塩田千春の作品から他者との「つながり」を考える。圧巻のインスタレーションに注目
2024年10月3日
地図と印刷/印刷博物館
印刷に関わるさまざまなテーマを分かりやすく紹介する印刷博物館。同館では現在、展覧会「地図と印刷」が開催中です。
本展では、日本の近世を中心にスポットをあて、地図や地誌づくりにおける「印刷」と人びとの関わりを3部に分けて紹介。印刷技法の展開と地図づくりのあゆみを探る展覧会です。
私たちの生活の中で欠かせない印刷物である「地図」。印刷物に限らず、スマートフォンなどのさまざまなメディアで展開されていますね。
そもそも、印刷された地図が登場したのはいつ頃か知っていますか?
(左から)寛永版『捨芥抄』1642年/慶長古活字版『捨芥抄』慶長期(1596~1615年) いずれも、印刷博物館蔵
中世の百科事典のような出版物である『捨芥抄(しゅうがいしょう)』の中に、「行基図(ぎょうきず)」と呼ばれる日本図が含まれていました。これが、日本の印刷された地図の起源だといわれています。
『拾芥抄』洞院公賢編 1642(寛永19)年刊
私たちがよく知る日本列島の形に近いような、遠いような・・・。ちなみにこの形は、密教で使われる仏具のひとつである独鈷(とっこ)の形であることが記されています。
江戸時代に入ると社会が安定し、交通や測量技術が発展。そしてより詳しい日本図が作成されるようになると、行基図は次第に姿を消します。
しかし、江戸時代後期に伊万里焼などに絵柄として描かれ工芸品として人びとの生活の中に残りました。
日本の地図史を学ぶ上で欠かせない2人の人物がいます。それが、石川流宣(いしかわ とものぶ)と長久保赤水(ながくぼ せきすい)です。
流宣と赤水は、日本地図を完成させた伊能忠敬よりも前に当時の日本人に「日本」のイメージを提示しました。2人の日本図を見比べてみましょう。
石川流宣が手掛けた日本図「流宣図」は国内外で影響を及ぼした
「日本海山潮陸図」は、浮世絵師・石川流宣が手掛けた日本図です。
流宣が手掛けた日本図は「流宣図(りゅうせんず)」と呼ばれています。浮世絵師が作成したということもあり、そのデザイン力はずば抜けています。
国ごとの領主や石高といった『武鑑』の要素を盛り込みつつ、主要な街道と宿場町も掲載。多くの情報を盛り込みながらも読み取りやすくレイアウトも工夫されています◎
「改正日本輿地路程全図」1779年 印刷博物館蔵
水戸藩・高萩の地理学者である長久保赤水。絵図としての要素が強かった「流宣図」にとってかわった日本図「赤水図」を作成しました。
地誌情報がかなり豊富で、中でも特徴的なのは経緯線が示されていること。こちらは、刊行日本図としては初めての作例であると言われています。
流宣と違い、地図に正しさを求めた赤水。20年以上の歳月をかけ、自分自身の経験とさまざまな資料から情報を収集して本図を作り上げました。完成後も出来映えに満足することなく、何度も修正を加え続けたのだそう。正しさを追求する姿勢が本図から伝わってきます。
伊能忠敬は江戸時代に日本初の実測による日本地図を製作した人物として有名です。教科書でも何度も観たことのある「伊能図」ですが、活用され印刷物にもなりました。それが「官板実測日本地図」です。印刷博物館ならではの見かたを教えてもらいました♪
伊能図の特徴は、測量された海岸線地域や街道地域などが詳細に書き込まれていることです。本図の中にも文字がびっしり書かれていますね。
官板実測日本地図」より畿内東海東山北陸
伊能忠敬作 慶応期(1865~1867年)刊
本図は浮世絵と同じ木版で作成されており、文字の墨(黒)、山部分のグレー、河川や海の水色を使用した三色摺になっています。これが印刷技術としてすごいのだとか!たとえば、地名などは細かく、場所によっては数多くの地名が集まっている部分があります。
文字をふくめ、細かい表現は銅版印刷が得意とするところですが、木版で摺られた「官板実測日本地図」を観ると、当時の彫師と摺師の技術の高さがうかがえますね。
私たちが生活する上で欠かせない地図や地誌の作成における印刷と人びとの関わりを探る本展。何気なく眺めていた地図を「印刷」という観点から探ってみると、新しい発見がありました。
地図と印刷 公式図録 3,080円/ポストカード 1枚 165円(いずれも、税込)
印刷博物館らしいといえば、図録の印刷にもこだわりが!カフェラテFという固めのクラフト紙のような用紙を使用し、青色の箔が押された豪華な図録です。
ミュージアムグッズで販売されている本展のポストカードも、図録と同じ紙を使用しているのだとか。ミュージアムショップもお見逃しなく♪