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2024年11月1日
翻訳できない わたしの言葉/東京都現代美術館
東京都現代美術館にて2024年7月7日(日)まで、現代アートのグループ展「翻訳できない わたしの言葉」が開催されています。
5名のアーティストが映像やインスタレーションを通して、それぞれの「わたしの言葉」についての思索を示しています。
言葉について説明する展覧会を想像されるかもしれませんが、そうではありません。
本展覧会では言葉や言葉を発する行為そのものやその権利について触れつつ、一人ひとりの違いや、自分とは異なる誰かの「わたしの言葉」を大切に思う機会を与えてくれます。
言葉はちょっとしたニュアンスや、文化、話している人などによっても伝わり方が異なります。「翻訳しようと思う」からこそ「翻訳できない」気持ちも生まれる。
アーティストそれぞれの作品から、「わたしの言葉」について向き合います。
会話のようすを描いた映像作品や身体感覚を使ったワークがあるところが、本展覧会の見どころ。
映像を観たり、身体感覚を研ぎ澄ませたりして、相手の話に耳を傾ける展示構成になっています。
新井英夫《からだの声に耳をすます》2024年 展示風景(部分)
ユニ・ホン・シャープは2005年に渡仏し、日本とフランスの2拠点で活動するアーティスト。
壁に映し出された映像作品では、フランス語を第一言語としている長女がユニ・ホン・シャープに「Je crée une œuvre(わたしは作品をつくる)」というフランス語のフレーズを教えているようすが上映されます。
フランス国籍をとったばかりのとき、あるフランス人アーティストからこのフレーズを何回も聞き返され「あなた、フランス人アーティストとしてやっていくのに、”Je crée une œuvre”をちゃんと言えないでどうするの」と叱られた経験から、作られた作品であるそうです。
ユニ・ホン・シャープ《RÉPÈTE | リピート》2019年
「正しい発音」でなければ「わたしの言葉」にならないのだろうか、と考える機会を与えてくれます。
向かいの壁には、2022年に沖縄で制作した作品を再構成したインスタレーションが展示されています。
ユニ・ホン・シャープ《旧題Still on our tongues》2022 /2024年 展示風景(部分)
ブルターニュ地方では19世紀初めから1960年頃まで、(地方言語ではなく)統一言語としてのフランス語を定着させるための言語政策がおこなわれていました。
なんでも、教育現場ではブルトン語を話した人に対して、罰として首に木靴や鉄の輪っかをかけていたという話です。
沖縄でも戦前、主に学校で本土の言葉を覚えることを目的として、沖縄の方言を使った際には「方言札」を罰としてかける言語政策がおこなわれました。
フランスと沖縄との歴史的な類似点を見出したユニ・ホン・シャープは、ブルターニュ地方のクッキーを方言札の形に作り、食べることにしたのだとか。
沖縄の言葉で書かれたクッキーのレシピは、会場で配布されています。
もちろん決して方言札を賞賛することではなく、クッキーにして食べることで「歴史を自分の糧にしていくという意味を込めて作った」と語ります。
マユンキキは日本列島北部周辺の先住民族アイヌであり、映像やインスタレーション(展示空間全体を使った3次元的表現)、パフォーマンスの表現を通して、現代におけるアイヌの存在を個人の観点から探求しています。
マユンキキ《Itak=as イタカㇱ》2024年 展示風景(部分)
(提供:東京都現代美術館)
部屋を模したこちらの展示は、マユンキキにとって安心できる空間をあらわしたのだそうです。
部屋に入る際には、パスポートに目を通します。
今、日本のなかでアイヌとして生きていく上で、自分の安全を確保することが難しいのだと語ります。そのため、作家のセーフスペースに入る前に、一度立ち止まって考えてほしいという意味でパスポートがあるのです。
マユンキキ《Itak=as イタカㇱ》2024年 展示風景(部分)
(提供:東京都現代美術館)
部屋に入る前、入ったあとにあるのは、映像作品。
