2021年12月1日

聖徳太子の生涯をゆかりの品とともにたどる。サントリー美術館で記念展開催中

千四百年御聖忌記念特別展 「聖徳太子 日出づる処の天子」/サントリー美術館

飛鳥時代に政治や宗教といったさまざまな活動で日本を支えた聖徳太子(574-622)。2021(令和3)年は、聖徳太子の1400年遠忌(おんき)にあたります。

*遠忌・・・開祖などの没後に行われる仏事のこと

そんな記念すべき年を祝う事業のひとつとして、聖徳太子の生涯をたどる展覧会がサントリー美術館にて開催中です。

千四百年御聖忌記念特別展 「聖徳太子 日出づる処の天子」/サントリー美術館

「聖徳太子 日出づる処の天子」第1章 展示風景より

本展では聖徳太子が建立した四天王寺の寺宝を中心に、太子信仰の高まりとともに各地で造られたさまざまな太子像やゆかりの品などを紹介。

1400年という時を超えて今も親しまれる聖徳太子の生涯に迫ります。

※展覧会情報はこちら

出品作品リスト(PDF)

聖徳太子ってどんな人?

聖徳太子は飛鳥時代に生まれました。推古天皇の摂政となり、冠位十二階の制定や十七条憲法の発布、遣隋使の派遣など、さまざまな政策で国家を支えました。その多大な貢献は挙げればキリがありません。

また、インドで生まれた仏教を深く学び、日本に広めた「日本仏教の祖」としても知られています。

「聖徳太子 日出づる処の天子」第1章 展示風景より

没後、「聖徳太子は仏さまの生まれ変わりだったのではないか?」と信じられるようになり、人びとの祈りの対象になっていきます(太子信仰)。最澄・親鸞・一遍などの誰もが知る高僧や、身分に関係なく多くの人から愛されました。

展示の最初では、人びとに大切に思われてきたさまざまな太子像を紹介します。

重要文化財 聖徳太子絵伝 遠江法橋筆
1323(元亨3年 鎌倉時代)六幅 大阪・四天王寺蔵
【展示期間:11/17~12/13】

聖徳太子により創建された大阪・四天王寺で、奈良時代(8世紀)に「聖徳太子絵伝」が創始されます。聖徳太子の生涯を大画面に描いたもので、日本仏教の開祖としての功績を広めるために制作されました。

遠江法橋による《聖徳太子絵伝》では、蘇我氏と物部氏による合戦のようすが描かれています。苦戦のなか、聖徳太子が四天王に勝利を願い、自ら木で四天王像を彫り、『戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立する』といった誓いを立てます。すると、蘇我軍の放った矢が物部守屋に命中し勝利した、というものです。

この誓願がきっかけとなり、大阪に四天王寺が建立されました。

このほか、実際に所持していたと伝わる飛鳥時代の貴重な品なども展示し、聖徳太子の足跡をたどります。

太子信仰の広がり

没後まもなく信仰の対象となった聖徳太子ですが、仏さまの生まれ変わりや、中国天台の高僧・南岳大師慧思(なんがくだいしえし)の生まれ変わり、あるいは観音の化身とも考えられていたそうです。

なかでも親鸞は、太子を日本の釈迦と仰ぎました。

このような太子信仰を背景に、幼い太子の二歳像や、成人後に国の政治と仏教の興隆に尽力する姿など、さまざまな絵画・彫刻作品が生み出されていきます。

千四百年御聖忌記念特別展 「聖徳太子 日出づる処の天子」/サントリー美術館

左:重要文化財 聖徳太子二歳像(南無仏太子像)湛幸・湛賀作 一軀 鎌倉時代 13~14世紀 兵庫・善福寺蔵
右:聖徳太子二歳像(南無仏太子像)一軀 鎌倉時代 13~14世紀 京都・白毫寺蔵
【いずれも全期間展示】

《聖徳太子二歳像(南無仏太子像)》は、2歳の春、東の方角を向いて合掌し、『南無仏』と唱えると、てのひらから仏舎利(釈迦の遺骨)がこぼれ落ちたと伝えられる姿です。これは、聖徳太子が幼いころから仏教を深く信仰していたことを象徴しています。

