最後の浮世絵師 月岡芳年/芦屋市立美術博物館

武者絵から美人画まで変幻自在。月岡芳年は「血みどろ」だけじゃない!【芦屋市立美術博物館】

2023年8月22日

「最後の浮世絵師 月岡芳年」/芦屋市立美術博物館

高級住宅街として知られる芦屋。明治後期から昭和初期、当地は「阪神間モダニズム」と呼ばれるハイカラなライフスタイルや芸術が育まれました。

世界的に再評価される前衛美術集団・具体美術協会ゆかりの地でもあり、芦屋市立美術博物館はそのコレクションでも有名です。


芦屋市美術博物館外観

緑豊かな住宅地の一角に、美術館らしからぬとっても可愛いらしいカラーリングの建物が。

館内には、明るく開放感あふれる吹き抜けのエントランスホールが広がっていました。


エントランスホール

芦屋市美術博物館では現在、特別展「最後の浮世絵師 月岡芳年」が開催中です。

幕末~明治期に活躍し「最後の浮世絵師」と言われる月岡芳年。

現代のマンガ・アニメにも通じると評判の芳年の作品の数々をぜひこの目で!と、同館の展示を取材してきました。

本会場を観る前に・・・芳年関連の作品を鑑賞

さっそく2階の展示室へ・・・その前にぜひ立ち寄ってほしいのが、1階の「歴史資料展示室」。

今回の企画展にあわせ、月岡芳年関連の錦絵が展示されているんです。


歌川国芳《泉水舟乗初》1847~52年 片岡家蔵

月岡芳年は、「奇想の絵師」として人気を集める歌川国芳に12歳で弟子入りしました。

歴史資料展示室では師・国芳の作品をはじめ、兄弟弟子で芳年の良きライバルでもあった落合芳幾の作品も展示されています。

同門の作品を見比べることができる貴重な機会をお見逃しなく!

「血みどろ絵」で有名だけど、描いていたのはわずか数年


展示風景

歌川国芳一門の予習をしたところで、2階本会場へ。

壁一面に掛けられた芳年作品は総数150点。壮観です。

月岡芳年といえば「血みどろ絵」。

三島由紀夫や谷崎潤一郎、江戸川乱歩ら文豪たちが芳年の作品性に魅了され広めたため、ホラー調ばかりが有名になりました。

しかし、芳年が血みどろ絵を描いていたのは、初期のわずか3年ほどと短い期間でした。

ちょうど幕末の混乱から血生臭い事件が相次いで、怪談話が流行していた時期。「血みどろ」はそんな時流に乗ることを考えた版元からの要請だったのです。

ストーリー性のある画面
マンガ・アニメの原点と言われる理由

現代のマンガ・アニメの祖とも称される、芳年のストーリー性豊かな作品をご覧ください。


《一魁随筆 一ッ家老婆》1872年

歌川国芳の正統派弟子である芳年。国芳が得意とした武者絵や歴史絵は、芳年も数多く残しています。

この作品は、一軒家に棲む老婆が泊めた旅人を殺めて金品を奪う、鬼婆伝説を描いたものです。

寝入った旅人の頭へ落とすため、石を吊り上げている綱を切ろうとする老婆。その腕をつかんで必死に止める娘。ピンと張りつめた綱から緊張感が伝わってきますね。


《新撰東錦絵 鬼神於松四郎三朗を害す図》1886年

逆巻く川の流れと振り上げられた艶やかな振袖が目を惹きますが、振り上げた女性の手に握られているのは短剣。夫を殺した男を油断させて、復讐の一撃を加えるその瞬間です。

剣を振り下ろしたタイミングではなく、芳年は振り上げた一瞬を切り取りました。

「事件が起ころうとする張りつめた空気」が凝縮され、見る者に決定的瞬間を想像させるのです。


《新形三十六怪撰 源頼光土蜘蛛ヲ切ル図》1892年

こちらは、幽霊や妖怪などさまざまな怪奇をテーマとした揃物「新形三十六怪撰」の一枚。

土蜘蛛の化物をいま、まさに切らんとする瞬間です。

それにしてもこの土蜘蛛、愛嬌がありませんか?

揃物のタイトルも「三十六歌仙」のもじっており、芳年のユーモアが垣間見えます。

大迫力のパノラマ画面「続物」


《偐紫田舎源氏》1884年

紙を二枚続、三枚続にしてパノラマのように場面を表した「続物(つづきもの)」。

当時は大きな紙を作るのが難しく、彫りや摺りの難易度も上がるので、続物という手段で迫力ある作品に仕上げました。

芳年は続物の名手だった師・歌川国芳を継承しつつ、より完成度の高い作品を生み出したのです。

芳年もう一つの真骨頂「美人画」

芳年といえば「血まみれ」が代名詞なんて言わず、ぜひ見てもらいたいのが美人画。

芳年特有の細い線が描く美人画は、なんとも美しいのです。


《風俗三十二相 にくらしさう 安政年間名古屋嬢の風俗》1888年

「あーら、いやだ!」って黄色い声が聞こえてきそう。隣にいるのは女友達?それとも男性でしょうか。

芳年全盛期の傑作「風俗三十二相」の中の一枚で、タイトルは「にくらしさう」。32枚すべての作品の副題が「〇〇さう(そう)」なんですって。

あえて背景を描かず、人物の仕草と表情だけで情景を描き出しています。

今も昔も、世間はゴシップが好き
写真週刊誌のような報道画


《郵便報知新聞 第五百六十五号》1875年

情報媒体が発達する以前、浮世絵は「メディア」の一面も持っていました。

大衆の求める巷のゴシップを絵入りで発行したのです。現代の写真週刊誌ですね。

芳年は挿絵師としても活躍しました。

芳年・画業の集大成「月百姿」

展示の最後を飾るのは、芳年の集大成とされる「月百姿(つきひゃくし)」
芳年は晩年の8年間、古今東西の人物や妖怪、幽霊までも「月」を背景に描き続けました。


《月百姿 玉兎 孫悟空》1889年

画面からはみ出すほど大きな月をバックに、踊るように如意棒を操る孫悟空。

躍動感あふれる一瞬を捉えながらもなぜか静寂を感じる、そんな一枚です。


《月百姿 朧夜月 熊坂》1887年

この二枚は、版画ならではの表現が。刷り色を替えた「変わり摺」です。

背景色が違うと、画の印象が全く違って見えますね。

余白にまではみ出して描かれた衣装や槍にもご注目。芳年は、絵に迫力を出すためにしばしば枠をはみだした構図をとりました。


《月百姿 はかなしや波の下にも入ぬへし つきの都の人や見るとて 有子》1886年

悲恋物語を描いたこの作品は、海に映る月の光がただただ美しく、思わず見入ってしまいます。

「血みどろ芳年」の影はどこにもありません。


《つき百姿 盆の月》1887年

楽しそうな庶民を生き生きと描いた、こんな作品も。

多くの作品を間近に見て驚いたのは、線の細さ。他に類を見ない細い線を自在に操り、武者絵から優雅な美人画まで幅広いモチーフを、文字通り生き生きと表現しているんです。

それが師・国芳ゆずりの大胆な構図と相まって、現代のマンガ・アニメの原点という評価に結びつくのでしょう。

 

最後の浮世絵師・月岡芳年独特の線を見事に再現した彫師、摺師の技術にも唸らされました。

ぜひ「血みどろだけじゃない」月岡芳年を、間近でご鑑賞ください。きっと新たな発見があるはずです。

Exhibition Information