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2025年3月26日
パウル・クレー展──創造をめぐる星座/兵庫県立美術館
「パウル・クレー展──創造をめぐる星座」が、兵庫県立美術館で5月25日(日)まで開催中です。
兵庫県立美術館では「パウル・クレー だれにも ないしょ。展」以来、10年ぶりの開催となるクレー展。
前回はクレー作品のみの展示でしたが、今回はクレーと同時代の美術動向にも目を向け、他作家もあわせて展示します。
クレーの独自性にとどまらず、その同時代性やクレーと他作家との交流などにも焦点を合わせています。
展示風景より、パウル・クレーの資料映像
20世紀を代表する画家の1人で”色彩と線の魔術師”と称されるパウル・クレー。
一体どのような人物なのでしょうか。
クレーはスイスに生まれ、父は音楽教師、母は元歌手という音楽家庭に育ちました。
幼い頃から詩や小説の制作に取り組んだり、空想的な線描画を描くなどしていたそうです。
将来、音楽家、詩人、画家で悩んでいたクレーですが、画家としての人生を歩み始めます。
パウル・クレー《北方のフローラのハーモニー》1927年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)
”色彩と線の魔術師”と称されるクレー。
しかし、画家を目指してミュンヘンへ留学した頃は、色彩を用いた表現に苦労していたそうです。
せっかく入学したアカデミーを、1年も経たずに去ってしまいます。
その後、2年近くかけて制作された10点のエッチングの連作《インヴェンション》で画家としてデビューを果たします。
第一章展示風景より、《インヴェンション》3作品の展示
本展では10点の連作のうち、3点を展示。
この頃の作品からは、まだクレー独特の色彩は感じられないですね。
では、ここからどのようにして色彩を取り入れていったのでしょうか。
クレーは1906年にリリーという女性と結婚します。
リリーと結婚する前、クレーは学生時代からの友人で画家のルイ・モワイエらと共にフランスのパリに滞在。
この時、連日のように美術館に通い、アメリカの画家ホイッスラーの回顧展を訪れます。
パウル・クレー《リリー》1905年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)
《リリー》はこのパリ旅行と同じ年に制作された作品です。
ホイッスラーの代表作の一つ《灰と黒のアレンジメント 画家の母の肖像》と類似する点が多く、影響を受けたのではないかとされています。
先ほどの《インヴェンション》と比べても、少し色彩が豊かになった感じがしますね。
その後1914年にクレーは、当時フランス領土だったチュニジアへ旅行に行きます。
チュニジア旅行中、30点の水彩画を制作したクレー。
《チュニスの赤い家と黄色い家》は、旅行中に現地で描かれた水彩画の中で、最初に描かれた作品の一つとされています。
チュニジア旅行を機に、色彩が一気に豊かになりましたね。
パウル・クレー《チュニスの赤い家と黄色い家》1914年 パウル・クレー・センター
《ハマメット のモティーフについて》は当時のクレーとしては珍しく、油彩絵具で描かれた作品。
本作は、帰国後間もない時期に制作された作品の一つとされています。
軽い筆触により、下層を透かしみせることで、水彩絵具のような色彩の重なりを実現しています。
パウル・クレー《ハマメットのモティーフについて》1914年 バーゼル美術館
クレーの有名な一節「色彩が私を捉えたのだ。」は、チュニジア旅行中の日記に記された言葉です。
黒い背景にも、色彩が光を帯びて表現されています。
ヴァシリー・カンディンスキー作品の展示風景
本展ではクレーと同時代に活躍した、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラック、マックス・エルンストやヨハネス・イッテンといったスターたちの作品も展示しています。
こちらの作品はクレーの友人の1人であるヴァシリー・カンディンスキーのもの。
クレーと親しく、同時代に「青騎士(*)」として活動したカンディンスキー。
しかし、その作風はクレーとは全く異なっています。
クレーと同時代に活躍した、個性豊かなスターたちの作品を観ることができるのも、本展の見どころの一つです。
*青騎士(ブラウエ・ライター):20世紀初頭のミュンヘンを中心としたW・カンディンスキーやF・マルクらによる芸術運動、またはその名称を冠した年刊誌のこと。
色彩による表現を開花させたクレーですが、間もなくして第一次世界大戦が始まります。
第一次世界大戦によってクレーは友であるマッケとマルクを亡くし、その後、彼自身も徴兵されます。
《深刻な運命の前兆》は一度は完成したはずの画面を切断し、再構成した作品。
からだの断片を思わせる不明瞭な形が画面に散乱し、重ねられたジグザグの線が戦争の暴力を連想させます。
パウル・クレー《深刻な運命の前兆》1914年 パウル・クレー・センター
クレーは戦後、しばらく経ってから戦争の惨禍をいくつか描いています。
《破壊された村》はそのうちの一つで、クレーはこの作品で戦争における破壊を抽象化せず、具体的に描きました。
パウル・クレー《破壊された村》1920年 東京国立近代美術館
戦後、ドイツの総合造形学校「バウハウス」で教鞭をとることになったクレーは、その後シュルレアリストたちの間でも、評価が高まります。
バウハウスで教鞭をとりながら作品を発表し、ドイツ国内で名声を得たクレー。
しかし、1933年にヒトラーによる弾圧を受け、クレーはスイスに亡命します。
その2年後の1935年、クレーは自己免疫疾患の「全身強皮症」を患ってしまいます。
そんな中でも亡くなる最後まで、精力的に作品を制作し続けていました。
パウル・クレー《無題(最後の静物画)》1940年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)
《最後の静物画》はクレーの死後、息子のフェリックスによって命名された作品です。
黒の背景にもかかわらず、色彩が今まで以上に鮮やか。
死の直前まで創造したクレーの集大成の作品です。
お土産コーナーでは、バッグやポーチ、アクセサリーにコーヒーまでクレーの色彩豊かなグッズの数々が並んでいます。
ちなみに私は悩んだ末に「ブックカバー」を購入しました。
やさしい手触りとクレーの色彩豊かな絵画で読書が進みそうです♪
《北方のフローラのハーモニー》をイメージしたフルーツシャーベットのティーソーダ 1,800円(税込)※毎日数量限定(販売期間:~5月25日)
大阪谷町にある「unimocc art cafe gallery」では、本展のコラボドリンク フルーツシャーベットのティーソーダが発売中です!
音を絵で表現しようとしたパウル・クレーの作品からインスピレーションを受けたドリンク。
シャーベットを崩すシャリシャリ音や、炭酸の弾ける音と共に楽しめます♪
初めは色彩を使った表現に苦労するも、数々の良き友人(スターたち)に出会い刺激を与え合う中で、徐々に独自の色彩と表現を確立していったクレー。
才能ある友たちとの出会いと別れ、そして戦争と病気という経験をしながらも、最後まで自身の表現を追求した作品からは、その時々のクレーの成長と葛藤、そしてパワーを感じました。
皆様もこの機会にぜひ、足を運んでみてください♪