本来第一言語になりえたかもしれないアイヌ語を大人になってから学ぶこと、自分が話す言語を自ら選択することの意義について対話するようすが映されます。
マユンキキ《Itak=as イタカㇱ》2024年 展示風景(部分)
南雲麻衣は、3歳半で失聴し、18歳で身につけた手話を第一言語としています。
南雲麻衣 Photo: k.kawamura
3つのエリアに分かれた映像作品《母語の外で旅をする》(2024年)では、母親と音声日本語で語り合っている場面、友人と日本手話で話をしている場面、パートナーと料理をしながら音声日本語と手話を交えておしゃべりしている場面が上映されます。
レゴを使って、家のなかのようすや思い出を話し合いながら鑑賞します。
《母語の外で旅をする》2024年 展示風景(部分)
南雲は手話のおかげで言語の基盤がわかり、自分のなかの母語をうまく使えるようになったといいます。
音声言語と視覚言語のどちらかを採用しなければならない二項対立ではなく、その間でゆれながら選択することで、第一言語主義へのささやかな抵抗を表現します。
新井英夫は障がいのある人や高齢者など、思いどおりに言葉を出しにくい人たちと向き合い、内なる「からだの声」に耳を澄ます”体奏家”。
2022年夏に難病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)の確定診断を受けたあとも、ケアする/されるを超越した活動を精力的に継続しています。
新井は、自身がおこなっていた非言語のワークショップから「ハキハキと話せない人は、言葉を持っていないのか。いや、まったくそんなことはない」ということに気づかされたと言います。
新井英夫《からだの声に耳をすます》2024年 展示風景(部分)
内面に障がいや生きづらさを抱えた人であっても、非常に豊かな、体の声のようなものを持っている。それははっきりとした音声言語や、文字言語になる前の感覚や感情の世界。
訪れた人に、それを感じてもらうためのワークを7つ選び、並べてあるとのこと。
「やっていただかないとわからないようなコーナーなので、できれば触ってみてください」と、新井は語ります。
新井英夫《からだの声に耳をすます》2024年 展示風景(部分)
金仁淑は韓国への留学を機にソウルに15年間居住後、現在ソウルと東京を拠点に制作活動をおこなっています。
滋賀県にあるブラジル人学校サンタナ学園での出逢いを、学校の日常を背景に映像作品で表現しています。
実はこの展示には、字幕がありません。なぜなら「文字の力がすごくて、文字情報だけが残ってしまうと思ったから」と、金は語ります。
150〜160のポートレートを8枚のパネルで映し出した本作品。観る場所、時間によってまったく変わる出逢いを楽しんでみてはいかがでしょうか。
東京都現代美術館では「ホー・ツーニェン エージェントの A」や「MOTコレクション」も同時開催されています。
シンガポールを拠点に活動し、東南アジアの歴史的な出来事、人物、神話、美術史などを横断的に探求する、ホー・ツーニェン。
映像やVR作品の数々が展示されています。
MOTコレクションでは、さまざまな時代や国にまたがる作家たちによる、多様な切り口の作品に触れられます。多岐にわたる技法から、私たちが生きる世界や社会への視座を高められるでしょう。
左)光島貴之《手ざわりの冒険》2019年 右)光島貴之 《ハンゾウモン線・清澄白河から美術館へ》(部分)2019年
/「MOTコレクション 歩く、赴く、移動する 1923→2020」展示風景(2024)東京都現代美術館
いずれも7月7日(日)まで見られますので、言葉について考える余韻を感じながら、足を運んでみてはいかがでしょうか。
それぞれ異なる言葉や価値観、背景を持っているからこそ難しいのが、言葉。
まさに、展覧会のビジュアルにも使われており、どこに散っていくのかわからない紙吹雪のように、簡単には手に収まらない。
ただ、その根底には「伝えたい」「わかりたい」という気持ちがあるのは共通しているように感じました。
人によってアウトプットの方法や考え方が違っても、わかろうと歩み寄ることはできると教えてもらったような気がします。
一人ひとり違うからこそ、誰かのそして私の「わたしの言葉」をつかもうとするために謙虚に考えていこうと、心に刻んで帰りました。