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2024年11月21日
今回の「10分でわかるアート」では、北方ルネサンスを完成させたドイツの巨匠「アルブレヒト・デューラー」について詳しくご紹介します。
アルブレヒト・デューラーは、1471年にドイツのニュルンベルクで生まれました。
父は金細工職人で、父から金細工職人としての基礎を学びましたが、美術の才能を開花させます。
20代で、さまざまな親方のもとで修業を積み、父のすすめで故郷の真鍮(しんちゅう)職人の娘であるアグネス・フライと結婚します。
結婚後まもなくイタリアへ渡り、ベネチアなどで当時の最先端の美術を学んだデューラー。
レオナルド・ダ・ヴィンチなどイタリアの著名な芸術家とも交流があったようです。
1495年ごろにニュルンベルクに戻り、従来の北部様式にイタリアで学んだことを融合させ北方ルネサンスを完成させました。
デューラーは油彩画だけでなく、銅版画や木版画に加え多くのデッサン画を残しています。
晩年はネーデルランド(オランダ)に数年間滞在。執筆活動に勤しみ、56歳でこの世を去りました。
デューラーは多くの自画像を描いたことでも有名です。
ルネサンス以前は画家が個性を出すことは憚られていました。
また、高貴な身分の人の自画像を描く場合は横顔が主流でした。
しかし、1500年にデューラーは真正面の自画像を制作します。これは当時前代未聞のことでした。
自らをキリストになぞらえて描いたさまは、自己愛の深さゆえなのでしょう。
こちらは、イエス・キリスト誕生のようすを描いています。
イタリアで学んだ遠近法などが取り入れられており、デューラーの緻密なデッサン力とバランスの取れた画面構成、鮮やかな色彩が目を惹きます。
こちらの作品はデューラーの三大銅版画の一つです。
死神や悪魔にも動じない毅然とした騎士の佇まいは、デューラーの不屈の精神を表したものと言われています。
幼少期から美術の才能を発揮していたデューラーの作品は評判となり、人気を博しました。
その一方で、デューラーの作品を模倣した偽物も多く出回ります。
デューラーはアルファベットの「A」と「D」を組み合わせたような記号を作品に記し、自らの作品であることを明示しました。
絵画のサインにモノグラム使用するのはデューラーが初めてだったとか。
しかし、それでも模倣品はなくならず、我慢の限界を超えたデューラーは、史上初の知的財産権を争う裁判を起こしました。
デューラーは勝訴しましたが、認められたのは商標権のみ。
デューラーの作品として模倣することは禁止されたものの、作品を模倣して販売すること自体は禁止されなかったのだそう。
裁判後も偽物がなくなることはありませんでした。
23歳のときにアグネス・フライと結婚したデューラー。
修行の旅を終えた際には、故郷のアグネスに向けて忠誠を誓う花を手に持った自画像を描いています。
しかし、その結婚生活は幸福なものではなかったと言われています。
天賦の才能と知性をもつデューラーは、あまり家庭を顧みず、博識な友人らと学術的な議論することを好みました。
アグネスにはデューラーの考えを理解できない部分もあり、互いに不満がたまっていく一方でした。
ただ、晩年ネーデルランドへアグネスと長旅に出た際には、彼女に現地の衣装を着せて素描を描いたというエピソードが残されています。
必ずしもアグネスをぞんざいに扱っていたわけではなかったのかもしれません。
夫婦の間に子どもはできませんでしたが、デューラーは最期までアグネスと連れ添いました。
天才肌だったデューラーですが、成功をおさめることができたのは、才能だけではなく本人の努力と探求心もあってこそ。精巧で息をのむほどの作品の数々が人気を博したのもうなずけます。
模倣品に対する提訴やモノグラムの導入、単独自画像の制作など、それまでの常識を覆すようなエピソードも多く、デューラーの人物像を知れば知るほど作品にも興味がわきます。
デューラーの家は現存しており、ドイツでは観光スポットとなっています。
ドイツ旅行の観光候補にいかがでしょうか。
10分でわかるアートとは?
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
【参考書籍】
藤代幸一『デューラーを読む-人と作品の謎をめぐって』法政大学出版局 2009年
前川誠郎『デューラー 人と作品』㈱講談社 1990年