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2025年2月10日
キース・ヘリング展 アートをストリートへ/茨城県近代美術館
茨城県近代美術館では現在、「キース・へリング展 アートをストリートへ」が開催中です。
1980年代のアメリカ美術を代表するアーティストの一人、キース・へリング(1958-1990)。
明るくポップな作風で知られ、「アートはみんなのために」という信念のもと、残された作品の数々は多くの人びとから愛され続けています。
日本国内巡回展として1年以上にわたり全国5会場で開催されてきた本展も、茨城会場が最後です。
本記事では、キース・へリングの魅力を含む本展のようすをレポートします。
Photo by © Makoto Murata
アメリカ北東部のペンシルベニア州に生まれたへリングは、1978年にニューヨークへ移住。スクール・オブ・ビジュアル・アーツで、映像やインスタレーションなど、多様な美術表現を学びました。
へリングが一躍時の人となったのは、1980年代初頭です。彼は、ニューヨークを中心とした地下鉄駅構内で、黒い紙が貼られた使用されていない広告版に着目。
「ここに描けばあらゆる人が自分の作品を見てくれる」と、チョークで誰もが楽しめるコミカルなドローイングを描き始めました。
第1章「公共のアート」展示風景 中村キース・へリング美術館蔵 Keith Haring Artwork © Keith Haring Foundation
その思いの通り、彼の描くドローイングは多くの人の目に留まり、次第に地下鉄の乗客から声をかけられるようになります。
「サブウェイ・ドローイング」と呼ばれるこのプロジェクトで脚光を浴びたへリングは、アンディ・ウォーホール(1928-1987)やジャン=ミシェル・バスキア(1960-1988)と共にカルチャーシーンをけん引。
へリングが描く、シンプルながらも個性が光る作品は、多くのニューヨーカーたちの心に響きました。
第1章「公共のアート」では、これら7点のサブウェイ・ドローイングをご覧いただけます。
第2章「生と迷路」展示風景 中村キース・へリング美術館蔵 Keith Haring Artwork © Keith Haring Foundation
へリングが脚光を浴びた1980年代のニューヨークは、経済不況や貧困、HIVの蔓延など、社会に黒い影が落とされつつあった時代。
そんな状況でも、日々新しい文化が生み出され、ゲイカルチャーも盛り上がるなど、ニューヨークは自由で刺激的な場所だったそうです。また、クラブ・シーンは大いに沸き、ストリートアートは賑わいを見せていたといいます。
へリングにとってクラブという場所、特に彼が愛した「パラダイス・ガラージ」は、DJの神様と言われたラリー・レヴァンのプレイや音楽に酔いしれること以上に、彼にとって「創作のアイデアが浮き出る神聖な場所」でもありました。
第3章「ポップアートとカルチャー」では、幅6メートルに及ぶ『スウィート・サタデー・ナイト』のための舞台セットという作品を鑑賞できます。
第3章「ポップアートとカルチャー」展示風景、『スウィート・サタデー・ナイト』のための舞台セット 1985年 中村キース・へリング美術館蔵 Keith Haring Artwork © Keith Haring Foundation
ダンサーが踊るように描かれている本作。実際にこの作品の前で、ブレイクダンスも披露されています。
第4章「アート・アクティビズム」展示風景 中村キース・へリング美術館蔵 Keith Haring Artwork © Keith Haring Foundation
アートの力は、人の心を動かし世界を平和にできると信じていたへリング。
そんな思いを大衆へダイレクトに伝えるため、ポスターを使用し、反アパルトヘイトやエイズ予防、性的マイノリティのカミングアウトをテーマとする社会的なものなど、100点以上の作品を制作しています。
また、アートを届けるため、自身がデザインした商品の販売や世界数十カ所で制作されたパブリックアートを通して、大衆とコミュニケーションを図ろうと試みました。
20枚の絵画の連なりから一つのストーリーを連想させる作品《赤と青の物語》も、そんなへリングの思いが反映されています。
第5章「アートはみんなのために」展示風景、《赤と青の物語》 1989年 中村キースへリング美術館蔵 Keith Haring Artwork © Keith Haring Foundation
子どもたちのための作品でありながら、大人にも訴えかける本作は、彼の代表的な作品の一つです。
第6章「現在から未来へ」展示風景 《ブループリント・ドローイング》 1990年 中村キース・へリング美術館蔵 Keith Haring Artwork © Keith Haring Foundation
アートの持つ力を信じ作品を描き続けてきたへリングですが、1988年にエイズと診断され自らの死を意識するようになります。
第6章「現在から未来へ」では、最後の個展に出品されたへリングの大作《無題》や、彼の作品の中で最も親しまれたモチーフ《イコンズ》、22歳のころのドローイングを17点からなる大画面の版画にした《ブループリント・ドローイング》などを展示。
《イコンズ》1990年 中村キース・へリング美術館蔵 Keith Haring Artwork © Keith Haring Foundation
作品からは、死と隣り合わせになりながらも、1990年の亡くなる直前までアートの持つ力を未来へつなげようとしたその思いが感じられることでしょう。
そして日本に対しても、以下のような特別な感情を抱いていました。
”1983年 日本に行くという素敵なチャンスにぼくは飛びついた
日本はぼくにとっては大きな意味のある国
東洋の思想のこともあるし それからもちろん「書」にも影響を受けたから
ー(John Gruen, The Authorized Biography, 1991)”
展示の最後は、「スペシャルトピック キース・へリングと日本」と題して、1988年に青山の「ポップショップ東京」のために制作された、茶碗や扇子などの貴重な品々を紹介しています。
「アートは不滅だ」とも語ったへリング。その言葉の通り、彼の残した作品は世界中の人びとから愛され続け、その思いは、私たちの心の中に生き続けていくのではないでしょうか。
展覧会オリジナルグッズなどを購入できる特設ショップのようす© Keith Haring Foundation. Licensed by Artestar, New York.
へリングのアイテムが勢ぞろいした特設ショップやフォトコーナーもありますので、鑑賞後はこちらもお楽しみいただけます。
彼が未来へとつなごうとしたその思いを体感しに、ぜひ会場へ足を運んでみてください。