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2024年11月21日
大正ロマン・昭和モダンのカリスマ絵師 高畠華宵が伝えてくれたこと/弥生美術館
東京大学の弥生門のすぐ近くに建つ弥生美術館。
今から40年前の昭和59年(1984)、弁護士・鹿野琢見(かのたくみ)によって創設された私立美術館です。
同館は、鹿野が愛した大正末から昭和初期にかけて絶大な人気を誇ったイラストレーター・高畠華宵(たかばたけかしょう、1888-1966)の作品を軸に、明治・大正・昭和の挿絵作家や出版美術を紹介しています。
熱烈な華宵ファンであった鹿野の“究極の推し活”とも言える弥生美術館では現在、高畠華宵の生涯を紹介する展覧会が2024年9月22日(日)まで開催中です。
大正末から昭和初期にかけて雑誌が次々と創刊され、人びとの娯楽の中心となりました。
当時は印刷技術が未熟で、写真よりもイラストの方が視覚的効果において優れていました。
そこで新しい職業として台頭したのが、挿絵画家と呼ばれたイラストレーターです。
高畠華宵は雑誌界でトップの人気を誇っており、数多くの雑誌表紙を描きました。
華宵は多くの和装美人を描いていますが、同じコーディネートはひとつとして描かなかったといいます。
着物にハイヒールや、当時“断髪”と呼ばれたボブカットを合わせたコーデなどを提案し、女性たちのファッションリーダーとしても人気を博していました。
本展では、華宵が約1年の歳月を費やして描き上げた六曲一双屏風の大作「移り行く姿」のレプリカも展示されています。
明治・大正・昭和の各時代の最先端とされる衣装をまとった60名の女性たちが描かれた本作。
彼女たちは、四季の流れを背景に配置されています。
本作は、当時の風俗を知るための資料としても貴重な作品です。
1924年、華宵は鎌倉に念願のマイホームを建てます。
「華宵御殿(または、挿絵御殿)」と呼ばれたモダンな邸宅で、華宵は美少年の弟子たちと暮らしをしていました。
そんな華宵御殿には、華宵のお気に入りだけが入れる寝室があります。
本展では、その寝室の雰囲気を再現した展示もあります。
こちらはフォトスポットにもなっていますよ。
寝室でファンレターを読む華宵先生とツーショットを撮ってみては?
華宵には、警察沙汰になるほど、熱烈なファンがいたのだそう。
たとえパネルでも、当時のファンからしたら、とてもうらやましい光景かもしれませんね。
高畠華宵の熱烈なファンであった弥生美術館の創設者である鹿野琢見。
9歳のころ、鹿野は華宵が描いた「さらば故郷!」を観てから、彼を推し続けていました。
左の「新さらば故郷!」は、華宵が鹿野のために描いた作品なのだそう。
少年の背景は、鹿野の故郷・宮城の風景。描いてもらうために、華宵に写真を渡したといいます。
本展では、鹿野と華宵の出会いについても紹介。
実は晩年の華宵を支えたのは、鹿野なんですよ。
戦後、活躍の場を失い、老人ホームに入っていた華宵を東京に呼んだ鹿野。
彼は自宅の一角に「華宵の間」を設けました。
晩年、華宵はここで作品を制作していました。
求めに応じてファンを「華宵の間」に招き入れていたといいます。
そうした日々を送るなかで、鹿野の胸のには「いつか華宵のための美術館を設立したい」という思いが宿っていました。
華宵との出会いから19年後の1984年6月1日に、鹿野は自宅の一角に弥生美術館を設立したのです。
30点余りのエントリー作品から好きな作品を選ぶ「好きな華宵作品 TOP10!」投票も実施中です!
第二回発表(7月30日)のトップ3はこんな感じ。
WEBフォームでも投稿可能です。詳しくは、弥生美術館公式サイトをご確認ください。
大正、昭和と活躍した大人気イラストレーター・高畠華宵の生涯を紹介する本展。
展示総数は約400点!華宵作品と、弥生美術館が所蔵する華宵とゆかりのある作家の作品がずらりと並ぶのは、壮観です!
ぜひ、会場で美しい挿絵の世界を堪能してみてください♪