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東山魁夷を中心に日本の風景画をたどる展覧会【福田美術館】
2025年2月10日
特別展 空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン/名古屋市美術館
美術館外観(南面)
20世紀後半、ベルギーを代表するアーティストのジャン=ミッシェル・フォロン。
名前を知らなくても、その優しい色彩の世界は「見たことある!」という人も多いのではないでしょうか。
ドローイングや水彩画、版画、ポスターなどフォロン作品が約230点。日本で30年ぶりの大回顧展が、名古屋市美術館で開催されています。
会場入口
幼い頃からいつも絵を描いていたフォロン。
ベルギーの巨匠・マグリットの作品と出会って「見る人に問いかけ、想像力を揺り起こす絵の可能性」に気づき、絵の道に進みます。
名刺「フォロン 空想旅行エージェンシー」1990年頃
フォロンが使用していた本物の名刺「空想旅行エージェンシー」。
これを旅のチケット代わりに、フォロンの空想世界を巡ります。ちょっと楽しい展覧会ですね。
《仮面》2001年
まずは旅の支度から。旅の相棒といえば帽子でしょうか。
フォロンは「顔」に関心が高かったようで、モノを顔に見立てたユニークな作品をたくさん残しています。
《いつもとちがう(雑誌「ザ・ニューヨーカー」表紙原画)》
絵の帽子の人物は、リトル・ハット・マン。フォロン空想世界の住人です。世界の街から大自然の中、果ては宇宙まで旅する男。
『いつもとちがう』と題された作品は、雑誌「ザ・ニューヨーカー」表紙の原画です。
フォロンが手がけた雑誌の表紙
フォロンの名が世に広まるきっかけとなったのは雑誌でした。1955年にパリへ渡り、ひたすらドローイングを描き続けたフォロン。
ニューヨークの雑誌社に送ったドローイングが採用されたことで、アーティストとして活躍の糸口をつかみます。
柔らかな印象の中にも社会風刺が散りばめられた彼の作品は、「ザ・ニューヨーカー」や「タイム」など名だたる雑誌の表紙を飾りました。
《月世界旅行》1981年
三日月のカバンを手に、リトル・ハット・マンとともに空想旅行のはじまりです。
《人》1992年
フォロンはマルチアーティスト。ドローイングから始まり、水彩、晩年には彫刻にも取り組みました。
行く宛も道筋もわからないまま歩み続けるリトル・ハット・マンはゼンマイ仕掛け?背中のネジは誰が巻くの?答えは示されず、鑑賞者に委ねられます。
《あらゆる方へ》2004年
ああ、どちらに進めば?人生に迷いはつきものです。
《都市のジャングル》制作年不詳
道に迷い頭がこんがらがってしまうことも。誰も答えを教えてくれません。決めるのは私たち自身なのです。
《無題(罪人)》制作年不詳
空想の旅を進むと、さまざまな出来事に遭遇します。環境破壊によって荒れた森林では、枯れてしまった木々に糾弾されてしまいます。
《深い深い問題》1987年
虹がかかる穏やかな海に、赤や青の魚たち…と思ったら、魚じゃなく無数のミサイル。題名どおり、まさに「深い深い問題」なのです。
人間による自然破壊や世界紛争に強い関心を抱くフォロンは、観る者に問いかけます。
展示風景
世界中の問題を目にし耳を傾けながら、リトル・ハット・マンとの旅は空へ、そして宇宙へと続きます。
描き出された美しい色彩が印象的です。
《無題》1966年頃
リトル・ハット・マンは情報の海へ飛び込み、氾濫する情報に飲み込まれてしまう。SNSで情報が溢れかえる現代を、フォロンならどう表現したか見てみたい気がします。
左上《Mac Man》1983年頃 左下《無題》1983年頃 右《無題》1983年頃
「多くの人に伝える」ことにも熱心に取り組んだフォロン。広告デザインもそのひとつで、タイプライターのオリベッティ社の広告は世界的に有名です。
アップル社のスティーブ・ジョブズは、Macintoshを開発する際、擬人化したキャラクターを思いつきフォロンに図案を依頼しました。
「Mac Man」は残念ながら実現しませんでしたが、ジョブズは後に「iMac」を商品化した時も、その名を「Mac Man」にしようと最後までこだわったといいます。
ポスター展示風景
フォロンは、多くの人びとに訴えかけられるポスターの仕事を、一点物の作品と同じように大切にし、600点を超える世界中のポスターの制作に取り組みました。
「世界人権宣言」のための挿絵原画展示風景
「世界人権宣言」は、国連総会が世界で初めて基本的人権を認めた宣言。500以上の言語に訳されていますが、フォロンいわく「みんな話題にするけれど、誰も読まない」。
フォロンは人権宣言の挿絵を引き受け、その意味を絵によって伝えようとしています。
《窓》1974年
最後の部屋はフォロンの愛した景色が広がります。
《出帆》2001年
彼の絵には地平線や水平線が多く描かれています。1985年、地中海をのぞむモナコで過ごしてからは、水平線と船のイメージが多く見られるようになりました。
《秘密》1999年
水平線を描いたおだやかな作品が並ぶ中に佇むリトル・ハット・マン。コートと共に自分自身の殻を脱ぎ捨てているかのよう。
旅の中で、本当の自分が見つかったのでしょうか。
《大天使》2003年
旅のおわり、フォロンは鳥になって自由に飛んでいきます。次はどんな旅が待っているのでしょう。
リトル・ハット・マンと旅したフォロンの空想世界は、美しい風景や楽しい時間ばかりではありません。自然破壊や戦争など、フォロンは柔らかなタッチの中に強いメッセージを残しています。
しかし晩年のおだやかな水平線の絵は、「それでも世界は美しい」と語っているような気がするのです。ぜひみなさんもリトル・ハット・マンとの旅を楽しんでください。
館内のショップではリトル・ハット・マンのかわいいグッズや、画集のような図録が盛りだくさん。こちらもお見逃しなく!
展覧会はこのあと大阪に巡回します。
作品はすべてフォロン財団蔵 ⒸFondation Folon, ADAGP/Pris, 2024-2025