「古代ガラス―輝く意匠と技法」/MIHO MUSEUM

二千年の時を超えて輝く古代のガラスに桃源郷で出会う【MIHO MUSEUM】

2024年3月15日

古代ガラス ー 輝く意匠と技法/MIHO MUSEUM

美術館正面を臨む

琵琶湖の南側、自然豊かな信楽の山中に建つMIHO MUSEUM

二千年もの時を超えて伝わる古代ガラスをはじめ、200件以上の作品を23年ぶりに一挙公開する展覧会が開催されています。

緑豊かな山中 桃源郷にたたずむ美術館

JR琵琶湖線石山駅からミュージアム行の路線バスに乗ること約50分。

エントランス棟に着いたら枝垂れ桜のプロムナードを登り、まるで異世界に繋がるような銀色のトンネルをくぐると、吊り橋の向こうに美術館が見えてきます。

ルーヴル美術館のガラスのピラミッドで知られるI.M.ペイ氏が、中国詩の楽園「桃源郷」をイメージして設計した美しい空間です。

古代エジプト 王家のためのガラス

壮大な館の中を歩き、エントランスを通って会場へ入ります。


会場エントランス

私たちの生活に身近な存在の「ガラス」。ガラスはいつ誕生したのでしょうか。

諸説ありますが、原料を溶かしてガラスを作り出せるようになったのは、今から4000年ほど前のメソポタミアが発祥と言われています。


《河馬像》エジプト 紀元前21~紀元前17世紀

ガラスの製法は3500年前にはエジプトに伝わりました。
この小さなかわいいカバは「ファイアンス」と呼ばれるガラスと陶器の中間にあたるような素材でつくられています。

