ピーテル・パウル・ルーベンス/10分でわかるアート

10分でわかるアートとは?

10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。

作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。

今回は、17世紀でもっとも成功した画家といわれる「ピーテル・パウル・ルーベンス」について詳しくご紹介。

「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。

バロック美術を代表する画家、ルーベンスとは

ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)は、フランドル地方(現在のベルギー)で活躍したバロック美術を代表する画家です。

日本では、児童文学の名作『フランダースの犬』の主人公・ネロ少年が、あこがれた画家で知られています。

『フランダースの犬』のすべての話を知らない方でも、ネロと愛犬・パトラッシュが、ノートルダム大聖堂にあるルーベンスの作品《キリストの降架》を観る、感動的なアニメのラストシーンだけ知っている方も多いかと思います。

スフマート Sfumart 10分でわかるアート 美術用語解説 ピーテル・パウル・ルーベンス バロック美術ピーテル・パウル・ルーベンス《聖フランシスコ・ザビエルの奇蹟》1617-1618年

彼はルネサンス美術を開花させたイタリア絵画の伝統と、北ヨーロッパの絵画の特色である写実的な油彩画の技法を融合し、ダイナミックで色彩豊かな美しい画面を作り出しました。

そうしたルーベンスの作品は、ヨーロッパじゅうの宮廷や教会で人気を博しました。

画家のエピソードを調べていると、何かと問題を抱えている人が多いのですが・・・ルーベンスは、絵に描いたような幸せな人生を送っていたことがわかります。

ルーベンスは、ドイツのウエストファーレンの小さな町ジーゲンに生まれました。10歳のときに、母の実家があるベルギーの第2首都・アントウェルペンへ引っ越すと、そこでさまざまな画家に弟子入りし、画家修業に励みました。

23歳のときにイタリアへ渡り、古典美術や新しいバロック表現などを学んだ彼は、31歳でアントウェルペンへ戻ると、アルブレヒト大公の宮廷画家となります。その後ルーベンスは、各国の宮殿で仕事を行い活躍しました。

45歳のとき、フランス皇太后からパリに建設中のリュクサンブール宮の装飾の依頼を受けたルーベンス。そのとき描かれたのが、《マリー・ド・メディシスの生涯》という作品です。

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ピーテル・パウル・ルーベンス《マリー・ド・メディシスの生涯 マルセイユ上陸》1622-1625年

本作は、当時のフランス王妃であるマリー・ド・メディシスの生涯を描いた24枚の連作です。

とくに目立った業績のない王妃でしたが、ルーベンスは自身がもっていた神話の知識を総動員させて、神々しく描いたそうです。

本作はバロックを代表する作品のひとつといわれています。

仕事に恵まれ、順風満帆な人生を歩んでいたルーベンスですが、49歳のときに最愛の妻・イザベラが死去。深い悲しみの底にいた彼を慰めたのは、イザベラの姪であるエレーネでした。

当時53歳だったルーベンスは16歳のエレーネと再婚します。その年の差は、37歳! その後、エレーネと幸せに暮らし、莫大な資産を残して62歳でこの世を去りました。

画家でありながら、外交官としても働いていた

ルーベンスは画家でありながら、スペインのイザベル大公妃の登用を受け、フランドルを悩ませ続けてきたオランダ・イギリス同盟と、スペインの紛争の解決に貢献し、外交官としても活躍しました。

肖像画をはじめとする絵画を各国の王侯のために描いて信頼を得つつ、さまざまな方面から粘り強く交渉を続けた結果、1629年、ルーベンスは特使としてイギリス国王チャールズ1世に謁見することが叶います。それにより、和平が成立されたのです。

大役を果たしたルーベンスがチャールズ1世に贈ったのが、《戦争と平和の寓意》という作品です。

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知恵の女神であるミネルヴァが、戦いの神マルスと復讐の女神たちを追いやり、平和を象徴する大地の女神が子どもに授乳しようとしている場面が描かれた《戦争と平和の寓意》。

大地の女神に寄りそう子どもたちは、平和と繁栄、調和、幸福を表しており、ルーベンスは本作に、平和に対する思いを込めたといいます。

ルーベンスは宮廷や教会のために生涯にわたって仕事をし、制作をつづけた画家です。こうした点は、スペインの宮廷画家であるディエゴ・ベラスケスなどと似ています。

※ディエゴ・ベラスケスについて詳しく知りたい方はこちら

100人の弟子に囲まれたルーベンス

高い教養を持ち、温厚な人柄だったルーベンス。アントウェルペンに構えていた工房では、100人の弟子を抱えていました。

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その人柄により、フランドルのみならず、スペインやイタリア、フランスなどの各国の王侯貴族から愛され、彼らをパトロンにしていたルーベンスの工房には、王侯貴族からの肖像画のほか、教会からの宗教画の制作など大量の注文が殺到したそう!

そのうちのひとつが、『フランダースの犬』のネロとパトラッシュが、最後に観た絵画《キリストの降架》です。

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ピーテル・パウル・ルーベンス《キリスト降架》1611年

本作は、アントウェルペン大聖堂の祭壇画で、イタリアから戻ってきて間もないころに受注し、仕上げた作品といわれています。

三連祭壇画の中央パネルに当たる《キリストの降架》。その左右にはそれぞれ、受胎したマリアが従姉妹のエリザベツを訪ねる《ご訪問》、祭祀シメオンがイエスを祝福する《神殿奉献》が描かれています。

ルーベンスは工房の弟子たちとともに、これらの注文をこなしていき、数多くの傑作を生み出しました。

その生涯で残した作品は、工房作品も含めれば1500点もあるそう! 100人の弟子の力がないと、一生でこれだけの作品を作るのは難しいですね。ルーベンスに人望があったことがわかるエピソードです。

おわりに

17世紀でもっとも国際的な名声を得た画家である、ピーテル・パウル・ルーベンスについて詳しくご紹介しました。

100人の弟子を抱えた大工房の経営、それに加えて外交官として働き、忙しい生涯を送ったルーベンス。ですが、幼いときに父を亡くしたことから、家族にも仕事と同じくらい時間をかけて深く愛していたそうです。

誰にでも分け隔てなく、愛情をもって接するルーベンスだからこそ、仕事や人に恵まれた幸せな一生を送ることができたのかもしれませんね。

次回は、肖像画について、その歴史や見方、さらに有名な絵画などとともに詳しくご紹介します。

お楽しみに!

【参考書籍】
・早坂優子『巨匠に教わる 絵画の見かた』株式会社視覚デザイン研究所 1996年
・早坂優子『鑑賞のための 西洋美術史入門』株式会社視覚デザイン研究所 2006年
・早坂優子『101人の画家 生きてることが101倍楽しくなる』株式会社視覚デザイン研究所 2009年
・岡部昌幸 監修『西洋絵画のみかた』成美堂出版 2019年