木島櫻谷 ― 山水夢中/泉屋博古館東京

膨大な写生帖から立ち現れる櫻谷の山水図の魅力 「木島櫻谷展」【読者レビュー】

2023年6月12日

木島櫻谷 ― 山水夢中/泉屋博古館東京

近年人気が高まっている近代日本画家の木島櫻谷(このしま・おうこく、1877-1938)

過去に2回、木島櫻谷の展覧会を開催し、櫻谷の再評価のきっかけを作った泉屋博古館で、この度、新たな櫻谷展が開催されました。

その名も「木島櫻谷―山水夢中―」展。動物画が特に有名な櫻谷ですが、実は山水画も多く描いています。山水図に焦点を当て、櫻谷の新たな魅力を堪能できる本展のみどころを、たっぷりとご紹介します。

「写生帖よ、汝は畢生の伴侶」――櫻谷芸術を支えた写生帖を公開!

山水図というテーマのほかに、本展のもう1つ重要なトピックが「写生帖」です。櫻谷の作品、自宅やアトリエ、収集した古書画などを保管管理する櫻谷文庫には、約600冊にもわたる櫻谷の写生帖が残されています。これらの写生帖をまとめて展示することも本展の企画理由の1つ。

会場のエントランスロビーには、膨大な写生帖の中から、選りすぐりの数帖が展示されています。実際にその土地を歩いて見た風景、道中で見かけた地元の人びと、民家・民具など、櫻谷が目にし、感動した光景が臨場感をもって描き出されており、ラフなタッチの中にも確かな描写力が冴えわたります。



(上)下側は写生帖《芙蓉集 一》明治41年5月 櫻谷文庫(下)写生帖《海濤集 四》第六図 明治38年8月 櫻谷文庫

京都・三条に生まれ、幼い頃より絵を描くのが好きだった櫻谷は、今尾景年の画塾に入門します。そして写生を重んじた塾の方針もあり、櫻谷は積極的に写生に取り組み、日帰りや一泊での写生のほか、一時期は年に1度、仲間や弟子たちと長期の写生旅行を行いました。京都近郊から、飛騨や明石、大分県・耶馬渓などさまざまな土地を歩き、木々が生い茂る山道や、水の流れる河川、波が飛沫を上げて岸壁に打ち寄せる海などを細やかに描き込んでいます。

(左)写生帖《渓山奇趣》耶馬渓より 明治42年5月 櫻谷文庫(右)写生に欠かせない愛用の矢立(墨壺と筆筒が一体となった携帯用筆記具)明治~大正時代 櫻谷文庫

櫻谷がいかに写生を大切に思っていたかは、《題写生帖自警》で知ることができます。「汝写生帖兮 汝実予畢生之良侶伴」の言葉から始まる文章は、誰に見せるでもなく、自分自身への誓いとして書かれた文章で、森羅万象を写しすべてを収める写生帖を“生涯のよき友”と呼びかけ、画家として高みを目指す自身の伴侶と語っています。


「題写生帖自警」(写生帖より) 明治36年 櫻谷文庫

展示されている写生帖は、600冊以上という数からすれば“氷山の一角”ですが、画家が感じた感動をそのまま封じ込めたような闊達で瑞々しい描写は1つの作品として鑑賞に堪えうる高い完成度で、櫻谷の写生帖の魅力を存分に示しています。

写生から“山水図”へ

あちこちへと写生に出かけた20代の櫻谷は、一方で展覧会に次々と大作を発表します。写生で培った描写力に、当時、洋画家の浅井忠との交流から得た西洋の遠近法や陰影表現なども加え、実在感のあるスケールの大きな山水図を描きました。

《万壑烟霧》(ばんがくえんむ)は、画面手前の岩から、霞む雲を隔てて遠く聳える岩山を望む光景が、大パノラマで描かれています。この壮大な景色の一部は、大分県・耶馬渓の岩山の風景が基になっており、明治42年の写生帖にその渓谷の風景が写されています。


(奥)《万壑烟霧》明治43年 株式会社千總(手前)写生帖《渓山奇趣》耶馬渓 明治42年5月 櫻谷文庫

雄大な岩山の表現も目を引きますが、タイトルの「烟霧」とあるように、本作の主題は渓谷の間に立ち上る霞であり、水分を多く含んだような霞が陽光を浴びて煌めく様は、画面に幽玄の趣を与えています。

《細雨・落葉》は、雨の山中を歩く鹿の親子や、強風で舞い落ちる紅葉を見上げる猿の姿が愛くるしく、動物画の名手である櫻谷の面目躍如たる作品です。一方で、その舞台となる山中の景観表現も写生に訪れた春日野や洛北などの景色が活かされており、立体感ある木々の表現などに、西洋画の影響も感じられます。風景の実在感と詩情豊かな趣が画面の中で融合し、櫻谷ならではの桃源郷が作り上げられています。



《細雨・落葉》明治38年 福田美術館

近年発見された櫻谷の障壁画も初公開

本展では、櫻谷が明治43年に京都・大徳寺の塔頭の1つである南陽院の本堂に描いた襖絵も初公開となります。5室ある本堂の襖絵、全50面に、さまざまな山水図を櫻谷は描きました。禅宗寺院の障壁画では、中国的な山水図が描かれることが多いですが、本作では明石や琵琶湖の畔を思わせる日本的なしみじみとした風景が広がります。依頼の経緯は不明ながら、師の今尾景年が法堂の天井画を制作していることから、その縁で描かれたのではないかと考えられます。


南陽院本堂障壁画より《渓山煙霧》(室中西面)明治43年 京都・南陽院

名作《寒月》と《駅路之春》―2点が並ぶのは6月18日まで!

