヨーク在住の日本人作家たちとのネットワークを生かし、日米の版画界をつないだのでした。


安瑆が使用していた道具(左)と版木(右)
安瑆の版画用具と版木です。日本製の伝統的な道具が並んでいます。紙も特注の越前和紙を使用していました。浮世絵は線がはっきりしていますが、安瑆が考案した色面織りはぼかしがかかった色面で埋め尽くされています。
伝統的な手法を用いて「日本的でも西洋的でもない」(本人談)独自の境地を開拓していたことが、道具からも見て取れますね。
安瑆が1982年に脳卒中で倒れて以降、俊子は看病を続けながら制作を続け、安瑆は妻の制作を傍らで見守る日々だったようです。2000年5月に安瑆が死去、同年12月に俊子も亡くなりました。
西澤晴美主任学芸員は、本展について「2人の創作の軌跡を紹介しています。共鳴し合いながらそれぞれの目指す作品を作っていた、夫妻の道のりを追うように観ていただければ」と話しています。
本展は、同館の他に碧南市藤井達吉現代美術館、埼玉県立近代美術館の2カ所を巡回予定です。