聖徳太子像は、二歳像と十六歳像の作例が非常に多いそうです。

千四百年御聖忌記念特別展 「聖徳太子 日出づる処の天子」/サントリー美術館

左:聖徳太子・文殊菩薩相見図 一幅 室町時代 15世紀 大阪・四天王寺蔵
【展示期間:11月17日~12月13日】
右:聖徳太子童形像・六臣像 一幅 桃山時代 16世紀 大阪・四天王寺蔵
【全期間展示】

《聖徳太子童形像・六臣像》は、角髪(みずら)を結った聖徳太子が16歳のとき、父の用明天皇の病気が治るように仏さまにお祈りしたようすを描いています。

このようすは彫刻や絵画作品として数多く残され、大切にされてきました。

多様な太子像の全貌と、諸宗派における太子信仰の広がりを示す作品が多数展示されていますよ。

創建した大寺のあゆみ

大阪・四天王寺は、推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立した日本最古の官寺です。物部守屋との戦いの際、もし戦いに勝利したら、四天王のために寺を建立すると誓いを立てたことに始まります。

千四百年御聖忌記念特別展 「聖徳太子 日出づる処の天子」/サントリー美術館

「聖徳太子 日出づる処の天子」第3章 展示風景より

四天王寺は長い歴史のなか、何度も戦争や災害により建物が失われましたが、人びとの篤い信仰に支えられ、再興を果たしてきました。現在でも広く知られており、参詣する人が絶えません。

本展では、四天王寺の1400年を、名宝とともに紹介します。

千四百年御聖忌記念特別展 「聖徳太子 日出づる処の天子」/サントリー美術館

国宝 扇面法華経冊子 巻第一・七 平安時代 12世紀 二帖(五帖のうち)大阪・四天王寺蔵
【全期間展示】※展示替え・場面替えあり

鮮やかな下絵が美しい《扇面法華経冊子》は、四天王寺に伝わる名宝で、扇形の紙を冊子に見立てた装飾経です。

11世紀以降、四天王寺は皇族や貴族にたびたび参詣されていました。特に12世紀中頃、鳥羽上皇は毎年のように参詣しており、本作もそのころに制作されたものと考えられています。

四天王寺は寛弘4年(1007)に、「四天王寺縁起(根本本)」が寺内で発見されました。本の終わりには太子自らが書写したと記されており、その証にいくつもの手形がありました。これにより、四天王寺は「太子の霊場」としての地位をより強固なものとしました。

近年の太子のイメージ

長いあいだ仏教の祖としてたたえられてきた聖徳太子ですが、明治時代になり国家の基礎を築いた政治家としての側面も知られていくようになります。

昭和に入ると、偉大な功績を残し国民から愛される人物としてお札の顔に採用されました。以来太子は、7種と日本紙幣の中でも最多の登場を果たします。

また、1980年代に今までと全く異なる新しい太子像を描いたマンガ『日出処の天子』が大ヒットします。本作はご存じの方も多いのではないでしょうか。

このことにより、聖徳太子に再び注目が集まり、より身近な存在となっていきました。

「聖徳太子 日出づる処の天子」第4章 展示風景より

最終章では、近代以降の太子のイメージを、マンガや紙幣などから紹介し、また現在の太子信仰ゆかりの作品も展示します。

 

聖徳太子の生涯はもちろん、人びとから持たれる多彩なイメージも紹介する本展。日本の基礎を築いた遠い昔の太子のことが、より身近に感じられそうです。

また、本展図録はオンラインでも購入することができます。

内容がぎっしり詰まっているので、持って帰るのが大変・・・という方にもおすすめです。

オンラインショップはこちら

 

Exhibition Information

展覧会名
サントリー美術館 開館60周年記念展 千四百年御聖忌記念特別展 「聖徳太子 日出づる処の天子」
開催期間
2021年11月17日~2022年1月10日 終了しました
会場
サントリー美術館
公式サイト
https://taishi1400.exhn.jp/
注意事項

※作品保護のため、会期中展示替を行います。
※会期は変更の場合があります。最新情報は美術館公式サイトでご確認ください。

Museum Information

美術館情報
サントリー美術館
住所
東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階
公式サイト
公式サイトはこちら