ウィリアム・モリス/10分でわかるアート

10分でわかるアートとは?

10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。

作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。

今回は、アーツ・アンド・クラフツ運動で知られる「ウィリアム・モリス」について詳しくご紹介。

「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。

ウィリアム・モリスとは

イギリスを代表する工芸家、装飾家のウィリアム・モリス(1834-1896)は、ロンドン近郊で生まれました。

1855年、モリスはイギリス画壇を代表する画家エドワード・バーン=ジョーンズ(1833-1898)とともにフランスを訪れた際に、フランドル絵画やゴシック様式の大聖堂を鑑賞したことをきっかけに建築家になることを決意します。

その後、ロセッティなどのラファエル前派の画家たちと壁画制作を経て、デザイナーとしての活動を始めました。

19世紀後半のロンドンでは、産業技術が向上し、ものづくりの機械化が進みます。そうした機械での大量生産をモリスは否定し、手工芸品を復活させるアーツ・アンド・クラウツ運動を立ち上げ、中心人物として活躍します。

自らデザインした家具や装飾美術品を製造販売するためにモリス商会を創立し、職人の手わざ復活に貢献しました。

壁紙やタペストリー、インテリアなどを手掛け、自然の木や草花をモチーフとした作品が特徴です。ここでは代表作をいくつか紹介します。

ストロベリーシーフ


ウィリアム・モリス《ストロベリーシーフ》1883年

モリスデザインの中では人気の《ストロベリーシーフ》。彼の代表作のひとつです。日本では「いちご泥棒」と呼ばれ、モリスデザインの中でも非常に人気のある作品です。

本作はモリスが庭仕事している際に、度々小鳥たちにいちごをついばまれたという、ほほえましいエピソードから生まれたデザインだといいます。

そんなエピソードから生まれた可愛らしい本作は、日本の着物や壁紙からも影響を受けているそうです。

アネモネ


ウィリアム・モリス《アネモネ》1881年

《アネモネ》は、壁紙としてデザインされた作品です。

大きく描かれた青いアネモネと、それを際立たせるみずみずしい緑の配色が美しい本作は、ヴィクトリア&アルバート博物館に所蔵されています。

ウィローボウ


ウィリアム・モリス《ウィローボウ》1887年

本作はモリスのお気に入りであったロンドンにあるテムズ川岸の柳が描かれています。

自然から得たインスピレーションを文様へと工夫して描かれた本作。重なり合う柳の葉の流動的な流れを感じる作品です。

アカンサス


ウィリアム・モリス《アカンサス》1875年

地中海沿岸地方に野生するとげのある多年草の植物アカンサスの葉は、古代ギリシア建築のコリント式やコンポジット式柱頭などに見られるヨーロッパを代表する装飾文様のひとつです。

モリスの《アカンサス》は、大きく葉だけが描かれ、見事な曲線美を表現しています。

生活の基本は「美」。美しさ、手作業にこだわったモリス

18世紀後半から産業革命が起こったイギリスでは、機械によって物が大量生産されました。それにより、商品をより安く人びとに提供することができるようになります。

しかしモリスは、機械による大量生産を良くは思っていませんでした。

モリスは「機械はものをつくる労働の喜びをなくし、粗悪な形を作る。生活に必要なものこそ美しくあるべき」と主張し、産業革命以前の職人による手仕事を再び復活させようとします。

そこでモリスは生涯の友である・エドワード・バーン=ジョーンズと、モリスの家である《レッドハウス》を設計した建築家のフィリップ・ウェッブの3名で手工芸品を復活させるアーツ・アンド・クラフツ運動を立ち上げました。

「手仕事の美しさ」を人びとに感じてほしいと願ったモリス。

しかし、一つひとつ手で作り上げるモリスの作品は、庶民たちからはとても手が届かない高価なものとなってしまい、一部の裕福な好事家向けの物となってしまいました。

美しい「本」を目指し、ケルムスコット・プレスを創設

ケルムスコット・プレス版「ジェフリー・チョーサー作品集」(1896年刊行)は、モリスの本づくりの集大成となる作品です。

中世イギリスの詩人ジェフリー・チョーサー(1343-1400)作の『カンタベリー物語』をテキストとした本作。

バーン=ジョーンズが挿絵を、モリス自身は題扉、大型縁飾り、装飾頭文字のデザインを担当しました。

しかし、モリスは本作完成後の1896年10月に、持病が悪化して62歳でこの世を去ります。

モリスの墓標は、アーツ・アンド・クラフツ運動の立ち上げメンバーの一人である建築家フィリップ・ウェッブが手がけました。

おわりに

機械による大量生産に逆らうように、職人による手仕事にこだわったウィリアム・モリス。

結局は手作業で作り上げる作品は時間もかかり、安価にはできず、モリスの願望通りにはうまくいきませんでしたが、作り手としての大切な意識は現在につながっていると思います。

【参考書籍】
・池上英洋『いちばん親切な西洋美術史』株式会社新星出版社 2016年