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2024年11月21日
世界遺産 大シルクロード展/京都文化博物館
砂漠を越えていくラクダの隊列。シルクロードと聞いてそんな光景が思い浮かぶ人も多いのではないでしょうか。
ユーラシア大陸を横断し、紀元前から東洋と西洋を結んできた大交易路・シルクロードは、2014年に「長安-天山回廊の交易路網」として世界遺産に認定されました。
認定以降、中国国外では初めての大規模なシルクロード展が、京都文化博物館で開幕しました。
日本の国宝にあたる中国「一級文物」44点を含む約200点が展示されています。
シルクロード周辺にはイラン系、トルコ系、モンゴル系などさまざまな民族が暮らしていました。
中国ではこれら民族を「胡人(こじん)」と呼んでいました。
北方草原地帯に住む民族特有のデザインだそうです。
高さ16cm程と大きくはないですが、遠くからでも輝きが目を惹く美しい金杯です。
散りばめられた赤い瑪瑙(めのう)がとても特徴的。上部が凹んでいますが、もとは丸い形だったのでしょう。
イラン系民族のソグド人はキャラバンを組んでオアシス都市を往来し、シルクロード交易の中心を担っていました。
これはソグド語で記された手紙。縦書きですが、漢文や日本語と違って左から右へ読み進めます。
極彩色の絵は相手への敬意を示すものだそう。
ソグド文字は失われましたが、ウイグル文字やモンゴル文字に影響を与えたといいます。
近年注目されているのが、もう一つのシルクロード『青海の道』。メインルートとは別の道で、最近の発掘調査で詳細が明らかになってきました。
この地を支配したのが吐蕃、古代チベット民族です。長い上着にハーフブーツのチベットの服装ですが、頭のターバンがこの時代の特徴です。
シルクロードの要衝(*)トルファンのアスターナ古墓群は「砂漠の正倉院」とも呼ばれます。
*要衝(ようしょう):交通・軍事・通商の上で、大切な地点のこと。
内陸砂漠の極端に乾燥した気候のおかげで、紙や布、木造品などの遺物が驚くほど良好な状態で発掘されました。
この履物もそのひとつ。1,300年前のものとは思えないほど美しい文様がはっきりと見てとれます。
奈良の正倉院には、これに似た靴が収められています。
東西交易の舞台となったシルクロード。その周辺ではさまざまな国のコインが行き交っていました。
シルクロードの国際通貨だったササン朝ペルシア銀貨をはじめ、東ローマ帝国の金貨、日本の和同開珎も出土しています。
シルクロードといえばラクダ。古代中国の人びとにとっても異国情緒の象徴でした。
この駱駝(らくだ)は、唐の時代、主に副葬用につくられた陶製のもの。これら陶器は緑、黄、白の三色の組み合わせが多いことから「唐三彩」と呼ばれています。
駱駝の背に積まれた荷物。右側のこぶに吊るされているのは、持ち手付きの水差し。ソグド製の銀の水差しを模しています。
その水差しの影響を受けてつくられたのがこの瓶。
把手(とって)が注ぎ口と胴から生えるのがソグドの水差しの特徴で、胡人の使う瓶「胡瓶」と呼ばれていました。
陶器「唐三彩」には、西域の文化をモチーフに採り入れた品が数多く残されています。
こちらは西域で用いられていた、動物の角で作る角杯を模したもの。
東西交易で重要な役割を果たしたソグド人の姿も残されています。
イラン系民族やソグド人は、目が大きく鼻が高い彫りの深い顔立ち、蓄えたひげ。堂々とした出で立ちです。
漢民族から見たソグド人は逞しい印象だったのでしょう。
迫力ある車馬の隊列は、シルクロードの入口の都市、武威(ぶい)で出土したもの。
紀元前2世紀ごろ、前漢の武帝は西域に使者として張騫(ちょうけん)を遣わした折りに、1日で千里走ると謳われる名馬『汗血馬(かんけつば)』の存在を知ります。
この馬を手に入れるため、馬の産地である中央アジアの大宛(フェルガナ)へ遠征。武帝は3,000頭もの名馬を連れ帰ったと伝わります。
中国の西域進出のきっかけのひとつは馬だったのです。
異国人風の人物が馬を皇帝に献上している場面を描いた絵。馬は大切な献上品でもあったのです。
唐の第2代皇帝・太宗の妃の墓に描かれていた壁画で、幅150cm以上の迫力です。
シルクロードは仏教が辿った道でもあります。この道を通って中国に仏教が伝わり、多くの中国の僧が仏典を求めてインドを目指しました。
この馬頭観音像は、白い大理石造り。よく見ると冠の金箔や緑の色がわずかに残っています。
唐で密教が栄えた最初期の作品。唐に渡った空海もこの像を観たかもしれません。
新疆ウイグル自治区トルファンで出土した観音経は、当時この地にあった高昌国(こうしょうこく)のもの。
高昌国は、三蔵法師・玄奘がインドに向かう途中立ち寄った国。
敬虔な仏教徒だった高昌国王は玄奘を温かく迎え、出国の際には金銀、絹など豪華な餞別(せんべつ)を贈りました。
帰路、玄奘は高昌国に立ち寄るつもりでしたが、高昌国はすでに唐に滅ぼされていたのです。
砂漠を超す険しい道程を、ある者は皇帝の命を受け、ある者は商いのため、またある者は仏典を求めて旅しました。
こうして東西の文明が融合していくさまを、貴重な展示品を通して体感できる展覧会です。
嬉しいことに、全点撮影可能。駱駝の剥製のフォトスポットもありますよ。
鑑賞後は、ぜひ別館へ。1906年に竣工した元日本銀行京都支店の建物は、国の重要文化財に指定されています。
すみずみまでこだわり抜いた意匠は一見の価値あり!こちらもぜひご堪能ください。