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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
日本には、美術館・博物館がたくさん存在しています。
年に何度か足を運んだり、旅先でお楽しみとして訪れたり・・・素敵な館が全国のさまざまな場所にありますよね。
「学芸員の太鼓判」は、全国の館の自慢の名品を詳しく知りたい! そんな想いから生まれた企画です。本連載では、全国の美術館・博物館の自慢の所蔵品を詳しくご紹介。
今回は、浮世絵師・葛飾北斎の作品を所蔵する「すみだ北斎美術館」の所蔵品を紹介します。
すみだ北斎美術館は、世界的な浮世絵師として評価の高い葛飾北斎の作品を多く所蔵する美術館です。
北斎が約90年という長い生涯のほとんどを墨田区で過ごしたことはご存じでしょうか。宝暦10年(1760年)に本所割下水付近(現在の墨田区亀沢付近)で生まれ、墨田区内で過ごしながら優れた作品を数多く残しました。
同館では、北斎及び門人の作品を中心に紹介するほか、北斎と「すみだ」との関わりなどについて紹介する展覧会や普及事業を行っています。
AURORA(常設展示室)では、すみだと北斎のつながりにはじまり、北斎の生涯と代表作を紹介。浮世絵は光に弱くデリケートなので、常設展示の作品は実物大高精細レプリカが展示されています。
また、同館のコレクションは約1,900点(2022年4月現在)。墨田区が収集した作品に加え、ピーター・モースコレクションや楢﨑宗重コレクションなど主に3つのコレクションで構成されています。
コレクションは企画展でテーマに合わせて順次公開されています。
AURORA(常設展示室)の様子
今回詳しくお話を聞いたのは、中山恵那学芸員です。
中山学芸員は、学芸・教育普及担当であり、展覧会の企画や教育普及企画の考案、墨田区内学校での出前授業などをしています。
すみだ北斎美術館が誇る作品、そして中山学芸員イチオシの作品をお聞きしました!
公式サイトはこちら
最晩年の北斎は、当時の日本絵画の価値観において版画よりも上位のものと位置づけられていた肉筆画の制作に熱中していました。
画題はそれまでよく描いていた風俗画よりも和漢の故事に則した作品や宗教画、花鳥等、古典的な題材の作品を多く描いていたそうです。
葛飾北斎《朱描鍾馗図》弘化3年(1846)絹本着色一幅 108.0×38.5cm すみだ北斎美術館蔵
本作は、数え87歳の時に描かれた、中国に伝わる神・鍾馗(しょうき)がモティーフの作品です。唐の玄宗皇帝が病気になった際に、鍾馗が悪鬼を退治する夢を見た後に病気が治ったため、絵師にその像を描かせたという伝説から、鍾馗は絵のテーマとして扱われるようになりました。
朱描きの鍾馗図は、流行病が広まらないようにと願いをこめて制作されたものです(疱瘡除け)。なぜ朱色で描かれているのかというと、赤は魔除けの色とされており、赤いものを身近に置いておくと疱瘡神が近寄らないと信じられていたからです。
北斎の鍾馗図は人気があったようで、本作の他に多数の作品が残されています。
北斎の鍾馗図は、勝川春朗を名乗っていた習作期の頃から作例がありますが、最晩年の頃に描かれた本作には、これまでの北斎の中国絵画の学習や武者絵の制作経験があますことなく発揮されています。濃密な隈取や繊細に描かれた髪や髭の表現、鍾馗の眼光は、習作期の北斎の鍾馗図とは異なる凄みをたたえています。
北斎が75歳の時に出版された『富嶽百景』初編のあとがきでは、70歳以前に描いた絵はとるに足らないもので、73歳にしてようやく動植物の骨格や出生を描けるようになったと述べています。そして、80歳でさらに上達し、90歳で絵の奥義を極め、100歳で神妙の域に達し、百数十歳になれば一点一画が生きているようになるだろうと絵師として上達する意気込みを記述しています。
最晩年の濃密な描写が特徴的な本作からは、北斎の肉筆画への熱量の強さも感じられます。
本作は赤い絵の具のみで描かれているわけではなく、目や口、髪や髭などに墨が使われています。一部分に墨を使用することによって繊細な表現を可能にしているほか、画面を引き締め、絵に深みが与えられています。
また、太く力強い衣紋線に対して、毛や顔の細部は丁寧で繊細な線で描写されており、巧みな表現力がうかがえます。さらには斜めに構え、体をひねるポーズをとっていますが、たなびく衣服や左下に描かれた剣、正面を真っすぐ見据える顔などのバランスが絶妙で、どっしりとした安定感があります。
作品のポイント
・北斎の経験と画力が結集した作品
・鍾馗の鋭い眼光にドキリ! 繊細な筆づかいにも注目
北斎の鍾馗図はいくつか事例がありますが、本作は最晩年の作品であり濃密な描写が特徴です。
絵を賞賛する文章か何かが書き加えられる予定だったのか、鍾馗は画面の下方3分の2程度の場所に位置し、背景には何も描かれておらず、すっきりとした構図ですが確かな存在感があります。また、展示室では立って鑑賞しますが、当時の人びとは床の間に掛けられた本作を座って鑑賞したのでしょうから、さらに強い印象を受けたことと思われます。
疱瘡除けの願いが込められているということもあり、新型コロナウイルスが流行している現代、江戸時代の人びとのように疫病退散の祈りを込めたくなる作品です。
「朱描鍾馗図」は、2022年6月21日(火)から開催される「北斎 百鬼見参」展の後期(7月26日~8月28日)で展示されますのでお楽しみに!
