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2024年11月1日
頂相/相国寺承天閣美術館
会場エントランス
相国寺承天閣美術館(京都)で、由緒あるお寺ならではの珍しい展覧会が開催されています。
「頂相(ちんそう)」とはちょっと聞き慣れない言葉ですが、僧侶の肖像画のことです。
相国寺承天閣美術館は、京都御所のすぐ北にある相国寺の境内にあります。
相国寺は室町幕府三代将軍足利義満によって創建され宮家にもゆかりの大寺院。
「金閣寺」「銀閣寺」としておなじみの鹿苑寺(ろくおんじ)、慈照寺(じしょうじ)は相国寺の塔頭寺院(たっちゅうじいん)、つまり相国寺の子院なんです。
承天閣美術館は、相国寺および鹿苑寺、慈照寺をはじめ臨済宗相国寺派の寺院が所有する文化財を収蔵展示しています。
相国寺承天閣美術館 外観
境内の奥へ続くアプローチを進むと、承天閣美術館が見えてきます。
さすがお寺の美術館、館内は土足禁止。靴を下足箱に入れて展示会場へ。
頂相がずらりと並ぶ展示会場
会場に入ると、ずらり並んだ僧侶の絵姿。これが頂相です。
お坊さんたちに見つめられているような、何とも言えない圧があります。
「頂相」は何のために描かれたのでしょう。
禅宗では、師が弟子に法を正しく受け継いだことを示す、いわば免許皆伝の証として師の絵姿や袈裟が与えられます。
その絵姿が「頂相」。また頂相は、師の回忌法要にも掲げられます。
(左)足利義満像 狩野探幽筆 (中央)夢窓国師像 尭恕法親王筆 (右)普明国師像 狩野探幽筆 相国寺蔵
こちらは相国寺開山に関わる3人の頂相。
中央は開祖・夢窓疎石(むそうそせき)、右はその弟子・春屋妙葩 (しゅんおくみょうは)、左は相国寺を創建した足利義満です。
夢窓疎石の三百年遠忌にあたって狩野探幽によって描かれましたが、夢窓疎石の頂相が火災で焼失。
のちに尭恕法親王(ぎょうじょほうしんのう)が描いて再び三幅が揃いました。
隔蓂記(かくめいき)鳳林承章筆 鹿苑寺蔵
相国寺には、当時画壇のトップだった狩野派が描いた頂相が多く伝わります。
鹿苑寺住職・鳳林承章(ほうりんじょうしょう)が書き綴った日記にその経緯が詳しく書かれています。
御所造営の際、御所の絵を制作するため狩野派の絵師たちが相国寺に滞在していました。
そこで狩野探幽に直接「列祖図(れっそず)」を依頼したことが記されています。
列祖図三十幅 狩野派 江戸時代 相国寺蔵より(Ⅰ期展示)
(左)初祖 達磨 狩野探幽筆 (右)三祖 僧璨鑑智(そうさんかんち) 狩野常信筆
列祖とは歴代の祖師のこと。初祖・達磨から代々、どのように禅宗が伝えられたのか頂相によって示されます。
狩野派の絵師たちが相国寺のために描き、開山忌に用いられました。
列祖図三十幅 狩野派 江戸時代 相国寺蔵より(Ⅰ期展示)
(左)六祖 慧能大鑑(えのうだいかん) 狩野常信筆 (中)四祖 道信大医(どうしんだいい) 狩野常信筆 (右)二祖 慧可(えか) 狩野安信筆
お坊さんの肖像といっても、じっくり見ればひとりひとり個性豊かなお顔だったり。
右側の二祖・慧可のニンマリ笑ったような表情が、なんだか気になります。
列祖図三十幅 狩野派 江戸時代 相国寺蔵より(Ⅰ期展示)
(左)楊岐方会(ようぎほうえ) 狩野(素川)信政筆 (中)汾陽善昭(ふんようぜんしょう) 狩野(素川)信政筆 (右)風穴延沼(ふけつえんしょう) 狩野時信筆
とても気になるお方を発見。
お坊さんなのにまさかのおかっぱ頭⁉中国では宋代、頭髪や髭、爪も切らずに伸ばしっぱなしにする僧侶が増え、有髪の僧侶が主流になっていたそう。
僧侶といえば坊主頭と思い込んでいたので、驚きの事実でした。
これらの列祖図は5月12日までの展示。5月26日からの第Ⅱ期には大應寺所蔵の二十八祖図が展示されます。
東福門院寄進袈裟一式のうち袈裟 昕叔顕晫(きんしゅくけんたく)所用 江戸時代(1648年)慈照院蔵
お坊さんたちが身につける袈裟も展示されていました。思っていたより大きい!
