浮世絵/10分でわかるアート

10分でわかるアートとは?

10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。

作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。

今回は、日本美術を代表する「浮世絵」について、詳しくご紹介。

「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。

「浮世絵」ってなんだろう?

日本のみならず、世界にも「Ukiyo-e」としてその名が知られている「浮世絵」。“浮世絵”と聞くと、葛飾北斎の『冨嶽三十六景』シリーズや歌川広重の『東海道五十三次之内』シリーズ、ほかにも美人画の名手である喜多川歌麿、大の猫好きな浮世絵師である歌川国芳など、挙げていったらキリがないほど「浮世絵」は日本人にとってなじみ深い言葉だといえます。

そんな浮世絵ですが、意外と知らないことも多いのではないでしょうか。本記事では「浮世絵入門」として、浮世絵に関する豆知識をいくつかご紹介していきます♪

スフマート Sfumart 10分でわかるアート 浮世絵 美術用語解説
(左)喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く女」江戸時代 18世紀
(中央)葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」1831-34年
(右)歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」1857年

現代では、美術館で静かに鑑賞する美術品として楽しまれている浮世絵ですが、当時の感覚では、浮世絵は美術品というより今でいうポスターや雑誌、マンガに近いものでした。

また、現代では北斎などの人気絵師の作品は驚くほどの高値で出回っていますが、江戸時代に量産された木版の浮世絵は、人気絵師の作品であっても当時はそば1杯程度の値段だったのだそう!
庶民でもすぐに購入できる身近な娯楽として楽しまれていました。

浮世絵の創始者である菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)

浮世絵は1670年ごろから江戸市内で広まり、明治時代に衰退するまでのあいだ、庶民から商人や武士など階層を超えて多くの人びとに好まれました。そんな浮世絵は、「木版による版本(はんぽん)の挿絵」、「木版による一枚絵」、「肉筆浮世絵」と大きく3つの分類に分けられます。

そのうち「木版による一枚絵」は江戸後期になると、木版画としては当時世界トップクラスともいえるカラー技術を確立。数百から万単位までの大量印刷を行い、数えきれないほどの作品を世に送り出すことに成功します。これが現代でいう「浮世絵」です。

浮世絵を最初に広めた絵師は、菱川師宣といわれています。師宣は安房国(現・千葉県南部)出身の絵師で、若くして江戸に出て絵を学び、絵師となった人物です。

見開き2ページにわたる絵を展開するなど絵入り版本の魅力を世に広げ、1672年刊行の絵入り版本『武家百人一首』に絵師名を初めて掲載します。また、版本から絵を独立させ「一枚絵」という鑑賞用の浮世絵を誕生させました。

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菱川師宣《見返り美人図》元禄(1688-1704)前期

「菱川師宣」の名前だけではピンとこないかもしれませんが、東京国立博物館が所蔵する《見返り美人図》を観ると・・・ああこの人か! と思う方も多いのでは? 本作は、師宣の代表作です。

肉筆浮世絵のジャンルとしても代表的な本作。当時流行していたファッションや、文化をひも解く上でも重要な作品とされています。女性の美しい表現や、江戸の人たちのようすを生き生きと描いた師宣の作風は、のちの浮世絵の基本様式となりました。

浮世絵の誕生

1670年ごろに広まり始めた浮世絵は最初、墨1色で摺られた「墨摺絵(すみずりえ)」と呼ばれていました。1688年ごろになると墨摺絵1枚ずつに筆で色を塗る「丹絵(たんえ)」と呼ばれる手彩色が始まり、浮世絵のカラー化が進みます。

1716年ごろからは、紅花から採れる鮮やかな赤色が特徴の「紅絵」や墨の部分に光沢を出す技法である「漆絵(うるしえ)」という手彩色も行われるようなりました。

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鈴木春信「夜の梅」1766年
浮世絵の祖である菱川師宣の登場から約100年後の1765年ごろ、多色摺りが開発されます。当時、絵暦(えごよみ)と呼ばれる絵入りのカレンダーを交換する「絵暦交換会」というイベントが裕福な商人たちのあいだで大流行していました。

美的欲求の高いスポンサーを得た彫師や摺師たちは、与えられた予算を惜しみなく使い、より美しい絵暦を作り出すことに全力を尽くします。その開発メンバーには、鈴木春信という絵師もいました。

