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2024年11月1日
特別展「没後30 年 井伏鱒二展 アチラコチラデブンガクカタル」/神奈川近代文学館
「山椒魚は悲しんだ。」という興味をひく出だしで有名な小説『山椒魚』や『黒い雨』など、今もなお多くの愛読者を持つ作家・井伏鱒二(本名・満寿二、1898-1993)。
井伏鱒二は2023年に没後30年を迎えました。
現在、神奈川近代文学館では、井伏の妻・節代氏から寄贈された「井伏鱒二資料」を核に、その生涯と作品世界を紹介する展覧会が開催中です。
会場風景
井伏鱒二は、1898年2月15日に広島県安那郡加茂村(現・福山市加茂町)粟根(あわね)に生まれました。
井伏家は1442年まで遡れるという旧家で、1570年から粟根に定住して代々地主をつとめた家柄だったと言います。
書画骨とうが好きだった祖父に溺愛されて育った井伏。
その影響もあって、井伏は幼少期から絵に親しみがあったのだそう。そのため、最初は文学者ではなく画家を志していたと言います。
会場風景
中学卒業後、スケッチ旅行先の京都で日本画家・橋本関雪の弟子に志願しますが断られて帰郷。
その後、兄・文夫のすすめで文学の道へ進むようになりました。
兄のすすめにより小説家を志した井伏は、1917年に早稲田大学高等予科第一学年に編入します。
1919年には同大学文学部文学科仏蘭西(フランス)文学専攻に進学。しかし、教授の片上伸(のぶる)との関係が悪化したために、退学を余儀なくされます。
そして井伏は大学中退後、文壇に出ることを目指して同人誌への執筆を重ねました。
会場風景
井伏の代表作のひとつ『山椒魚』は、処女作『幽閉』を書き直し、『文芸都市』1929年5月号に発表したものです。
山椒魚の嘆きを叙情的に描いた『幽閉』と比べて『山椒魚』では、欧文を直訳したような文体や漢語・科学用語を多く織り交ぜながら、山椒魚の絶望が深まっていくようすを印象的に描き出しています。
本展では、処女作『幽閉』と『山椒魚』を読み比べすることができます。その違いを会場でチェックしてみてくださいね。
会場風景
『黒い雨』は、広島の被爆者に取材し、原爆による悲劇の実相を描いた作品です。
本展では、『黒い雨』の物語を完成させるために参考にした、被爆者である重松静馬の手記などを展示しています。
史実から自由に想像する従来の手法とは異なり、事実を描くことに重点を置いて描かれたという『黒い雨』。
本作は、1966年に野間文芸賞を受賞し、また世界各地で翻訳されて高い評価を受けました。
本展では、一番弟子の太宰治(1909-1948)をはじめとする作家たちとの交流についても紹介しています。
会場内には、井伏と作家たちの間で交わされた書簡がズラリ。読んでみると、彼らを思いやる優しい言葉に交友の広さの理由が見えてくるようです。
会場風景
こちらは、太宰治について井伏と佐藤春夫の間で交わされた書簡です。
太宰は1935年に、井伏の師匠である佐藤春夫を初めて訪ねて、師事しました。
太宰と佐藤の関係については、芥川賞の落選をめぐる事件が有名なので、知っている方も多いのではないでしょうか。
本展では、そんな井伏と太宰、佐藤の3人の関係性が表れた書簡7通を紹介します。
本展で紹介されている書簡類は、未発表資料も多く含みます。この機会をお見逃しなく。
没後30年を迎えた文豪・井伏鱒二について紹介する本展。
井伏の数ある作品の中でも、心に残る言葉があります。最後にこちらをご紹介。
会場風景
井伏の名訳で知られる唐代の詩人于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒(かんしゅ)」の後半部分です。
「はなにあらしのたとへもあるぞ さよならだけが人生だ」。95歳まで生きた井伏だからこそ、このような訳が考えられたのかもしれません。