これから開催

菊地 寅祐個展

百八○°

-Artist Statement-
映画には百八〇度規則という約束がある。被写体の背後に一本の線を引き、カメラはその線を越えない。約束が守られる限り空間は成立し、観客は物語に縫い止められる。線を越えた瞬間、空間も物語も崩れ、画面の外にいた作り手が顔を出す。菊地寅祐の木彫は、その線の向こう側から始まる。

菊地の作品は、見る者に形を読み取らせる。彫り起こされた起伏は、揺れる水面のように、照明と見る角度で表情を変える。陰影に浮かぶものは、見る者によって変化する。彫られているのは具象的なモチーフではない。図像が立ち上がる場(スクリーン)である。

その読み取りは、見る者自身の記憶を呼び起こす。かつて映像は配信されるものではなく、巻き戻すものだった。
VHSビデオデッキで再生し、巻き戻し、また再生する。陰影に形を探す行為は、各自のテープを巻き戻し、各自の物語を流す行為であり、そこに映るのは作家の像ではなく、見る者それぞれの像だ。

見る者がそこに記憶を読み込む一方で、木の側にも畳まれた時間がある。立っていた年月が、切り出された瞬間に断面へ晒される。乾かされ、ノミを入れられる。彫り進むほど、別々の時間が同時に剥き出しになる。木彫はその時間を巻き戻す行為だ。木にとっては、断片的な記憶を強制的にフラッシュバックさせられる経験。だがテープと違い、二度と同じ場所へは戻らない。造形は彫るほどに増えていく。しかし最後に現れる穴を境に、造形は余白へと反転する。

菊地の作品は彫刻でありながら編集に近い。スピルバーグは『ジョーズ』の夜空に、フィルムを直接引っ掻いて流れ星を描いた。カメラを通さずフィルムに直接刻むこの手法はシネカリグラフと呼ばれ、ノンカメラ映画・純粋映画として展開してきた。偶然映り込んだゴミに見えて、手が刻んだ痕である。菊地の穴も同じ継ぎ目にある。意図と、それを超える作用の、見分けのつかない場所。

その穴は頭上にある。作品は全て吊られ、海中から海面を見上げるように、見る者は反転した空間を見上げる。木の塊は落ちることなく留まり、下にいるのは見る者だけだ。

そして穴を見上げる。形のないものに、見る者は自分の記憶を流し込む。何が見えるかは、ここには示されていない。
(現代美術研究家 斉藤 勉)

参照作品・資料
スティーヴ・ブランドフォード/バリー・キース・グラント/ジム・ヒリアー
(杉野健太郎・中村裕英訳)
『フィルム・スタディーズ事典:映画・映像用語のすべて』
フィルムアート社、2004年
『ジョーズ』(監督:スティーヴン・スピルバーグ、1975年)

-Profile-
菊地 寅祐
1998年生。山梨県出身。
2025年 東京藝術大学 大学院美術研究科 彫刻専攻修士課程 修了。
現在、同大学教員研究助手として勤務。

Event Information

展覧会名
菊地 寅祐個展
百八○°
開催期間
2026年7月3日~7月26日
開館時間
12:00~18:00
*7月3日(金)20:00まで開廊時間を延長しています
*7月26日(日)は16:00まで
休館日
月曜日、火曜日
公式サイト
https://k-art-tokyo.com/
お問い合わせ

03-6450-6132

Venue Information