試行錯誤する京都画壇の若き日本画家たち【読者レビュー】

公開日:2023年10月28日 
最終更新日:2023年10月27日

開館60周年記念 京都画壇の青春/京都国立近代美術館

明治末から昭和初期に青春時代を送った近代京都画壇の画家たち、完成期とは異なる魅力、過剰さと繊細さをあわせ持つ若き日の彼らの作品を通してこの時代の京都画壇の動向を探ります。

4章構成で各章の解説はありますが、個別作品には音声ガイド以外はキャプション横などに作品解説はありません。キャプションにはその作品を描いた時の画家の年齢が記されていることにご注目ください。


美術館前フォトスポット

「明治以降の京都の美術界は、東京や西欧との対峙の歴史」
時代背景:明治2年(1869)

東京へ都が遷り、天皇、公家、御用商人までが京都を離れ、また、西洋文化の流入が質量ともに高まると、”京都は時代遅れ”の風潮もあり、伝統的な美術界の存在が脅かされるようになります。


土田麦僊《海女》(部分) 大正2(1913)京都国立近代美術館 26歳
※写真は本展看板

明治40年(1907)に初の官設展として文部省美術展覧会(文展)が開かれ、展覧会時代の始まりです。

渡欧した画家や学者たちが最新の美術思想や画家の情報を持ち帰りますが、帰朝者たちが唱える「個性」を捉えるのは容易ではなく、新しい日本固有の絵画=「日本画」でのモチーフ、画材、描法を模索します。

一方、正当な評価がされない文展を見限り、大正8年(1917)土田麦僊(つちだばくせん)は京都市立絵画専門学校出身の村上華岳、榊原紫峰、小野竹喬(おのちっきょう)、野長瀬晩花(のながせばんか)ともに国画創作協会を結成します。

個性を解放した作品を自由に創作し、発表する場として設立され、若き画家たちは「日本画とは何か」を捜して思いが迸るように精力的にチャレンジングな作品を描きました。


岡本神草《口紅》大正7年 24歳
岡本神草展@京都国立近代美術館 2017年11月17日撮影

土田麦僊が推す岡本神草の《口紅》と村上華岳が推す甲斐庄楠音の《横櫛》をおさえて、栖鳳の仲裁で受賞することとなった金田和郎の《水密蜜》も展示中です。

今年一気に話題となった甲斐庄楠音の《横櫛》(京都国立近代美術館蔵)は、後期展示、濃密濃彩な金田和郎の《牡丹図》も後期に、野長瀬晩花《初夏の流》は前期展示です。


小野竹喬《奥の細道句抄絵 あかあかと日は難面もあきの風》昭和51 紙本着色「令和5年度 第3回コレクション展」展示中

国画創作協会創立メンバーの一人である小野竹喬(1889-1979)は、故郷の温暖な瀬戸内の景色をセザンヌ風に描きました。茜色が美しい晩年の作品が4Fのコレクションギャラリーに展示中です。

大正10年(1921)に土田麦僊など国画創作協会や日本美術院のメンバーは渡欧します。

ヨーロッパで実際に作品を目にして、日本画の画材では到底西欧の写実には太刀打ちできないと実感します。日本画材を生かす道があることを確信し、西欧の美術と比較しながら日本の古典を見つめ直します。

舞妓や大原女や日本の風俗、風景に惹かれ、麦僊は色彩で埋め尽くされた洋画風でありながら平板な印象の麦僊の代表作《舞妓林泉》を描きあげました。

晩年は余白を生かした静謐な花鳥画を描くようになります。帰国後竹喬や菊池啓月、小林古径などの日本画家も憑物が落ちたかのように線を重視した落ち着いた色合いの作品を描くようになったそうです。

この時代若き彼らだけでなく、京都画壇を牽引した竹内栖鳳や先輩格の上村松園や最近注目を集めている木島桜谷らも「日本画とは?」を追い求め、気が付くとそれは自分たちを育んだ風土や風俗の中にあったと気づき事になったのですね。

展示中の《老妓》など大正期にドロドロとした暗い女性像を多く描いていた梶原緋佐子(1896 – 1988)の80歳代になってからの清々しい作品が4Fコレクションギャラリーに展示されています。


梶原緋佐子《残波岬》昭和53 紙本着色

憧れの西洋美術の背中を追い、仲間と共に古臭い伝統や展示会場と戦いぬいた末に見出した「新しい日本固有の絵画(日本画)」は自分のすぐ近くにあったようです。

日本画には、着物姿の人物が多く描かれていると言うことから、コレクションギャラリーに豪華な振袖が展示されていました。

Exhibition Information