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2024年11月1日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、アール・ヌーヴォーを代表する画家「アルフォンス・ミュシャ」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
1880年、当時オーストリア帝国支配下の現チェコ共和国に生まれたアルフォンス・ミュシャ。父がチェコの裁判所に勤めていたため、ミュシャは裁判所の書記として働きながらデッサンに励みます。
その後、プラハの美術アカデミーに受験をしますが、失敗。支援者を得てドイツのミュンヘン美術学校へ留学し、卒業後はパリに向かいます。
ちなみにミュシャは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのパリに滞在していました。この当時のパリは、かつてないほどの繁栄を迎えた時代でもあります。「パリにいるだけで、生きる喜びを感じる!」と言われるほどで、この時期は「ベル・エポック」(フランス語で「美しい時代」という意味)と呼ばれています。
このベル・エポックのパリでミュシャは、華々しい活躍をしていたに違いない! と思う方も多いのではないでしょうか。しかし、ミュシャが華の都パリに出てきたときは、まだ無名の画家でした。そのため彼は本や雑誌の挿絵のほか、カレンダーやポスターを描いて慎ましく生活をしていたのです。
そんな無名画家ミュシャの人生は、1894年に舞台女優サラ・ベルナールと出会い一変します。
1894年、当時34歳だったミュシャはその年のクリスマスに印刷会社で仕事をしていました。その印刷会社に、人気女優サラ・ベルナールの関係者から「舞台「ジスモンダ」のポスターを1週間後の元日までに制作してほしい」という依頼が舞い込んできます。
しかし、いつもの依頼を担当するデザイナーがクリスマス休暇で不在。困った印刷会社の社長は、生活が安定しないために休暇も取らずに働いていたミュシャに依頼したのです。
当時のトップスターのポスターを担当できるなんてと驚きつつも、ミュシャはその依頼を喜んで引き受けて高さ2メートルの大型ポスター《ジスモンダ》を制作します 。そして完成したポスターを見たサラは、大喜び! ミュシャのことが気に入ったサラは、6年の専属契約を結びました。
この《ジスモンダ》を発表後、ミュシャのもとには多くの注文が殺到! 無名の画家だったミュシャはこの日を境に、時代の寵児となったのです。
サラ・ベルナールにその才能を見出されたミュシャ。その後フランスでは、アール・ヌーヴォーという美術運動が流行します。そこでミュシャは「アール・ヌーヴォーの帝王」としてさらに活躍の幅を広げていきました。
1900年に開催されたパリ万博にて、ミュシャはボスニア・ヘルツェゴビナ館の装飾担当に抜擢されます。ミュシャが装飾を担当したボスニア・ヘルツェゴビナ館は、なんとパリ万博で銀賞を獲得しました。
その後1904年には、アメリカに招かれてそこでも成功を収めたミュシャ。しかし、自身の故郷であるチェコへの思いが募り始めて1910年にチェコへ戻ります。そしてチェコで、スラヴ民族を讃える20枚の大型連作《スラヴ叙事詩》の制作に着手しました。
当時のチェコは、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあり、独立気運が高まっていました。そこでミュシャは、スラヴ団結のために、芸術を通じてスラヴ民族の文化を世界に広めようと決意。 1910年から1928年にかけてミュシャはこの《スラヴ叙事詩》という大作に身を捧げたのです。
1900年のパリ万博で、ボスニアヘルツェゴビナ館の装飾を担当したことがきっかけで制作された本作。ミュシャはボスニアヘルツェゴビナ館の装飾依頼により、スラヴの歴史と文化に目を向けるようになりました。
1910年から制作された《スラヴ叙事詩》では、20枚の主題をチェコ人とほかのスラヴ人の歴史に平等に分け、宗教や軍事、文かなどのさまざまなテーマで描いています。
本作は1928年、チェコ・スロヴァキア共和国独立10周年に合わせて完成し、プラハ市に寄贈されました。しかし一時的に展示されただけで時代遅れとみなされて、地方の古城で保管されることになってしまったそうです。
アルフォンス・ミュシャ《スラヴ叙事詩 スラヴ賛歌》1926年
連作の最後、20枚目に描かれた集大成的な作品である《スラヴ叙事詩 スラヴ賛歌》。本作は1918年にオーストリア・ハンガリー帝国から独立を果たしたチェコを、シンボリックに描いたものです。
両手を広げた青年が独立を象徴し、青年の背後のキリストと中央の光を浴びた人びとがチェコの栄光と未来を表しています。
画面右をよーく見ると、アメリカの国旗が見えますね。これは本作の支援者であるアメリカの富豪チャールズ・クレーンに敬意を示してミュシャが描いたといわれています。
19世紀末から20世紀初頭の「ベル・エポック」で活躍した画家、アルフォンス・ミュシャについて詳しくご紹介居ました。いかがでしたでしょうか。
ミュシャといえば、日本人も大好きな画家のひとりです。最近では台湾などの他のアジア圏でミュシャの本格的な展覧会が開催されるなど、その人気は世界にまで広がっているといいます。
一説によると、日本国内でこれまでに開催されたミュシャの展覧会は、会場の数にして70に達するのだそう! 国内でも「堺アルフォンス・ミュシャ館」をはじめ、ミュシャの作品を所蔵する美術館がある点から、かなり人気の画家であることがうかがえますね。
さて次回は、ベル・エポック期のパリで流行した美術様式である「アール・ヌーヴォー」について、代表作を交えて詳しくご紹介します。お楽しみに!
【参考書籍】
・早坂優子『巨匠に教わる 絵画の見かた』株式会社視覚デザイン研究所 1996年
・早坂優子『101人の画家 生きてることが101倍楽しくなる』株式会社視覚デザイン研究所 2009年
・岡部昌幸『西洋絵画のみかた』成美堂出版 2020年
・池上英洋『マンガでわかる「西洋絵画」の見かた 美術展がもっと愉しくなる!』誠文堂新光社 2016年
・千足伸行『ミュシャ――パリに咲いたスラヴの華』小学館 2013年