彼らによって開発された多色摺りで制作された浮世絵は、錦絵(にしきえ)と呼ばれています。また、高級織物のひとつである西陣織のように美しいため「吾妻錦絵(あずまにしきえ)」とも呼ばれていました。

絵師だけじゃない!浮世絵を支える人びとに注目

浮世絵版画は、企画・出版などプロデューサーのような立場である「版元(はんもと)」、私たちが良く知る「絵師」、それから絵師が描いた下絵を版木に彫る「彫師(ほりし)」、彫師が彫った版木に着色し、それを紙に摺る「摺師(すりし)」の4人がチームを組んで生み出されます。

浮世絵=絵師に目が行きがちですが・・・彫師、摺師の超絶技巧にも注目ですよ。まずは、彫師のスーパーテクニックをご覧ください。

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歌川国芳「東海道五十三次之内 白須賀 猫塚」1852年

本作には、歌舞伎役者の三代目尾上菊五郎(おのえ きくごろう)が演じた化け猫が描かれています。この化け猫の逆立った髪の毛にご注目。なんと、長い極細の毛が途切れることなく1本1本きれいに彫り表されています。

髪の生えぎわ部分で1mmのあいだに4本の線を彫るという、驚異の技術を持つ彫師もいたそうです。これが機械ではなく人の手によって表現されていることに驚きです!

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喜多川歌麿「難波屋おきた」1793年

摺師も彫師同様に、独自の技術を磨いています。こちらは、美人画の名手である喜多川歌麿の「難波屋おきた」という作品です。難波屋という茶屋で働くおきたという女性をモデルにした本作。彼女は歌麿好みの美女で、実際に彼女目当てに多くの客が難波屋に来るほどだったそうです。

彼女の背景は「雲母摺(きらずり)」と呼ばれる技法が使われています。鉱物の雲母(うんも)を粉末にしたものを膠(にかわ)と絵の具に混ぜたものを塗ることで、背景がキラキラと輝いているように見えます。

このほかにも色の濃さをゆるやかに変える「ぼかし」や、絵の具を使わないで強調したいところを半立体的に浮き立たせる「空摺(からずり)」などという技法もあります。

浮世絵版画の最後の仕上げを担当する摺師は、作品を最高のものにするためにいくつも技を生み出していったのです。

浮世絵を美術館で鑑賞するときは、絵だけではなく彫りや摺りにも焦点を当てて観覧してみてくださいね。

浮世絵が観られるミュージアム

太田記念美術館

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かつて東邦生命保険相互会社の社長を務めていた五代太田清藏(1893-1977)が収集した浮世絵コレクションを、広く公開するために設立された太田記念美術館。都心でも数少ない浮世絵専門の美術館として知られています。

太田記念美術館公式サイト

すみだ北斎美術館

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撮影:尾鷲陽介

浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)が生まれ、生涯のほとんどを過ごしたゆかりの地に建つすみだ北斎美術館。北斎およびその弟子の作品を紹介するほか、北斎と「すみだ」との関わりなどについて皆様にわかりやすく伝える展覧会を数多く開催しています。

すみだ北斎美術館公式サイト

このほかにも、浮世絵を所蔵するミュージアムは日本国内に多数あります。気になる方はぜひ調べてみてね。

おわりに

日本人になじみ深い美術品である「浮世絵」について詳しくご紹介しました。いかがでしたでしょうか。

現代では熱心なコレクターもいるほど美術品として価値のある浮世絵ですが、江戸時代は庶民でも気軽に変えるアートだったことに驚きですね!

浮世絵はやがて江戸を飛び出し、ゴッホやモネといった印象派の画家たちをはじめとする海外の作家に「ジャポニスム(日本趣味)」として大きな影響を与えました。とくにゴッホは浮世絵をとても気に入り、たくさん買い集めては油絵で浮世絵の模写にチャレンジしていたそうです。

浮世絵と印象派については、またの機会に本コラムでご紹介できればと思います。

 

さて次回は、名所絵を極めた風景画の達人である「歌川広重」について、詳しくご紹介します。お楽しみに!

【参考書籍】
・矢島新『マンガでわかる「日本絵画」の見かた 美術展がもっと愉しくなる!』誠文堂新光社 2017年
・稲垣進一『新装版 図解 浮世絵入門』河出書房新社 1990年
・深光富士男『面白いほどよくわかる 浮世絵入門』河出書房新社 2019年
・田辺昌子『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい 浮世絵』東京美術 2019年