風刺画/10分でわかるアート
2023年3月29日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、19世紀を代表するフランスの彫刻家「オーギュスト・ロダン」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
オーギュスト・ロダン(1840-1917)は、警視庁の下級官吏の子としてパリで生まれました。
幼い頃から装飾美術や彫刻を学び彫刻家を目指すようになりますが、国立美術学校の試験に3度失敗してしまいました。
その後ロダンは、彫刻工房の助手として働き修練を積みます。
イタリアへ旅行した際にミケランジェロらの作品に感銘を受け、自身の作品に大きな影響を与えることになりました。
精巧すぎる作品はたびたび批判にさらされましたが、徐々に世間に認められ名声を得ていきます。
生涯の制作物は6,000~7,000作品と言われており、数多くの作品を生み出しました。彫刻以外に水彩画も得意だったそうです。
オーギュスト・ロダン《地獄の門》1880-90年頃/1917年(原型)、1930-33年(鋳造)
国立西洋美術館 松方コレクション 撮影:スフマート編集部
《地獄の門》は、政府からパリの装飾美術館の門扉の制作を依頼されて手掛けた作品です。
ロダンはダンテの熱烈な愛読者であり、ダンテの『神曲』地獄編『地獄の門』をテーマに制作しました。
美術館の建設は途中で中止となりましたが、ロダンは終生かけて自費で制作を続けました。
国立西洋美術館(東京・上野)を含め、《地獄の門》は世界中に7つ展示されています。
オーギュスト・ロダン《考える人》(拡大作)1881-82年(原型)、1902-03年(拡大)、1926年(鋳造)
国立西洋美術館 撮影:スフマート編集部
ロダンの代表作の1つといえば《考える人》。誰もが知っている作品ではないでしょうか。
こちらは《地獄の門》の一部として製作されたもの。
地獄を見下ろして人間の運命を思案するダンテ自身の姿と言われています。
実は《考える人》という作品名はロダンがつけたものではなく、《地獄の門》を鋳造した職人が名付け親なのだとか。
オーギュスト・ロダン《カレーの市民》1884-88年(原型)、1953年(鋳造)
国立西洋美術館 撮影:スフマート編集部
《カレーの市民》は、イギリスとフランスの間で勃発した百年戦争の際、人質となった6名のカレー市民を描いた作品です。
カレー市と市民の命を救うためにイギリスの地に赴く苦悩と絶望を表現しています。
命を賭して街を守った英雄の姿に相応しくないという反発があったものの、完成から数年後に無事に設置されることとなりました。
これらの作品は上野にある国立西洋美術館で観られます。
ロダンは37歳の時に、ベルギーのブリュッセルで《青銅時代》という作品を発表します。
帰国後、パリのサロン展にも出品しましたが、あまりのリアルさに生きた人間をそのまま型取ったのではないかと審査員から疑われるほどでした。
当時の彫刻は、著名人や有名な貴族、神々などをモチーフにするのが主流でした。
一方、《青銅時代》のモチーフとなったのはベルギーの敗戦の将であり、ただの一般人。そういった意味でも異質な作品だったわけです。
オーギュスト・ロダン《青銅時代》東京富士美術館蔵
「東京富士美術館収蔵品データベース」収録
(https://www.fujibi.or.jp/collection/artwork/01335/)
ロダンは批判を受けてもう一回り大きな作品を制作し直し、人体から直接型取ったものではないことを証明しました。
改めてサロンに出品された《青銅時代》は、見事に入選。のちに国に購入されました。
これを機に、国からの発注も増えロダンの知名度は大きく広がっていきました。
ロダンには、24歳の時に出会ったローズ・ブーレという内縁の妻がいました。
内気で対人関係を築くのが苦手な性格であったロダン。そんな性格ながらも、実は女性関係にはだらしなく、数々の女性と浮気します。
その中でも、ロダンが43歳の時に弟子に迎えたカミーユ・クローデルとのエピソードが有名です。
当時19歳だったカミーユに一目ぼれしたロダン。彼女の魅力と才能に夢中になります。
カミーユをモデルとした作品を制作し、愛人として一緒に暮らすなど公私ともに深い関係となっていきました。
カミーユはロダンに「自分と奥さん(ローズ)のどちらを選ぶの」と迫りますが、ロダンは重い病気を患っていた妻・ローズのもとに帰ってしまいました。
その選択にカミーユは深く傷つき、徐々に精神を病んでいきます。
カミーユがモデルとなった《パンセ》は、首から下が大理石のかたまりのまま。
カミーユとの別れを惜しみ、悲しみが凝縮されたように見えます。物思いにふけるような悲しげな表情も、カミーユ自身の重い心が投影されているようです。
生命力にあふれ、緻密で繊細なロダンの作品は何度観ても圧倒されます。
そんなロダンの作品は、国立西洋美術館をはじめ、日本各地の美術館で展示されています。
これを機に、ロダンの作品にぜひ触れてみてくださいね。
【参考文献】
・ルース・バトラー『ロダン 天才のかたち』 白水社 2016年
・フランス国立ロダン美術館監修『ロダン事典』淡交社 2005年