PROMOTION
クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
縄文2021―東京に生きた縄文人―/東京都江戸東京博物館
江戸東京の歴史と文化を紹介し、幅広い人びとが訪れる場所として知られる、東京都江戸東京博物館(通称:江戸博)。
そんな同館で、1万年以上続いた縄文時代、その中でも東京の縄文人の暮らしに焦点をあてた特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」が開催中です。
展示室入口
本展では最新の学術研究をとり入れ、縄文時代の東京を紹介。
出土品がどのような場所で利用されていたのかなどを可能な限り再現し、考古学の新たな楽しみ方を提案するユニークな展覧会です。
※展覧会情報はこちら
東京の縄文時代遺跡の発掘は、大森貝塚を発見したエドワード・S・モース博士によって始まりました。
明治から昭和にかけては貝塚の調査が中心に行われましたが、戦後になり高速道路、鉄道、大規模開発など、近代化が急速に進んだことにより、遺跡(集落)の発掘も多くなっていきました。
土偶(多摩ニュータウンNo.471遺跡)
展示室に入ると、1点のかわいらしい土偶がお出迎え。
こちらは「多摩ニュータウンのビーナス」と称される縄文中期の土偶で、今から約5,380~5,320年前に作られたと考えられてるそう。縄文中期の土偶は、主に多摩地域で発見されています。
本展ではこのほかに100点以上の土偶が展示。
展示風景
土偶はその丸みをおびた形などから新しい生命の誕生への願いや、祀りの神像など、さまざまな願いが込められていたと考えられています。
縄文時代に東京で暮らしていた人びとは、どのような意味を込めて、土偶を作っていたのでしょうか。ぜひ想いを巡らせてみてください。
大森貝塚は東京都品川区から大田区にまたがる、縄文時代後期~晩期の貝塚です。
1877年にアメリカの動物学者、モース博士が来日したときに、横浜から汽車で新橋に向かう途中、大森駅を過ぎたあたりで崖面に貝殻が大量にむき出しになっているのを見つけました。
この時、モース博士は石器時代の貝塚であると直感したそう!
本展は、日本の考古学を語るうえで欠かせない大森貝塚ももちろんですが、東京の地形に基づいて代表的な貝塚や遺跡をピックアップして紹介しています。
展示風景
縄文時代の遺跡について調査していくと、多摩周辺の武蔵野台地では平坦な地形が広がる多摩東部から23区内に集落や土器片が分布しています。
それに対し、北区・台東区・千代田区・港区・大田区などの北西部には貝塚が集中。これは、縄文時代の海岸線がこの区域にあったからだそうです。
こうして見ると東京には縄文遺跡がいっぱいです。あなたの街にも縄文時代の跡が残っているかも?
東京で暮らす縄文人はどのように暮らしていたのでしょうか?
もちろん地域によってさまざまですが、展示室を進むと2つの復元模型が出現! 多摩丘陵の縄文ムラのようすを、のぞくことができます。
川や森などの豊かな自然とともに共生する縄文人たちの生活ですが、春夏秋冬、季節ごとにさまざまな生業が行われていました。本展示では、それらを一括して鑑賞できます。
老若男女が、働いたり遊んだりしていますよ。
展示風景
復元のモデルは、縄文時代中期の環状集落(多摩ニュータウン No.107遺跡)です。
大地の先端の平らな場所に位置し、日当たり良好、水はけ問題なし。そばには川があり、水の確保も舟での移動もできる便利な場所です。現代だと、高くつく土地かもしれませんね。
また、江戸博の5・6階常設展示室には江戸東京の暮らしを再現した復元模型も展示されています。ふたつの模型を比較して、東京の暮らしの移り変わりを知るのも楽しそうですね。
これまで数多くの発掘・調査を進めてきた考古学の分野。
こうした実績は、考古学研究やそれに関連する分野を大きく発展させただけでなく、学校教育や生涯学習など、私たちのこれからの生活への貢献も期待されています。
しかし発掘調査をすることは、その遺跡の現状を変更してしまう、というデメリットもあります。
遺跡を復元することのできる情報を正確に記録し、未来につないでいくことが、遺跡を調査する研究者にかかっているのです。
展示風景
遺跡の復元模型や貝塚の標本など、考古学の最新の研究をぜひ間近で観てみてはいかがでしょうか。
この秋おすすめの展覧会です!
※会期中に展示替えがございます。
※新型コロナウイルス感染症などの状況によって、会期・休館日・開館時間・観覧料・各種割引サービス等を変更する場合がございます。