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2024年11月1日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、江戸時代に《役者舞台之姿絵》シリーズで人気を博した「歌川豊国(初代)」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
歌川豊国《劇場内部図 秘蔵浮世絵大観 第2巻 大英博物館2より》1800年
歌川豊国(初代、1769-1825)は江戸時代寛政期に活躍した人気絵師の一人です。
多くの弟子を抱え、有名な弟子も多く輩出した歌川派を一気に広げるなど、その後の浮世絵界に大きな影響を与えました。
江戸・芝(現・港区)で生まれた豊国。父親は木彫人形師で、特に役者似顔絵の人形を得意としていたそうです。
その影響で幼いころから役者絵に慣れ親しみ、絵を描くことを好んでいました。
その後、同じ町内に住む歌川派の始祖・歌川豊春(1735-1814)の門下に入ったと伝えられています。
歌川豊国(1世)「役者舞台之姿絵 まさつや」 三代目大谷鬼次の斧定九郎 1794年 ボストン美術館
《役者舞台之絵姿》シリーズが出世作となり、大衆のニーズをつかんだ作品の数々を発表すると豊国は、長く愛される絵師となりました。
また親分肌で面倒見のよい性格だったからか、多くの弟子が集まり、中には後年名を残した歌川国政、国貞、国芳などがいました。
豊国は浮世絵界最大の流派である歌川派の礎を築いたのです。
歌川豊国《今やう娘七小町 関寺小まち》ボストン美術館
豊国が弟子入りしたのが同じ町内に住んでいた歌川豊春です。
豊春は浮世絵界の一大勢力となる歌川派の始祖であり、豊国は豊春の一番弟子でした。
世に出るまで長い下積み生活を送っていた豊春ですが、西洋銅版画を手本にチャレンジを積み重ねるなど新しい試みを取り入れることに積極的だったと言われています。
豊春に弟子入りした豊国は、自身も多くの弟子を抱え、有名絵師に育てていきました。
弟子の数は40人を超えており、さらにその弟子の中にも多くの弟子を抱えた絵師がいたことから、幕末から明治に至るまで、歌川派は浮世絵界の最大派閥となります。
歌川国貞《滝夜叉姫 尾上菊次郎 梅花》1862年 慶應義塾
幕末時代に浮世絵界を活気づけたのが歌川国貞です。
小さいころから浮世絵が大好きで役者絵を描き続け、その才能を豊国に認められたことから15、6歳の頃に入門したと言われています。
「美人画と役者絵は、三代豊国(国貞)に限る」と言われるほどの人気を集めました。
歌川国貞《豊国漫画図絵 日本左衛門 四代目中村芝翫》
豊国が亡くなった後、二代豊国の名を継ぎます。しかしこれより以前に豊国の婿養子豊重が二代豊国を襲名していました。
そこで現在は表記の混乱を避けるため、豊重を二代豊国、国定を三代豊国としています。
1844年から20年間、作中に「豊国画」と入れているため、「豊国画」が初代と間違われることもしばしばあるそうです。
歌川国芳《讃岐院ケン属をして爲朝をすくふ圖》1848-1852年
歌川国芳は15歳で豊国に弟子入りしますが、なかなかうまくいかない時期が続きます。
しかしその後、江戸で『水滸伝』が流行した時に、豪傑たちの姿を「武者絵」にしたシリーズを制作したことから一気に人気を得ました。
歌川国芳《本朝水滸伝剛勇八百人一個 渡辺源二綱》 東京都立図書館
水滸伝シリーズは天保期までに74図が刊行されて国貞の出世作となります。
荒々しさや躍動感を前面に打ち出した国芳の「武者絵」は、浮世絵の人気のジャンルになりました。
人や物を寄せ集めて別の絵柄を書く「寄せ絵」も得意です。発想力が豊かで多くの人気を集めたと言われています。
歌川国芳《みかけハこハゐがとんだいゝ人だ》1847年-1852年 木版多色刷
また国芳は豊国に負けないくらいの親分肌。多くの弟子をとり、100人を超えていたそうです。
歌川国芳について詳しく知りたい方はコチラ▼
国芳の流れはその後、「新版画」を代表する絵師のひとりである伊東深水(1898-1972)などに続いています。
1794年、東洲斎写楽が役者大首絵で華々しく浮世絵界にデビューします。
また同時期に豊国も役者絵シリーズを発表しました。
大判の役者絵を一気に出した写楽でしたが、多くの人の心をつかんだのは豊国の役者絵です。
歌川豊国(1世)||画 《世界花菅原伝授 車引和絵姿》 東京都立図書館
豊国の役者絵はあえて見た目の欠点は取り上げず、美化して人々の望む役者像を描いています。
一方、役者の欠点もはっきりと描く個性的な写楽の役者絵は大衆には受け入れられませんでした。その結果、写楽は1年足らずで筆を折ったのです。
しかし現在、写楽の絵は日本でも世界でも高い評価を受けています。
豊国の師匠である歌川豊春は、「浮絵」の名手です。
浮絵とは、西洋の遠近法を取り入れた浮世絵のこと。遠近法を使って描くと、より近くのものが浮かんで見えて、奥行きが深まって見えることから「浮絵」と呼ばれました。
豊春はオランダから輸入されたヨーロッパの銅版画を手本に、遠近法をより自然で完成度の高いものに近づけたり、日本の風景に明暗を取り入れたりとさまざまな試みをします。
このようにして浮絵は新しい浮世絵として確立していきました。
歌川豊国《浮絵 忠臣蔵七段目の図》1794年
豊国は豊春が得た浮絵の技法を使って描いた《浮絵 忠臣蔵》を発表します。
当時、忠臣蔵が江戸の人びとの心をつかんだことから多くの浮世絵が制作されました。
豊国の《浮絵 忠臣蔵》は遠近法を活用し、臨場感あふれる作品となっています。
歌川派が大きな勢力を広げる基となった歌川豊国(初代)。描く浮世絵の素晴らしさはもちろん、人の心を掴む技も素晴らしかったのでしょう。
多くの人に豊国の描く浮世絵が受け入れられただけでなく、たくさんの弟子を抱えたことからも、そのことが伝わります。
師匠の豊春の浮絵を取り入れたり、人気の役者絵や美人画を描いたりするなど多彩な豊国の魅力を感じることができました。
ぜひこれをきっかけに浮世絵の世界に足を踏み入れてみてくださいね。
【参考書籍】
・田辺昌子『もっと知りたい浮世絵』株式会社東京美術 2019年
・稲垣真一『知識ゼロからの浮世絵』株式会社幻冬舎 2011年