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2024年11月21日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、もっとも有名な浮世絵師として世界中で知られる「葛飾北斎」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
江戸時代を代表する浮世絵師である葛飾北斎(1760-1849)。「ホクサイ」という名前は、日本にとどまらず世界中で知られています。
6歳のころから絵を描くことが好きだったという北斎。19歳で浮世絵師・勝川春章(かつかわ しゅんしょう/1726-92)の下に弟子入りし、翌年勝川春郎の名前で役者絵を描いてデビューを果たします。以降70年間、北斎は画業一筋の人生を歩み始めました。
北斎はこの70年のあいだに、絵師としての名前である「雅号(がごう)」をなんと30回も変更しています。春郎の名前は約15年間使っていました。このころは、個性のない平凡な役者絵を中心に版本の挿絵などを描いていたといいます。
北斎が手掛けた絵草紙屋(書店のような場所)の看板絵が、兄弟子・春好に酷評されます。この評価がきっかけとなり、北斎は琳派などのさまざまな絵画様式を学ぶようになりました。
葛飾北斎「二美人図」(重要文化財)江戸時代(19世紀)
36歳のときには江戸琳派の俵屋宗理(二代目)を襲名。作風を一変させ、美人画や肉筆画などを描くようになります。そのあとに、現在広く知られるようになった「葛飾北斎」の雅号を使うようになりました。
北斎の名では、錦絵や読本、絵手本などを作画。45歳のときには寺の庭に120畳大の厚紙を敷いて、大瀬の前で達磨絵を描いたそうです。
雅号をコロコロと変えながらも、一切筆を休ませることのない北斎。70歳を過ぎると代表作である「冨嶽三十六景」シリーズを出版します。
1831~34年ごろに制作された「冨嶽三十六景」シリーズ。富士山を主題に36枚を描いた有名な風景画のシリーズです。好評につき、さらに10枚を追加し、計46枚で完結しました。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」1831-34年
通称「赤富士」と呼ばれている本作は、世界的に知られている作品のひとつです。南風が吹く晩夏の早朝、良く晴れた日に見える赤く染まった富士山のようすが見事に描かれています。
りんかく線以外の藍色は、西洋から輸入した化学合成品のプルシアンブルー(ベロ藍)を使用。ベロ藍は、従来の植物染料より鮮やかで発色がいい科学染料です。こうした、当時の最先端の画材も北斎は積極的に使っていました。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」1831-34年
「赤富士」と並ぶ有名な本作は、ダイナミックな大波の描写で世界的に知られている傑作です。波しぶきを上げる荒れた海の中を、鮮魚を江戸に運ぼうとする「押送船(おしおくりぶね)」が大きく揺れています。
画面中央に描かれた富士山は遠景でも存在感が感じられ、北斎の優れた構図感覚や新しい表現方法に世界の芸術家たちが驚かされました。
90歳で亡くなる直前まで筆を握り、生涯現役を貫いた北斎。浮世絵版画以外にも、版本の挿絵や肉筆画なども手がけました。
とくに版本は、力強い描写やダイナミックな構図などで読者を圧倒し、高い人気を誇っていたそう。当時流行した作家・曲亭馬琴(きょくてい ばきん/1760?-1849)の『南総里見八犬伝』などの作品をはじめ、活字の世界を圧倒的な表現力で絵画化しました。
北斎と馬琴の関係を語る上で、とても有名なエピソードがあります。それは1812年に刊行が予定されていた『占夢南柯後記(ゆめあわせなんかこうき)』という作品で、馬琴が「登場人物の口にぞうりをくわえさせる挿絵を描いてほしい」と依頼したところ、北斎はなんと・・・
「誰がこんな汚いぞうりを口にするものか。そんなに言うのなら、まずあんたがくわえてみたらどうだ。」
と強気な言葉を放ったそう。もちろんクライアントの馬琴は大激怒! この発言により、北斎と馬琴は絶縁状態になってしまったそうです・・・。
1853年、神奈川県の浦賀沖にペリーが黒船に乗って来航したことにより、日本は200年以上続いた鎖国を解除しています。それにより海外と再び交易を始めました。
1856年に、画家ブラックモンドは日本から送られてきた陶器のパッキング用の包み紙に使用された北斎のある作品を見つけます。それは15編からなる北斎の代表的な絵手本『北斎漫画』でした。
ブラックモンドは、『北斎漫画』に描かれた生き生きとしたデッサンを見て大変驚いたといいます。彼はすぐに『北斎漫画』を友人の画家であるマネや、ドガなどの画家たちに見せて回りました。
日本の美を発見した当時のヨーロッパの画家たちのあいだにやがて、ジャポニスムが広がり始めます。彼は浮世絵の中からヨーロッパの伝統にない表現を吸収して、印象派を生み出しました。
国内外でもっとも有名な浮世絵師である葛飾北斎について、ご紹介しました。いかがでしたか?
90歳で亡くなるまで、肉筆画などを描き生涯現役を貫いた北斎。今回ご紹介したエピソードのほかにも、93回も引っ越すという変わり者のエピソードもあります。
馬琴とのエピソードにもあるようにとても頑固者で、また衣服にはまったく興味がなくみすぼらしい服を過ごしていたなど・・・掘り下げるとキリがないくらい、さまざまなエピソードがあります。
本記事で北斎について興味を持たれた方は、ご自身でも調べてみてはいかがでしょうか。
次回は、日本美術を代表する「浮世絵」について、有名な作品とあわせて詳しくご紹介します。お楽しみに!
【参考書籍】
・矢島新『マンガでわかる「日本絵画」の見かた 美術展がもっと愉しくなる!』誠文堂新光社 2017年
・稲垣進一『新装版 図解 浮世絵入門』河出書房新社 1990年
・深光富士男『面白いほどよくわかる 浮世絵入門』河出書房新社 2019年
・田辺昌子『アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい 浮世絵』東京美術 2019年