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2024年11月1日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、ロセッティやミレイたちが立ち上げた「ラファエル前派」について、詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
ラファエル前派とは、1848年に芸術革新を訴えるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティや、ジョン・エヴァレット・ミレイなど、イギリスの若き画家たちによって形成されたグループによる美術様式です。
ラファエル前派の創設メンバーであるロセッティたちが通っていたロイヤル・アカデミー美術学校は、1768年に創立されたイギリスの国立美術学校です。フランスのアカデミー同様に、盛期ルネサンスの三大巨匠のひとり、ラファエロ・サンツィオ(1483-1520)を美の規範とする考えを持っていました。
ラファエロ・サンティ《ゴシキヒワの聖母》1505~1506年
ロセッティやミレイたちはロイヤル・アカデミーの一方的な授業のようすから、イギリス美術界の低迷を強く感じていたといいます。そうして結成されたのが「ラファエル前派兄弟団(P・R・B)」というグループです。
この団体名には、アカデミーが美の規範とするラファエロではなく、それよりも前の初期ルネサンスへ立ち返ることを主張する意味が込められています。
ラファエル前派兄弟団の作品には、「P・R・B」のサインを入れることを共通としていたのだそう。彼らの作品はおおむね高評価を得ていましたが、創設メンバーのひとりであるロセッティが、このサインの意味をバラしてしまうとたちまち批評の対象となってしまいました。
そんな美術界に敵視されたラファエル前派を支持したのが、当時カリスマ的存在だった批評家のジョン・ラスキンでした。オックスフォード大学の美学の教授だったラスキンの批評は、当時最大の影響力を持っていたといいます。
ラスキンはラファエル前派の作品に対して、「過去にないイギリス発の高貴な芸術が誕生した」と高く評価。それによりラファエル前派の作品は世間に認められるようになりました。
ところが、1853年に創設メンバーだったミレイがロイヤル・アカデミー準会員に選出されたことがきっかけでラファエル前派は分裂。わずか5年の活動で解体してしまいました。
ラファエル前派解散後、ロセッティは、女性たちを主題とした作品を多く描きました。彼の作品のモデルとなったのは彼の恋人や愛人たちで、その女性関係はとてもスキャンダラスだったといいます。
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ《ベアータ・ベアトリクス》1863~1870年
本作は、詩人ダンテによる『新生』に登場するベアトリーチェ・ポルティナーリの死の瞬間を描いた作品です。モデルはロセッティの妻であるエリザベス・シダルです。
かなりの女性好きだったというロセッティ。エリザベスと結婚後も浮気をくり返していたといいます。その結果、エリザベスはアヘンを大量に服用し自殺。本作は、そんな亡き妻に捧げるしょく罪の作品としても知られています。
※ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティについて詳しく知りたい方はこちら
1829年、イギリス南部の都市であるサウサンプトンの裕福な家庭に生まれたミレイは、11歳でロイヤル・アカデミーへの入学が許された神童でした。
リアリティのある作風で知られるミレイですが、デビュー作の《両親の家のキリスト》は「キリストが貧相すぎる」「聖母マリアが醜い」などと酷評されたそうです。
そんなミレイを支持したのは、美術評論家のラスキンでした。ラスキンからの支持を受けたミレイは、それに応えるように傑作《オフィーリア》を発表します。
ジョン・エヴァレット・ミレイ《オフィーリア》1851~1852年
本作は、シェイクスピア作『ハムレット』のヒロイン・オフィーリアが川で入水自殺をするシーンを描いたものです。
悲劇的なシーンですが、水面から出たオフィーリアの白い手や物憂げな瞳などが、彼女の美しさや優しさを際立たせています。
ロセッティ、ミレイとともにラファエル前派の創立メンバーのひとりであったウィリアム・ホルマン・ハント。宗教をテーマとした絵画を描くかたわらで、生涯自然への忠誠も貫きました。
とくに、羊を描いた作品はロマン主義を代表する画家、ウジェーヌ・ドラクロワを驚かせるほどだったそうです。
ウィリアム・ホルマン・ハント《わが英国の海岸》1852年
本作は、イギリスの港町であるヘイスティングス近郊のフェアライトで、1852年の夏から秋にかけて描かれたものだと考えられています。
何層にも重ねられた絵具で表現される鮮やかな色使いが特徴的で、羊の描写もリアリティがあり見事な作品です。
徳島県鳴門市に建つ大塚国際美術館は、日本最大級の常設展示スペースを有する「陶板名画美術館」です。
同館は、古代壁画から世界中の美術館が所蔵する現代絵画まで、西洋名画約1,000点の陶板名画を展示。そのどれもが大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によって、オリジナル作品と同じ大きさで再現されたものです。
ロセッティの《ベアータ・ベアトリクス》やミレイの《オフィーリア》なども陶板名画で再現されていますよ。
(左から)ウォーカー・アート・ギャラリー/レディ・リーヴァ―・アート・ギャラリー
リバプール国立美術館は、リバプール市内および近郊のウォーカー・アート・ギャラリーやレディ・リーヴァ―・アート・ギャラリーなどの総称であり、ラファエル前派の作品を有する美術館として広く知られています。
19世紀半ば以降、リバプールは造船業やさまざまな工業によって、イギリス一の港町として栄えました。この町の中産階級の市民がラファエル前派の作品を収集したことから、現代まで貴重なコレクションがまとまった形で伝えられています。
イギリスの若き画家たちによって興された「ラファエル前派」という美術様式について、詳しく説明しました。
ラファエル前派が活動していたころのイギリスは、ヴィクトリア女王の長い治世のもとにあり、植民地帝国を築き上げていました。
そうした新しい時代に、ロイヤル・アカデミーのただ詰め込むだけの美術教育は、ロセッティやミレイ、ハントたち若い画家にとっては古い体制であったことがよくわかります。
次回は、ロセッティとともにラファエル前派で活躍した画家「ジョン・エヴァレット・ミレイ」について詳しくご紹介します。お楽しみに!
【参考書籍】
・早坂優子『巨匠に教わる 絵画の見かた』株式会社視覚デザイン研究所 1996年
・岡部昌幸 監修『西洋絵画のみかた』成美堂出版 2019年
・アンドレア・ローズ『ラファエル前派』西村書店 1994年