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2024年11月21日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、スペインのバロック美術を代表する画家、ディエゴ・ベラスケスについて詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
スペイン・セビーリャは、フラメンコの本場の町として有名で、多くの観光客が訪れる観光都市です。そんな活気あるセビーリャの貴族の血筋を引く家庭に、ディエゴ・ベラスケス(1599-1660)は生まれました。
7人兄弟の長男であったベラスケス。何をやっても優等生な彼でしたが、一番熱心に取り組んだのは絵を描くことだったといいます。
12歳から6年間、当時のスペイン画壇を代表するフランシスコ・パチェーコの工房で修業し、ベラスケスは絵画の技術と豊かな教養を身につけました。その才能を師であるパチェーコも認め、ベラスケスは彼の娘・フアナと結婚します。
その後のベラスケスは、セビーリャにて宗教画などを中心に描いていましたが、24歳でマドリードに拠点を移し、そこで国王フェリペ4世の宮廷画家として活躍するようになりました。
フェリペ4世は政治の面ではパッとしませんでしたが、芸術を大切にした国王で、スペインでもっとも有名なプラド美術館のコレクションを充実させた人物として知られています。
そんな国王に、大変気に入られていたベラスケス。彼は王族の肖像画を一任されて多くの傑作を描き残しました。そのうちの一つが、代表作である《ラス・メニーナス》です。
ディエゴ・ベラスケス《ラス・メニーナス》1656年
《ラス・メニーナス》の中で、天井にまで届く巨大なカンバスの前に立っている人物は、ベラスケス本人です。
絵の中のベラスケスの左胸に注目してみると、騎士団の称号を意味する「赤い十字架」が描かれています。画家の地位が決して高くなかった当時、ベラスケスが爵位の称号を手にするのは大変名誉なことでした。
ディエゴ・ベラスケス《ラス・メニーナス》(部分)1656年
実は本作を描いた8か月後に、ベラスケスは過労死しています。しかしその時、まだ彼は騎士団の称号を持っていなかったそう。
ならば、いったい誰が絵の中のベラスケスに、赤い十字架を添えたのでしょうか? 一説によると、フェリペ4世が描き加えたとか・・・今もなおベラスケスの胸に描かれた赤い十字架は、研究者のあいだでも謎とのことです。
1623年、ベラスケスは芸術家としてのキャリアをより深くするため、マドリードへ引っ越します。当時、24歳。このマドリードへの引っ越しが、彼の人生のターニングポイントとなります。
彼がマドリードで最初に手がけた仕事は王宮からの依頼でした。
当時の宰相・オリバレス伯公爵から、まだ若いスペインの国王であったフェリペ4世の肖像画を描くよう依頼されたベラスケス。その依頼を受けた彼は《黒衣のフェリペ4世》という肖像画を描き上げました。
肖像画は通常、依頼主をちょっときれいに、または、ちょっとかっこよくと、理想の姿を描くことが重要視されていました。しかし、ベラスケスが描いたフェリペ4世は、華やかに飾り立てることなく、質素で味気ない衣装をまとった姿でした。
本作を観たフェリペ4世は、カトリックの修道士のような禁欲的なようすに、理想的なスペイン王として描いてくれたと大喜び! たちまち評判となり、ベラスケスは宮廷画家として働くよう指名を受けます。
その後フェリペ4世は、たびたびベラスケスのアトリエへ自ら出向くようになったといいます。その際は、なんと自分で椅子を持参し、肖像画を描いてもらっていたのだとか!
2人が仲良くしている姿を見て多くの宮廷画家は、「自分たちの方が、ベラスケスよりも絵が上手いのに、彼ばかりひいきして!」と考え、嫉妬していたそうです。
そんな芸術に惜しみなく投資するフェリペ4世に大変気に入られていたベラスケスは、画家としてだけでなく、王宮の重職も担うことになりました。1627年以降は、王室配室長などの要職も歴任したため、ベラスケスの生活は多忙を極めました。
ベラスケスは29歳のとき、外交官としてスペインに訪れたフランドル絵画の巨匠・ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)と仲良くなります。
2人はマドリードにあるエル・エスコリアル宮に行き、絵画鑑賞をしながら芸術論を交わしたそう!
とある会話の最中、ルーベンスは「イタリアに行ったことあるか」とベラスケスに尋ねました。
当時のベラスケスは、宮廷画家でありながら国王フェリペ4世のお気に入りでもあり、かなり多忙の身。そんな彼が長く国を空けることは、とてもできないことでした。
しかし、ルーベンスからイタリアに行くことを強く勧められたベラスケス。30代~40代のころに、念願のイタリア旅行を果たすこととなります。
ベラスケスの作品で唯一現存する裸婦像である《鏡のヴィーナス》は、イタリアにいるときに描かれた作品です。
ベラスケスがどうしても描きたかったというヌード画ですが、厳格なカトリック教国であるスペインでは、なかなか描く機会がなかったといいます。
ディエゴ・ベラスケス《鏡のヴィーナス》1644年
ちなみに本作は、イタリアの画家・ティッツァーノの《ウルビーノのヴィーナス》を真似して描いたそう! イタリア旅行は、彼にとって新しい絵画表現を目覚めさせるものでした。
スペインのバロック美術を代表する画家、ディエゴ・ベラスケスについて紹介しました。
画家でありながら、国王に気に入られたベラスケス。モデルを理想化することなく、鏡に映し出されたように描くことを徹底していたといいます。
そんなベラスケスの作品は、19世紀に入ると、印象派の画家たちから「画家のなかの画家」と称賛され、評価は世界的に高まりました。
彼の作品の多くは、プラド美術館が所蔵しています。機会があったらぜひ、こちらの美術館にも足を運んでみてはいかがでしょうか。
次回は、バロック美術について、詳しくご紹介します。お楽しみに!
【参考書籍】
・早坂優子『巨匠に教わる 絵画の見かた』株式会社視覚デザイン研究所 1996年
・早坂優子『鑑賞のための 西洋美術史入門』株式会社視覚デザイン研究所 2006年
・岡部昌幸 監修『西洋絵画のみかた』成美堂出版 2019年
・佐藤晃子『名画のすごさが見える 西洋絵画の鑑賞事典』株式会社長岡書店 2016年