塩田千春の作品から他者との「つながり」を考える。圧巻のインスタレーションに注目
2024年10月3日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、「大正ロマン」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
皆さんは「大正ロマン」と聞いて何を思い浮かべますか?袴姿の女学生や可愛らしいアンティーク着物、また銀座などの都市にあるレトロな喫茶店、または当時人気のあった画家である竹久夢二や高畠華宵などを思い浮かべるのではないでしょうか。
わずか15年と短い年月だった大正時代(1912-1926)は、大正デモクラシーを背景に個人の精神を尊重し、自由に生きることを大切にする考えが流行していました。さらに、西欧文化の影響をはじめ当時の人びとの日常生活は近代化が進み、文化的な生活様式が築かれた時期でもあります。
こうした大正期の古き良き文化が見直され禁煙では、マンガや小説、アニメの世界でも取り上げられることの多くなり、ちょっとしたブームとなっています。しかし「大正ロマン」と聞いても、実際はどのようなものなのか分からず、ピンとこない方も多いと思います。
そこで本記事では、大正ロマンを代表する物や事、または画家たちの作品に注目!今もなお、私たちをとりこにする大正ロマンの世界を紹介します。
(左)『少女の友』19巻6号、1926年(表紙《初夏の少女》 林唯一・画)
(中央)『少女画報』15巻2号、1926年(表紙《雪の日》 高畠華宵・画)
(右)『少女倶楽部』16巻4号、1938年(表紙《軍国雛祭》 多田北烏・画)
高畠華宵大正ロマン館所蔵近代日本大衆雑誌図像データベースより転載
1902年(明治35)に初めての少女雑誌『少女界』が誕生してから、明治末から大正期にかけて少女を対象とした雑誌が多く刊行されるようになりました。
刊行当初の内容は教養の要素が強かったのに対し、時代の変化と少女たちのニーズに合わせて、ノスタルジックな挿絵と少女小説、少女詩などの人気コーナーが設けられたのだそう!将来、嫁いで子どもを育てる良妻賢母としての大人の女性になる前、束の間の自由を楽しむ少女たちのようすが、誌面にも反映されています。
高畠華宵《金魚》(少女画報1927年6月号より)
日本髪を結うために長い黒髪を耳のところまで大胆にカットし、描き眉毛やつけボクロ、マニキュアを施した爪など流行の最先端を行く女性「モダン・ガール」は、大正末期に登場しました。略して「モガ」と呼ばれる彼女たちは、大正15年の流行語にもなったのだそう。モガたちは、「モダン・ボーイ(モボ)」たちと銀座の街を歩き、都市風俗の象徴的存在として今でも広く知られています。
今よりもずっと保守的な考えを持っていた日本において、モダン・ガールのような恰好を実現することができた女性は限られていたといいます。
1910年に国産の蓄音器が販売され始めると、人びとは家の中で音楽を楽しむようになりました。
蓄音器といえば、ラッパが突き出た独特な形を思い浮かべる方もいるとおもいますが、この形は1913年頃から次第に減少し、大正後期には文化生活にふさわしいスマートな形を追求したラッパのない蓄音器が流行しました。
蓄音器の流行に伴い、明治末から大正初期にかけてレコードを販売する会社が相次いで設立され、レコードの大量生産・販売されるようになります。
しかし、蓄音器やレコードを購入し音楽を楽しめるのは一部の上流階級のみで、庶民には手の届かないもの。そこで音楽をより気軽に楽しむ手立てとして「楽譜」が数多く出版されました。
セノオ楽譜「我が家の唄」表紙 竹久夢二・画
当時もっとも多くの発行部数を誇った「セノオ楽譜」は、妹尾幸陽(せのお こうよう)が設立したセノオ音楽出版社から刊行されたピース楽譜です。ピース楽譜とは、小曲一編だけを紙片1枚程度に納めた楽譜のことで、1915年から刊行が始まりました。
セノオ楽譜の表紙デザインには、杉浦非水や北沢楽天などの当時活躍していた画家たちが携わりましたが、竹久夢二が装幀したものが圧倒的に多いといいます。なんとその数、約280点!夢二画の評判がセノオ楽譜の人気を支えていたのですね。
高畠華宵は、1911年に津村順天堂(現・株式会社ツムラ)の婦人薬「中将湯」の広告にモダンでロマンチックな婦人画を描き、注目を浴び始めました。その後1913年に雑誌『講談社倶楽部』でデビューし、数多くの少年・少女雑誌で活躍、一世を風靡した画家です。
高畠華宵《秋の調べ》(少女画報1931年9月号より)
華宵の描く女性はどこか怪しげな魅力があり、またギリシャ彫刻を思わせるような両性具有の美しさが垣間見えます。描かれているファッションも流行を先取りしたおしゃれなものが多く、ファッションリーダーとして当時の少女たちから絶大な人気を得ていました。
※高畠華宵についてもっと知りたい方はこちら
センチメンタルな画風の女性絵「夢二式美人画」で広く名が知られている画家、竹久夢二。日本画や水墨画、油彩画、木版画、さらにはデザインの分野など多彩な作品を残す一方、童謡や詩、童話の創作などにも才能を発揮して詩と絵画を融合した芸術を開花させた人物でもあります。
(左)1926年4月号APL FOOL『婦人グラフ』の表紙絵
(右)薔薇のとげ(1926年、童謡集『凧』の口絵)
夢二は、画家自らの感情を表現した少女のためのイラストレーションである「抒情画」の原型を作った画家でもあり、その概念が定着する以前の明治末期より、少女をテーマとしたイラストレーションを手がけていました。
夢二の描く女性たちは瞳を伏せたり、あるいは顔を覆い隠して泣く姿など、女性の心情や内面性を見事に描いたものが多いです。彼の優れた洞察力によって描き出された作品は、同時代の女性たちから支持されました。
東京都江戸東京博物館の分館である江戸東京たてもの園。敷地面積約7haを擁する同園は、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目的として、1993年に開園しました。
復元建造物の中には大正期中期以降、とりわけ関東大震災後に東京や大阪などの大都市で流行した「文化住宅」も展示されていますよ。さまざまな時代の歴史的建造物が観られるのでオススメです。
東京は根津、東京大学や上野公園にもほど近い文教エリアに建つ、弥生美術館・竹久夢二美術館。
竹久夢二美術館では、大正ロマンを象徴する画家・竹久夢二の多彩な作品を紹介しています。また弥生美術館では、高畠華宵の品が展示されているほか、明治・大正・昭和の出版美術にスポットをあてたユニークな企画展も開催しています。
本記事で紹介した施設以外にも、大正ロマンの雰囲気が体験できる施設が多数あります。気になる方は調べてみてくださいね。
今から約100年前の時代である大正。都内をはじめ、日本各地でその文化は残っています。都内ですと、浅草や銀座に行くと大正期の面影がありますよ。
お出かけの際は、少し都市のようすに目を向けてみると思わぬところで「大正ロマン」に出会うかもしれません。
次回は、センチメンタルな画風の女性像「夢二式美人画」で知られる画家、「竹久夢二」について詳しくご紹介します。お楽しみに!
【参考書籍】
・石川桂子編『大正ロマン手帖―ノスタルジック&モダンな世界―』河出書房新社 2009年