塩田千春の作品から他者との「つながり」を考える。圧巻のインスタレーションに注目
2024年10月3日
大英博物館 北斎/サントリー美術館
江戸時代後期を代表する浮世絵師・葛飾北斎(1760~1849)。富士山をテーマにしたシリーズ《冨嶽三十六景》や『北斎漫画』など、一度見たら忘れられないインパクトを持つ作品の数々は、世界中で広く知られています。
現在サントリー美術館で、大英博物館が所蔵する北斎作品を紹介する展覧会が開催中です。
「大英博物館 北斎 ―国内の肉筆画の名品とともに―」展示風景
本展では、大英博物館所蔵の北斎作品を中心に、国内の肉筆画の名品とともに、北斎の画業の変遷を紹介。
また、大英博物館に北斎作品を納めたコレクターたちにも注目し、彼らの日本美術愛好のようすを浮き彫りにします。
※展覧会はこちら
北斎は日本の絵師たちだけでなく、モネやドガ、ゴッホといった印象派およびポスト印象派の画家たちにも影響を与えました。
西洋の画家やコレクターたちは北斎を愛し、なかでも大英博物館には、複数のコレクターから入手した北斎の優品が多数収蔵されており、そのコレクションの質は世界でもトップクラスです。
「大英博物館 北斎 ―国内の肉筆画の名品とともに―」展示風景
古代から現代アートまで幅広い日本の美術品を収蔵し、日本美術の常設展示室もある大英博物館ですが、やはり北斎の浮世絵を目的に来館される人が多いそうです。
世界中で愛される北斎の魅力とは? 展覧会を通して、その画業と魅力にせまります。
90歳という長寿を全うした北斎。彼の代表作と呼ばれる傑作の多くは、60歳以降に生み出されました。
たとえば、最も有名なシリーズ《冨嶽三十六景》は70代に、晩年には卓越した画力と想像力をあますことなく発揮した肉筆画などは最晩年まで制作されています。
本展では、現存数の少ない貴重な初期作から、“神の領域”とも言える最晩年の肉筆画までを紹介。とくに精力的に活動していた最後の30年間に焦点をあてた展覧会となっています。
市川鰕蔵の山賤実は文覚上人 葛飾北斎 細判錦絵
江戸時代 寛政3年(1791) 大英博物館
【全期間展示】
《市川鰕蔵の山賤実は文覚上人》は、“北斎”と名乗る以前の1791年に制作されました。北斎が、生涯で雅号(絵師としての名前)を30回変えたというエピソードは有名だと思います。
本作が描かれたころの北斎は一般的な役者絵を制作しており、絵師・勝川春章のもとで修業を積んでいました。
“画狂人”とも呼ばれた北斎の初期の表現を知ることができる貴重な作品です。
北斎と聞くと必ず思い浮かぶのが・・・こちらの作品ではないでしょうか。
冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 葛飾北斎 横大判錦絵
江戸時代 天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館
【全期間展示】
大きな波に、奥に小さく見える富士山。なすすべもなく、大波に飲み込まれそうな船など、まるで一瞬を切り取ったような迫力のある描写は、いつ見ても私たちに驚きを与えてくれます。
江戸時代には、富士を神聖な存在として捉える富士信仰が存在し、北斎も富士を敬愛していました。
美しい藍色の顔料を使用した《冨嶽三十六景》のシリーズは、北斎の画業の集大成とも言えるでしょう。
また、富士と同じく北斎がよく描いたモチーフが水の造形です。川や滝、海、とりわけ波など、生涯をかけて水の表現を追求しました。
本展最終章では、北斎の肉筆画を紹介しています。
「大英博物館 北斎 ―国内の肉筆画の名品とともに―」展示風景
彫師・摺師との連携で作られる浮世絵版画と違い、肉筆画は絵師の息づかいが感じられるのが特徴ですが、なかでも北斎の肉筆画は一点一点が独特の迫力を宿しています。
流水に鴨図 葛飾北斎 一幅
江戸時代 弘化4年(1847) 大英博物館
【全期間展示】
絵を描くたび、年を重ねるたび、少しでも長く生きて、絵を極めたいという思いがさらに強くなった北斎。そこで「百」と彫った大きな印を新しく作り、以後その印章のみを使用しました。しかし北斎が亡くなったのはその2年後のことでした。
生涯をかけて、絵画制作と真摯に向き合い続けた北斎の姿を追います。
北斎の画業をあますことなく鑑賞できる本展。
会期中はさまざまなイベントが開催されますよ! こちらもぜひお見逃しなく。
※作品保護のため、会期中展示替を行います。
※会期は変更の場合があります。
最新情報はサントリー美術館ウェブサイトでご確認ください。