実景を基に壮大で臨場感ある山水図を手がけた櫻谷ですが、壮年期になり忙しくなると、写生に出かける機会も少なくなりました。そして限られた時間の中で走らせた筆跡は、若い頃と比べて簡潔なものに変化します。

その変化と呼応するように、大画面作品でも新たな画風を確立していきます。それまでの細かい描写が削ぎ落され、主題の本質を簡潔に表す表現へと変わり、色彩もより鮮やかになり、櫻谷の山水図はさらに豊饒なものとなっていきました。



(上)《寒月》大正元年 京都市美術館【展示期間:~6/18】 (下)《駅路之春》大正2年 福田美術館

その中で、特に名品として名高いのが、《寒月》と《駅路之春》(うまやじのはる)の2点です。下弦の月が浮かび、雪が降り積もった竹林の中、一匹の狐が歩くようすを描いた《寒月》。一方、街道を結ぶ宿駅の茶屋で休憩する人びとと馬のようすを大胆な構図と目に鮮やかな色彩で描いた《駅路之春》。対照的な風情の2点ですが、どちらも櫻谷芸術の真骨頂と言える傑作です。《寒月》は6月18日までの展示のため、この両作の競演をぜひともお見逃しなく!

そして、この大作においても写生で見た風景が活かされており、京都・貴船で見た降り積もった雪の光景や旅先で見た馬の休むようすなど、作品イメージと通じる光景が確かに写生帖に残っています。写生帖の中に、そして自身の中に蓄積させてきた数々の光景を、櫻谷は自由自在に大画面の中に取り入れました。


写生帖《京都近郊》明治30年代 櫻谷文庫

胸中の山水に遊ぶー晩年の山水画

晩年、衣笠の自邸で過ごすことが多くなった櫻谷は、制作の傍らで中国の古書画などの蒐集、鑑賞を楽しみました。この頃には、若い頃に写生した各地の風景と、心に浮かぶ理想郷が混然一体となっていきます。

《画三昧》では、これから描き始めようとしているのか、立て掛けた画架の前に座り込み、目の前の紙を眺める老人の姿が描かれています。袴姿の老人は、常に綿袴を着ていた櫻谷の姿とも重なります。右手に持つのは筆ではなく木炭であることから下絵段階と分かり、白紙と思われる紙の前でうっとりとするような顔を見せるのは、既にその眼には描くべき雄大な景色が映っているのでしょう。本作は決して自画像ではありませんが、この頃の櫻谷の境地を物語る作品です。


(左)《画三昧》昭和6年 櫻谷文庫  (右)《峡中の秋》昭和8年 櫻谷文庫

そして、そんな櫻谷が心の眼で見た景色と言うに相応しい作品が、最後の官展出品作となった《峡中の秋》でしょう。まだ誰も踏み入ったことのないような深い山の奥地で、人知れず真っ赤に色づく紅葉。悠久の景色がただただ静かに立ち現れてきます。

梅の里として知られる奈良の月ヶ瀬を描いた2点で、左は明治~大正期、左は昭和期の作。晩年になると詳細が省かれ、実景から離れて心に浮かび上がった光景を軽妙洒脱なタッチで描いています。

図録&写生帖データベースも必見!

櫻谷の写生帖に魅了された方は、ぜひ図録と写生帖データベースもチェックしてみてください。図録には、展示されたページ以外の画像も掲載されており、それらを順に見ていくと、旅の中で櫻谷の眼と心の動きを追体験するような感覚を覚えます。中でも、《雲峰集 第三》は特別な紙に印刷され、実際の写生帖のような体裁になっており、写生帖のページを繰る気分を味わうことができる楽しい仕掛けになっています。

写生帖データベースでは、膨大な写生帖のうち大判の風景写生帖を閲覧することができます。紙の継ぎ足しが多いために劣化が著しかった大判の写生帖の修復事業が行われ、修復が終了した40冊がデータベースとして公開されています。

データベースURL: https://okoku-shaseichou.com/

日本各地を旅し、そこで出会い心動かされた光景をすべて写生帖に封じ込めてきた木島櫻谷。写生帖に残された数々の風景からは、櫻谷がいかに各地の山、海、川、町の光景に夢中になっていたかが伝わってきます。そして、その写生帖から生まれた櫻谷の山水図に、今度は私たちが夢中になる番です。

Exhibition Information

展覧会名
特別展 木島櫻谷 ― 山水夢中
開催期間
2023年6月3日~7月23日 終了しました
会場
泉屋博古館東京
公式サイト
https://sen-oku.or.jp/tokyo/