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2024年11月1日
奥村土牛 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾―/山種美術館
山崎種二氏(1893-1983・山種証券(現SMBC日興証券)創業者)が、個人で集めたコレクションをもとに1966(昭和41)年7月、東京・日本橋兜町(かぶとちょう)に日本初の日本画専門美術館として開館した山種美術館。2009年に、現在の渋谷区広尾に移転しました。
奥村土牛《枇杷と少女》1930(昭和5)年 山種美術館蔵
「絵は人柄である」という信念のもと、同時代の画家と直接交流しながら作品を集めた種二氏。とくに日本画家・奥村土牛(とぎゅう/1889-1990)とは親交が深く、初期のころから「私は将来性のあると確信する人の絵しか買わない」と土牛本人に伝え、その才能を見出して支援しました。
現在、同館は135点におよぶ土牛コレクションを所蔵しています。本展では、瀬戸内海の鳴門の渦潮を描いた《鳴門》や《醍醐》などの代表作をはじめ、活躍の場であった院展の出品作を中心に、土牛の画業をたどります。
※展覧会詳細はこちら
奥村土牛(本名:義三)は、画家志望であった父のもとで10代から絵画に親しみました。
16歳で梶田半古(かじた はんこ/1870-1917)の画塾に入門し、そこで生涯の師と仰ぐ小林古径 (こばやし こけい/1883-1957)に出会います。
土牛の雅号は、「土牛石田を耕す」という中国・唐の詩から父が名付けたものです。
この詩は「牛が石の多い田畑を根気よく耕すように精進を続けろ」という意味だそう。その名の通り、土牛は地道に画業へ専念し続け、101年におよぶ生涯を通じて、数多くの作品の制作に取り組みました。
【開館55周年記念特別展】 奥村土牛 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾― 展示風景より
38歳で院展に初入選と遅咲きでありながら、展覧会に出品を重ねて40代半ばから名声を高めた土牛。彼は、今もなお多くの人びとに愛されている近代・現代を代表する日本画家として知られています。
山種美術館が所蔵する135点の土牛コレクションは、質・量ともに国内でも高いレベルを誇ります。
本展では、土牛が生涯にわたって活躍した院展の出品作品を中心に展示。同館が所蔵する全35点(秋の院展32点、春の院展2点、同人展1点)が一堂に紹介される貴重な機会となっています。
奥村土牛《聖牛》1953(昭和28)年 山種美術館蔵
丑年生まれで雅号に牛の字を持つ土牛は、初期から晩年にかけて牛をモチーフとした作品を多く描きました。
師匠である古径の洗練された線描を思わせる《聖牛》は、長野・善光寺にインドから牛が贈られたと聞きつけ、土牛が1週間かけて写生して、仕上げた作品です。
「落ち着きと気品」を感じたという土牛の言葉どおり、出産後の母牛が頭を上げて真正面を見据える姿は、神々しい雰囲気を漂わせています。
土牛は画業の初期に、写生の重要性や色彩に対する感覚など核となる要素を、半古と古径の2人の師匠から学びます。
とくに写生について土牛は、形を表面的に写すだけではなく、描く対象の本質や生命感を表現することが、大切だと考えていました。
(左から)奥村土牛《那智》1958(昭和33)年/奥村土牛《鳴門》1959(昭和34)年 いずれも、山種美術館蔵
《鳴門》は、土牛が昭和34年に徳島の鳴門に訪れ、船上から渦潮を見たときに描いたものです。
妻に着物の帯を掴んでもらいながら、何十枚も写生しました。これを元に、下絵を作らずに本作を完成させたといいます。
本作に見られるような、薄く溶いた絵具を何層にも重ねつつも透明感と深みのある色合いは、土牛作品の大きな魅力の一つと言えるでしょう。
本作は、1階の「Cafe 椿」で販売されている、展覧会オリジナル特製和菓子のモデルにもなっています。
京都・醍醐寺三宝院のしだれ桜を描いた《醍醐》は、土牛の代表作として広く知られています。
本作のしだれ桜は、豊臣秀吉が「醍醐の花見」をしたことで知られる「太閤しだれ桜」で、樹齢170年といわれる名木です。また、土牛が描いたことから「土牛の桜」とも呼ばれています。
奥村土牛《醍醐》1972(昭和47)年 山種美術館蔵
昭和38年、土牛は奈良で行われた師匠・古径の7回忌の法要の帰りに京都・醍醐寺に立ち寄りました。その際、しだれ桜に美しさを感じて数日間、寺に通って夕暮れまでこの桜を写生したといいます。
いつか制作したいという思いを抱き続けた土牛。約10年後の昭和47年、再び桜の咲く時期を待って同寺を再訪し、本作を完成させました。
本展の開催を機に、土牛ゆかりの桜である「太閤しだれ桜」から組織培養により増殖した苗木が、同館に植樹されました!
これから春になると、桜の花をつけて来館者を迎えてくれることでしょう。成長が楽しみですね。
山種コレクションルームでは、特集展示として土牛と種二氏の交友について紹介されています。
奥村土牛 干支を描いた作品8点 1975(昭和50)年-1986(昭和61)年 山種美術館蔵
同館がかつて東京・日本橋兜町にあった時代、併設されていた茶室(是信庵)で、毎年正月に茶会が開催されていました。本作は、その茶会で配布した干支の扇子の原画です。
昭和50年の卯年から寅年までの12年間、土牛が制作しました。ちなみに、2022年の干支である虎も土牛が描くとこんな感じに。
奥村土牛 干支を描いた作品8点のうち寅 1986(昭和61)年 山種美術館蔵
どの原画も土牛作品ならではの、ほのぼのとした温かさがあります。
山種美術館の土牛コレクションを一挙公開する本展。
土牛の人間性が現れた温かみのある作品は、今もなお多くの人びとの心を癒してくれることでしょう。
お近くの方は、足を運んでみては?