円山応挙/10分でわかるアート

10分でわかるアートとは?

10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。

作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。

今回は、18世紀の京都で活躍した絵師「円山応挙」について詳しくご紹介。

「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。

京都画壇のカリスマ絵師!円山応挙

円山応挙(まるやま おうきょ/1733-95)は、丹波国穴太(あなお)村(現・京都府亀岡市)に生まれました。

京都のはずれの貧しい農村で生まれた応挙。幼い頃に故郷を離れ、絵師を目指すかたわら、尾張屋というおもちゃ屋で働くようになります。

尾張屋は、京都市内の四条富小路(とみのこうじ)西入町にあった「びいどろ(*)道具」の店で、御所や公家が出入りしていた店だったそう。びいどろのようなガラスに関連する商品のほかにも、人形や骨とう品などの珍しい品物も扱っていました。

*びいどろ:ビードロ。ポルトガル語でガラスを意味する言葉。また、ガラス製の器具のこと。室町末期、長崎に来たオランダ人が製法を伝え、初めは、ビンなどの小さな道具だけが作られていました。

尾張屋で働きながら、応挙は絵の修業に励みます。一時は狩野派の絵師にも絵を教わったようですが、ほぼ独学で自身のスタイルを築いていきました。

やがて応挙の作品は、宮廷に近い人びとや裕福な商人層から大量の注文を受けるようになります。

30代のころには、応挙の人気は爆発的なものに! 当時の京都の有名人をランキングにまとめた『平安人物志』という本では、1768年に2位、1775年には1位に輝いたそうです。

日本写生画の祖・円山応挙

ウサギや鳥などの小動物を描くのが得意だったという応挙。なかでも、犬の絵は当時の庶民たちにもニーズが高く、多くの作品が現存しています。

子犬のふわっとした質感、たまらず抱き上げたくなリアルな描写は応挙ならでは! 応挙は誰もが知るカリスマ絵師ですが、「日本写生画の祖」とも呼ばれています。

見たままを描くのではなく、写生をもとに再構築した作品が多いのも特徴です。

また、応挙は西洋の陰影法も学んでいました。物が落とす影は描かずに、物を立体的に見せる暗い部分の「陰」だけを上手く使って立体感を表現しています。

売れる絵が描ける応挙のもとには多くの弟子が集まり、「円山派」は明治時代まで続きました。

円山応挙の有名作品

思わず抱き上げたくなる!可愛らしい子犬たち


円山応挙《朝顔狗子図杉戸絵》1784年

動物の子どもが遊ぶようすを描くのが得意だった応挙。《朝顔狗子図杉戸絵(あさがおくしずすぎとえ)》をはじめ、応挙の狗子図は当時から人気があり、現代でも多くの掛軸の作例が残されています。

本作は元々、尾張の明眼院の障壁画で、このように板戸の上に描かれていることは珍しいとのことです。

さすが日本写生画の祖と呼ばれるだけあって、まるで本物の動物がいるようなリアルさがあります!

「幽霊=足がない」というイメージを作った作品


円山応挙《幽霊図》1772-81年

応挙は、足のない幽霊のイメージを作った絵師としても有名です。

私たちの幽霊のイメージを決定づけた《幽霊図》は、腰から下がスウッと消えているように描かれています。

応挙が描いた幽霊のこの儚さは、反魂香(はんごうこう)が意識されているそう。反魂香とは、焚くとけむりの中に亡き人が現れる香のことです。

本作に描かれた幽霊は、恨みやこの世へのつらさから出現した幽霊ではなく、この世に遺してしまった大切な人を思うような悲しい表情をしています。

本作と似た構図の作品は、東京・谷中にある全生庵(ぜんしょうあん)が所蔵する、三遊亭円朝(えんちょう)コレクションにもあります。

円朝コレクションは、毎年8月1日から31日まで開催される幽霊画展で公開されていますよ。

全生庵公式サイト

近代絵画の幕開けを告げる作品


円山応挙 国宝《雪松図屏風》1786年頃

一面の雪の中にきらめく光を照り返して堂々とそびえ立つ松の姿を、墨と金と紙の白色のみで描いた国宝《雪松図屏風》。

本作は、京都や大阪、江戸で大規模な呉服商を営んでいた商家・三井家の依頼により制作されたと考えられています。

応挙作品のなかでも、傑作中の傑作として名高い本作は、応挙の優れた写生技術と余白などの空間意識を見事に表現したもので、近代絵画の幕開けを象徴する作品としても、非常高く評価されています。

本作は三井記念美術館が所蔵しています。

三井記念美術館公式サイト

江戸時代では珍しい「遠近法」を利用した絵、眼鏡絵

眼鏡絵とは、凸(とつ)レンズのめがねを通して見るおもちゃ絵の一種です。

日本では江戸時代中期に舶来し流行した眼鏡絵。覗機関(のぞきからくり。または覗眼鏡)の箱の片側に絵を入れ、反対側の凸レンズからのぞく方式と、平面に絵を床に置き、その上に45度の角度で設置した鏡に映して、凸レンズで拡大して見る方式の2種類があります。

最初は中国製で、中国の美しい風景を描いたものが多かったのですが、次第に日本の素晴らしい風景が描かれるようになります。その透視図法による遠近表現は、浮世絵の風景版画の発達に大きな影響を与えました。

応挙も青年期に一時、眼鏡絵作家として活躍していました。その代表作は、『三十三間堂通し矢図』『宇治橋図』などです。

おわりに

円山応挙について、詳しく紹介しました。いかがでしたか?

応挙の故郷である穴太は、JR山陰本線(嵯峨野線)亀岡駅が最寄り駅です。

ここには西国三十三箇所の観音霊場のうち、第二十一番札所である穴太寺があり、そのすぐ近くに「円山応挙誕生地」の石碑があります。

また、穴太寺から数分の距離にある小幡神社には、応挙筆「神馬図」絵馬が奉納されているなど、亀岡駅周辺は、応挙にまつわる作品が多く残っている地域でもあります。応挙ゆかりの地、穴太にぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

次回は、応挙が祖といわれる「京都画壇」について、彼の弟子などとあわせて詳しくご紹介します。

お楽しみに!

【参考書籍】
・山下裕二 監修『マンガで教養 やさしい日本絵画』朝日新聞出版 2020年
・樋口一貴『アート・ビギナーズ・コレクション もぅと知りたい円山応挙 生涯と作品』株式会社見聞社 2013年
・矢島新 監修『マンガでわかる「日本絵画」の見かた 美術展がもっと愉しくなる!』誠文堂新光社 2017年