最も大きなサイズの袈裟が「大袈裟」。「おおげさ」という言いまわしはここからきたんですね。
竹篦(しっぺい) 江戸時代 慈照院蔵
座禅で、思わず気がゆるむとペチンと肩を打たれる道具がこの竹篦。
慣用句の「しっぺ返し」もこの「竹篦」が由来なんです。禅から派生している言葉は、意外と多いんですね。
全身像の頂相では、僧侶が竹篦を右手に持っている姿がよく描かれています。
堆朱碁打図大合子(ついしゅごうちずだいごうす) 明時代 相国寺蔵
法要の折、焼香に用いられた「合子」と呼ばれるふた付の器。相国寺の行事で実際に使われていたものです。
ふたには碁盤を囲む人が描かれています。
夕佳亭(せっかてい)復元
展示室内には金閣寺の境内に建つ茶室「夕佳亭」も再現されていました。
次の展示室へ進みます。
回廊から見るモダンな枯山水
展示室をつなぐ回廊からは、窓越しに美しい庭を見ることができます。
回廊から見る十牛乃庭
禅の悟りに至る道をあらわした「十牛乃庭」を眺めながら第2展示室に至ります。
(左)夢窓疎石頂相 無賛 南北朝時代(14世紀)相国寺蔵
(中)夢窓疎石頂相 自賛 南北朝時代(14世紀)相国寺蔵
(右)夢窓疎石頂相 自賛 南北朝時代(14世紀)相国寺蔵
頂相は弟子へ受け継がれるもののほか、没後50年や100年など遠忌の際に描かれることもあり、同じ僧侶を描いた多くの頂相が存在します。
相国寺の開祖・夢窓疎石の頂相が並べて展示されていました。
同じ人物を描いているのですが絵師によってとらえ方に個性があり、比べてみると興味深いです。
(左)無学祖元(むがくそげん)・高峰顕日(こうほうけんにち)墨蹟 問答語 鎌倉時代(1281年)鹿苑寺蔵
(右)無学祖元頂相 春屋妙葩(しゅんおくみょうほ)賛 伝趙子昂(ちょうすごう)筆 元時代(14世紀) 慈照院蔵
鎌倉時代に中国から渡来し日本に帰化した臨済宗の高僧・無学祖元(むがくそげん)。頂相の隣に掛けられているのは、悟りを開くために師に問いかけ、師が答える「禅問答」です。
無学祖元と日本の僧・高峰顕日(こうほうけんにち)の問答―――
「お前はひたすら路に沿って行くがよい。路に沿って来るべきではない」
「どちらの歩みも、足跡はありません」
・・・「わかったようなわからないようなやりとり」を「禅問答」と言いますよね。
(左)昕叔顕晫遺偈 江戸時代(1658年)慈照院蔵
(中)昕叔顕晫頂相 自賛 江戸時代(1642年)慈照院蔵
(右)印可状 江戸時代(1641年)慈照院蔵
中央の頂相は17世紀の相国寺の僧・昕叔顕晫(きんしゅくけんたく)。
彼は弟子の覚雲顕吉に、悟りに達したことを証明するしるしを授けました。それが右側の「印可状(いんかじょう)」。
翌年、弟子に請われて与えたのが中央の頂相です。
左は、死期を悟った昕叔顕晫が弟子たちに最後に示した辞世の句。禅の教えがどのように受け継がれるのか観ることができる展示です。
展示風景
「頂相」を通じ、師と弟子に連綿と続く絆と、禅の歴史を感じられる展覧会でした。
禅から派生した言葉も多く、禅の教えは知らず知らず日本人の精神に息づいています。仏教にあまり馴染みのない人にもご覧いただきたい展覧会です。
期間限定の御朱印
会期中限定の御朱印は300円。来館のしるしにいかがでしょうか。
月夜芭蕉図 伊藤若冲筆 江戸時代 鹿苑寺蔵
相国寺は伊藤若冲ゆかりの寺としても知られます。常設展示されている作品もありますので、こちらもお見逃しなく。
Ⅰ期:2024年3月17日~5月12日
Ⅱ期:2024年5月26日~7月21日