青は母なるナイル川の色。エジプトでは青色が尊ばれ、高価な青い貴石ラピスラズリに似たファイアンスは副葬品や装飾品に用いられました。


《ファラオ頭部 おそらくアメンホテプ3世》エジプト 紀元前14世紀前半

エジプトではガラスは王家のためもの。貴族でさえ手にすることはできませんでした。

ツタンカーメンの祖父・アメンホテプ3世と思われる《ファラオ頭部》は、古代エジプト最大のガラス肖像彫刻です。

小さなガラス製品しか製造できなかった時代に、顔全体をガラスのかたまりでつくるのはきわめて困難だったはずです。

ガラス文化はエーゲ海へ


展示風景

ガラスはメソポタミアからエーゲ海周辺へも伝わります。ミケーネ文明が栄えた時代は、青くて薄い透明のガラスビーズが作られました。

ガラス器の制作には高度な技術が必要でした。地域文明が発展するとガラス文化も発達しますが、その文明が滅びるとガラス文化も埋もれてしまいます。

ミケーネ文明後、再びガラス文化が歴史に現れるまでに約600年の時を待つこととなります。

魔除け⁈アイビーズの流行


人頭形ペンダント展示風景 フェニキアかカルタゴ 紀元前5世紀~紀元前4世紀

今から2600年ほど前、東地中海一体でビーズに眼玉のような丸い点を重ねてつけた「アイビーズ」と呼ばれるビーズが大流行しました。

眼は魔除けの力を持つといいます。地中海交易で一時代を築いたフェニキア人の都市やカルタゴでは、男性の顔のビーズが人気を呼びました。

ギョロっとした目に口髭がとってもユーモラスです。

アケメネス朝ペルシアの豪華絢爛なガラス文化


展示風景

ギリシアでアテネをはじめとする都市国家が繫栄した頃、東方では、オリエントを統一しエジプトを支配下に置いた世界帝国・アケメネス朝ペルシアが勢力を伸ばしました。

ペルシアをイメージし、深紅にディスプレイされた展示室がとても印象的です。


《ペンダント付トルク》アケメネス朝ペルシア 紀元前4世紀

細密な金製のトルクにはラピスラズリ、トルコ石などの宝石が埋め込まれ、2頭の馬にはガラスの超絶技巧が施されています。

ペルシアの王宮では無色透明のガラス器が使用されました。

透明なガラスをつくるには雑成分を取り除く高度な技術が必要。当時、高級ガラスは金や宝石に並ぶほどの価値がありました。

ガラスは中国へ 独自のガラス制作が発展


《円形飾り》中国 紀元前4世紀~紀元前1世紀

紀元前5世紀には中国にもガラスが伝来しました。

しかし細かな技法までは伝わらなかったため独自の様式が試みられ、中国特有のガラス製品が作られるようになります。


《帯鉤》中国・東周時代 紀元前4世紀~紀元前3世紀

帯鉤(たいこう)と呼ばれるベルト止めには、玉、水晶と並んでガラス玉がはめられており、ガラスが宝石として扱われていたことがわかります。

その頃、ギリシア周辺ではペルシアとの戦いで疲弊したアテネにかわって、アレクサンドロス大王率いるマケドニアが急速に勢力を伸ばしていました。

アレクサンドロス大王の登場
ヘレニズム期のガラス文化の発達

アレクサンドロス大王はギリシアの都市国家を制圧し、ペルシア、エジプトを征服して大帝国を築きます。

ギリシア語が公用語になり言葉の壁がなくなると、さまざまなガラスの意匠と技法が広く伝わることになりました。

ヘレニズム時代に花開いたガラス文化はローマへと受け継がれます。


《ゴールドバンド壷》東地中海地域 紀元前1世紀

「ゴールドバンド」と呼ばれる金箔を透明ガラスに包み込んだガラス棒を使用した壷(つぼ)。

さまざまな色のガラス棒を並べて溶かすと美しいマーブル模様があらわれます。

新たなガラス製法の登場

ガラスの製法に大きな変化が現れました。

それまでガラス容器は鋳造(ちゅうぞう)など、とても手間のかかる方法で作られてきましたが、吹きガラスなど新たな製法が開発され、製造が容易となります。


《脚杯》東地中海地域あるいはイタリア 1世紀

半透明の青い器は、最近まで鋳造でつくられたものと思われていましたが、吹きガラスであることがわかりました。

両脇にはローマ時代のフレスコ画が飾られています。

ローマ時代の家にはこんな風に飾られていたのでしょうか。美しい展示です。


展示風景

新たな製法により、ガラス製品は簡単に大量にできるようになりました。

王侯貴族だけのものだったガラスは価格が下がり、多くの人が「ちょっとした高級品」くらいの感覚で手にすることができるようになります。


《カット装飾瓶》エジプト 1世紀

そんな中でも「高級品」は存在し続けます。

ローマ時代、最高級品とされていたのはエジプト・アレキサンドリアの無色透明ガラス。

2000年の時を超えて今なお美しく輝きます。

超絶技巧 モザイクガラス


展示風景

2000年ほど前にエジプトで作られたモザイクガラスも展示されていました。

色ガラスを引き伸ばして重ねていき、輪切りにすると金太郎あめのように断面に模様が現れるのです。

直径4cmにも満たない中に描かれたまさに超絶技巧。

ササン朝ペルシアからイスラム世界へ

ローマ東方ではササン朝ペルシアが勢力を拡大します。

現在のイラン、イラクをはじめ西アジアから中央アジアに及ぶ大帝国となり、しばしばローマと戦い、隋・唐時代の中国と交易を持ちました。


《円形切子碗》ササン朝ペルシア 5~7世紀

ペルシアのガラスといえば正倉院の「白瑠璃碗(はくるりわん
)」が思い浮かぶでしょう。

展示の碗も、白瑠璃碗と同様に表面を削って装飾する「切子」技法が使われています。


《カメオ装飾杯》おそらくイラン 9~10世紀

ササン朝ペルシアと、あとに続くイスラム世界はガラス文化が最も華やかな時代。

こちらは2色のガラスを重ね、外側のガラスだけを削り取って模様を表す「カメオガラス」。とても美しい細工です。

日本ならではの愉しみ方「銀化」

古代ガラスのもうひとつの美しい姿も紹介されています。それは「銀化(*)」と呼ばれる現象。
*銀化:土に埋まっているうちに、ガラスの成分が土中の物質や水と反応して抜け落ちてしまう現象のこと。


《碗》東地中海地域 紀元前2世紀~紀元前1世紀

表面が何層もの薄い皮膜となって、さまざまな色の光を反射します。

もとの器からは考えられない極彩色に変貌したガラス。西洋では「経年劣化して傷んだもの」と判断されてしまうそう。

日本では昔から、陶器など年を経て変化するさまを愉しむ文化がありますが、価値とは「ところ変われば・・・」なんですね。

古代へのタイムスリップを愉しんで

古代では宝石のように尊ばれてきたガラスが、さまざまな文明の中で技術の発展を経て、私たちが手にできるようになるまでを一望できる、見ごたえのある展覧会。

膨大な時空間をガラス器に乗ってタイムスリップしてきたような不思議な体験ができました。


「カフェ パインビュウ」の湯種食パンのサンドイッチ
調味料に至るまで自然農法の食材を使用しています

観覧の途中で、ちょっと一息。大自然に囲まれたMIHO MUSEUMのレストランとカフェでは、農薬や肥料を一切使用しない素材を使った食事を味わえます。

「おむすび膳」や「桃谷そば」もおすすめですよ。

ミュージアムに連なる桜並木は、もうすぐ絶好の季節。

豊かな自然の中、広大な敷地の美術館でゆったりとした時間をお過ごしください。

Exhibition Information

展覧会名
2024年春季特別展 「古代ガラス―輝く意匠と技法」
開催期間
2024年3月3日~6月9日 終了しました
会場
MIHO MUSEUM
公式サイト
https://www.miho.jp/