塩田千春の作品から他者との「つながり」を考える。圧巻のインスタレーションに注目
2024年10月3日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、国語の教科書でもお馴染みの偉人である「紫式部」について詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
喜多川歌磨《紫式部》東京都立図書館
紫式部(970?₋1014?)は、平安時代に生まれた日本でも有数の女性作家です。
光源氏が主人公の『源氏物語』の作者として、名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
紫式部の生まれた年や亡くなった年は正確なものが伝わっておらず、本名などもわかりません。
紫式部という名前は一条天皇の后である彰子(しょうし)に仕えた際に使われていた呼び名です。
「紫」は『源氏物語』のヒロイン「紫の上」からとり、「式部」は父親の官職の「式部丞(しきぶじょう)」からとられたそう。幼いころから優秀で、結婚後、『源氏物語』を書き始めたといわれています。
その後、藤原道長から呼ばれ、道長の娘の彰子の女房になりました。
『源氏物語』は宮仕えしている間も書き続けられます。その間に書いた『紫式部日記』は、紫式部の人となりが伝わる作品です。
広重《源氏物語五十四帖 若紫》1852年 国立国会図書館デジタルコレクション
紫式部といえば『源氏物語』です。
作品が書かれた平安時代から現代まで多くの人に愛された作品で、その時代ごとにかるたになったり、絵画になったり、小説やまんがになったりと、さまざまな形で読み継がれています。
『源氏物語』は全部で54巻からなる長い物語です。
70年間にわたる物語で登場人物は約500人。それぞれに名前がついており、巻数よりその名前で呼ばれることが多いでしょう。
主人公である光源氏の誕生から高い位に就くまでが第一部、出家するまでが第二部、光源氏が亡くなり、息子たちが主人公の物語の第三部まであります。
広重《源氏物語五十四帖 桐壷》1852年 国立国会図書館デジタルコレクション
紫式部が『源氏物語』を書き始めたきっかけは詳しくわかっていませんが、理由の一つとして夫の藤原宣孝(ふじわらののぶたか)を亡くした悲しさをまぎらわせることであったと言われています。
滋賀県にある石山寺にこもって『源氏物語』を書いたこともあったと伝えられています。
歌川国貞(2世)《紫式部げんじかるた「四」「夕がほ」》 1857年 東京都立図書館
紫式部が『源氏物語』を書いた平安時代以降、現代にいたるまで多くの人が『源氏物語』や紫式部を題材に作品を発表してきました。
百人一首に取り入れられたり、多くの人の日記に書かれていたり。さらに美術作品としても残っています。
歌川国貞(2世)《紫式部氏歌る多「壱」「桐つぼ」》 1857年 東京都立図書館
平安時代の終わりごろからは、紫式部にまつわる絵巻や屏風が作られるようになりました。
五島美術館には国宝《紫式部日記絵巻》があるなど、さまざまな美術館でその作品を見ることができます。
江戸時代後期には歌川国貞が《紫式部げんじかるた》を制作し、人気を博しました。
美しい浮世絵で紫式部の世界を表現しています。
また「源氏香(げんじこう)」という香りの楽しみ方も紫式部由来の芸術の一つです。
江戸時代初期に始まり、香りの名前を源氏の巻名で表現するようになったことに由来しています。
平安時代は男性が「漢字」、女性は「かな」を読み書きするとされていました。
しかし、紫式部は子どもの頃から「漢字」を読めるなど、とても優秀だったそうです。
そのため紫式部の父・藤原為時(ふじわらのためとき)は、弟より優秀な紫式部が男でないことをたいへん惜しんだと言われています。
紫式部が大人になり、宮中に仕えるようになってからは、内向的な性格から漢字を読めることを隠していました。
漢文だけでなく、『日本書紀』についての知識も豊富でしたが、紫式部が能力を見せるのは彰子の前か物語を書く時だけだったようです。
『紫式部日記』には、学問の知識を持つのは悪くないけれど、その知識をひけらかすのは良くないと書いています。
同じ時代に生きた紫式部と清少納言(966?-1025?)はよく比較されますが、実際の関係性はどうだったのでしょうか。
清少納言が仕えていた定子(ていし)は、紫式部が仕えていた彰子のライバルでした。
定子が亡くなった後も、宮中では定子と清少納言の評判が良く、紫式部は彰子の評判が上がらないことに心を痛めていたようです。
そのことから清少納言をライバル視しており、かなり厳しい目を向けています。
『紫式部日記』では、清少納言が偉そうにしている、たいしたことはない、などかなり酷評している場面も。
清少納言の『枕草子』を意識して『紫式部日記』を書いていたともいわれています。
これだけ清少納言を意識して批判していた紫式部ですが、実際には会ったことがないそうです。
仕えている女主人への想いや待遇から、ライバルを厳しく批評してしまうのはこの時代ならではかもしれません。
『源氏物語』を生み出した紫式部は、その当時の宮中の生活を現代の私たちに伝えてくれます。
時代背景や複雑な人間関係などを知ると、いっそう平安時代を知ることができますね。
これをきっかけに、平安時代のさまざまな文学や、それにまつわる美術作品などにもぜひ触れてみてください。
【参考書籍】
・川村裕子『ビジュアルでつかむ!古典文学の作家たち 紫式部と源氏物語』株式会社ほるぷ出版 2023年