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2024年11月21日
今回の「10分でわかるアート」では、現代の妖怪の祖とも言える絵師「鳥山石燕」について、詳しくご紹介していきます。
妖怪画が好きな人のあいだでは、有名な浮世絵師である鳥山石燕(とりやませきえん、1712-1788)。
石燕の活躍については、石燕の弟子であった美人画の名手である喜多川歌麿の伝記の中でその名前が出るだけで、謎多き絵師でもあります。
石燕は、江戸城で将軍や重役、登城した大名たちを世話し、調度を整えたりする御坊主衆(おぼうずしゅう)として勤めていたと記録が残っています。
画法は、狩野派の狩野玉燕(かのうぎょくえん)に学んだとされる石燕。
代表作である『画図百鬼夜行』に目立つ豪快な筆致は、その影響を受けていることを示しています。
17世紀後半になると、国宝《見返り美人図》で有名な菱川師宣(ひしかわもろのぶ)によって版本挿絵としての様式の基礎がつくられ、それが浮世絵として発展します。
石燕も浮世絵版画に興味を持ち始め、1770年に俳諧や浮世絵の流派を創始。
この頃、歌麿の師匠となりました。
『画図百鬼夜行』や『今昔画図続百鬼』などの妖怪図鑑シリーズ以外、確認されている作品が極めて少ない石燕の作品。
雑司が谷鬼子母神の「大森彦七図」(東京都有形文化財)や、秩父二十六番札所円融寺の「景清(かげきよ)牢破り」などの扁額(*)も、石燕が描いたとされています。
*扁額(へんがく):門戸や室内などに掲げる横に長い額のこと。
1788年8月3日、77歳で没した石燕。浅草の光明寺に埋葬され、今でもそこで静かに眠っています。
後世の妖怪画に大きな影響を与えた石燕。
『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるも、石燕の妖怪画からヒントを得ていたと言います。
妖怪画を語る上で欠くことのできない作品である『画図百鬼夜行』。
一体そのなかには、どのような妖怪がでてくるのでしょうか。
『画図百鬼夜行』のなかから、私たちも良く知る有名な妖怪をピックアップして紹介します。
頭にお皿を載せた水辺の妖怪である河童。「川太郎」とも呼ばれています。
キュウリと相撲を好むとされおり、人や馬に害を与えるいたずら好きな妖怪です。
その反面、田植えや草むしりも手伝うこともあるのだそう。
悪さばかりをする妖怪ではないようですよ。
石燕が描くような、白衣に下ろした長い髪、それに足のない姿は今ではポピュラーな雪女の姿と言えます。
雪女は、多くの書物に登場する人気の高い妖怪です。
1685年刊行の『宗祇諸国物語(そうぎしょこくものがり)』では、20歳ぐらいの若い女性で、肌は透きとおるように白く、絹の白い単衣の着物を着て、竹やぶの端に立つ姿が描かれています。
この頃には、石燕が描くような姿が確立されていたのかもしれません。
ちなみに、作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』の「雪おんな」という話も有名です。
『今昔画図続百鬼』のなかにも、美術界で有名な妖怪が登場します。その一部をご紹介。
こちらは、酒呑童子です。
丹波(現在の京都府中部と兵庫県東部にまたがる地域)の大江山に住んでいたとされる伝説上の鬼の頭。
源頼光が四天王をひきいて退治した話を元に描かれた『酒呑童子絵巻』が有名です。
『酒呑童子絵巻』は、サントリー美術館(六本木)が所蔵しています。
現在の「妖怪」のイメージを確立した絵師・鳥山石燕について詳しく紹介しました。
石燕は、河童や酒呑童子などの妖怪のほか、博物学を元に自ら新しい妖怪を創作しています。
彼が生み出した妖怪の数は、なんと200種類を超えるのだそう!
全部調べてみると、新しい妖怪の姿が見えるかもしれませんよ。
【参考書籍】
・矢島新 監修『マンガでわかる「日本絵画」のテーマ 画題がわかれば美術展ももっともっと愉しくなる!』株式会社誠文堂新光社 2019年
・和田京子『妖怪萬画 Vol.2 絵師たちの競演』株式会社青幻舎 2012年
・高田衛 監修『鳥山石燕 画図百鬼夜行』株式会社国書刊行社 1992年
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、現代の妖怪のイメージを形作った絵師「鳥山石燕」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。