葛飾北斎《賀奈川沖本杢之図》文化年間(1804-18)前期 間判錦絵 すみだ北斎美術館蔵
北斎が40代の頃に描いたとされる作品で、唐草模様の枠を持つ洋風風景版画のシリーズのうちの1図です。
江戸時代は交通の要所で多くの船が行き来した本牧の岬(現:神奈川県横浜市)辺りを描いたものと考えられています。波や周辺の山影には、「板ぼかし」というぼかす部分の版木の角を落としてグラデーションで表現する技法を使って、うねり上がる大波や盛り上がった山々を立体的に表しています。
北斎の波といえば「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が世界的に有名ですが、本図にも画面手前に立ち上がる大きな波が描かれています。波の向きは反転していますがよく似た構図です。また、大波に翻弄される船が描かれているという点にも共通性があります。
本図は「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が描かれた30年ほど前の作品で、大作を生み出すまでの長いあいだ、北斎が波の表現を研究していたことがうかがえます。
天才絵師、北斎の成長の変遷を分かりやすい形で見ることが出来る作品です。
本図は西洋の油絵を意識した、透視図法や陰影法が使われています。北斎は、春朗期から奥行のある空間を表現する浮絵なども描いており、洋風の表現を積極的に取り入れていました。寛政6年(1794)に勝川派から去り、琳派に私淑して宗理と名乗った北斎ですが、寛政10年(1798)には琳派からも独立します。さまざまな画風を取り入れつつ、北斎独自の画風を模索していたことがこれらの話からもうかがえます。
本図からは北斎が画風を確立していくまでにたどった過程が見え、とても興味深いです。また、現存数が少ない作品でもあります。当館が所蔵しているものは、現存している同じ作品の中で最も摺りの状態が良く、唐草模様の枠も当初の姿のまま残っているため大変貴重です。
作品のポイント
・あの大波へと繋がる“波の描写”が見られる
・多彩な表現を用いた北斎の柔軟さ
本図は「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と構図がよく似ています。
細かく分かれた波頭の描写が確立される前はどのように描いていたか、立ち上がる波の勢いをどのように表現しているかといった点に注目して作品を見ると、長年にわたる北斎の試行錯誤を感じさせられます。
葛飾北斎《賀奈川沖本杢之図》(すみだ北斎美術館蔵)実物大高精細レプリカ展示の様子
「賀奈川沖本杢之図」と「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は、2022年5月現在、AURORA(常設展示室)で実物大高精細レプリカを展示しています。ぜひ2作品を見比べてみてくださいね。
「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は、常設展プラス内の「特別展示:北斎の描いた山」にて6月12日までオリジナルも観ることができますよ。
北斎の画業をあますことなく紹介するすみだ北斎美術館。
子どもから大人、日本人だけでなく海外の人にも親しみやすい事業を展開する同館から、今後も目が離せません。
公式サイトには北斎ゆかりの地MAPも掲載されています。同館で北斎作品を楽しんだあとは、実際に墨田の街を歩いて北斎の見た風景を探してみてはいかがでしょうか。
次回は、東京富士美術館の自慢の名品をご紹介します。お楽しみに!