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ハローキティ誕生50周年!「キティとわたし」を紐解く展覧会
2024年11月21日
スフマートでは、「つくる」「つたえる」という2つの視点をもとに、ミュージアムを支えるさまざまな人へのインタビューをお届けしています。
今月は特別編として、美術の専門的な教育を受けることなく、自ら湧き出る創造性をパワーに創作された作品の総称である「アール・ブリュット」について、2人の視点から取り上げます。
前編につづき、アーツ千代田 3331(以下・3331)でポコラート事業に携わる、嘉納礼奈さんにお話を伺います。
アーツ千代田 3331 嘉納礼奈さん ※撮影時、マスクを外していただきました。
芸術人類学を専門とする嘉納さんは『アール・ブリュット アート 日本』(平凡社)の著書ほか、2021年に開催された展覧会、ポコラート世界展「偶然と、必然と、」のメインキュレーターを務め、活躍されています。
後編では、嘉納さんが携わっているポコラート事業やこれまで開催した展覧会、そして今後の活動についてお伺いしました。
──嘉納さんが3331でポコラート事業に携わるようになったきっかけはあるのでしょうか。
もともとは美術史の研究のため、20年ほどヨーロッパに住んでいたのですが、2014年に帰国することになり、日本で自分がやってきたことを発揮できる場所について知人に相談したところ、「3331はどうでしょう?」と。
そこから、すでに計画が進んでいた『ポコラート宣言 2014』開催のタイミングに合わせて携わることになりました。
──「ポコラート」ついて詳しく教えてください。
「ポコラート」とは、3331オープン時の2010年から続く、千代田区との共同主催の事業です。なかでも『ポコラート全国公募』は、本事業の中心的な活動のひとつになっています。
当初は障害のある人のみを対象として始まりましたが、2回目より、障害のある人もない人も、ともに成長できるオープンな「出会いの場」を作ることを目指して活動してきました。日本全国から自薦他薦を問わず、これまで0歳から94歳までと年齢も性別も本当にさまざまな人たちが幅広く参加して下さいました。
『ポコラート宣言 2014』は、過去4回の公募展を通し、これまでに見たことのないような新しい創作の可能性を紹介する、いわば集大成の意味合いを込めて開催されたものです。のべ4,820作品、2,292人の作家の中から選ばれた54人の作品を展示しました。
2020年、ポコラート事業は10周年を迎え、その翌年に『ポコラート世界展「偶然と、必然と、」 障害のある人、ない人、アーティストの生の表現を世界に解き放つ。』を開催しました。
ポコラート世界展「偶然と、必然と、」展示風景
© 3331 Arts Chiyoda/Photo: MIYAJIMA Kei
10周年という節目の年に開催されたポコラート世界展では、世界22カ国・50名の作家の作品を通して、その国や地域の政治経済や産業、文化、歴史、その人が生きた環境、個人の人生などが、人間の創作にさまざまな影響を与えていることを体感してほしいという意図がありました。
ポコラート世界展「偶然と、必然と、」展示風景
© 3331 Arts Chiyoda/Photo: MIYAJIMA Kei
よく皆さんから「ポコラート」とはどのような意味なのか、と質問をいただきますが、そもそも「ポコラート」は意味のない、ただ器のようなものなのです。
障害のある方もいらっしゃいますし、普段は主婦として、あるいは、会社員の方が余暇で制作された作品など、本当に多様な人びとが参加するこの公募展を表現するために、多様性の受け皿として「ポコラート」という抽象的な名前がつけられました。
「ポコラート」だけでなく、名称というものは生きた言語で巷の口伝や、新聞や雑誌、ネットニュースの見出しやSNSなどからいつしか生まれてくるものだと考えています。
私が考えている「ポコラート」も、違う人の視点では全く新しい可能性を秘めていると思います。それぞれの人が考えるポコラートがあって然るべきだと思います。
──作品も作家も多種多様なのですね。世界中から集められた作品は、どのように作家や作品をピックアップしたのでしょうか。
私自身の専門が芸術人類学なので、各国の人類学者に聞いてまずは作品について調査しました。
例えば、インドネシアのテキスタイルを専門とする人類学者に聞くと、自身の研究調査の際、変わった作品を制作しているおばあちゃんに出会った、という話が得られるので、その人から作品の写真を送ってもらうなどします。また、ギャラリストやコレクターにも聞いて情報を集めました。
──まさか人類学者につながるとは思いもしませんでした!
1948年にデュビュッフェが作品についての研究、出版のために開設したアール・ブリュット協会の創設時には、人類学者のレヴィ・ストロースも協会のメンバーに加入していたのです。当時からつながりはあったのです。他者を理解することを試みる学問です。
「偶然と、必然と、」展の展示作家でいうと、50名のうち36名が海外の方ですが、都市部に暮らす方はほとんどいませんでした。
初めから、公募制にしなかったのはそのためです。先進国や海外の主要都市だけではなく、人里離れた土地に暮らす人びとにまで周知するのはどうしても難しいですよね。
この展覧会では、世界初公開だったアフリカのナミビアの作品や日本初公開のベナンの作品など、国内ではあまり馴染みのない国の作家や、美術の世界でも取り上げることが珍しい作り手たちを紹介することができました。
──展覧会にはどのような方が足を運んだのでしょうか。寄せられた感想なども教えていただけますか。
会場でのアンケート結果に記入いただいた感想の一部ですが、「子どもが楽しめた」という声のほか、「いろいろな人たち(自分が想像もつかない世界を見て生きてきた人たち)の表現は、とても勉強になりました」、「日本国内だけでなく、異国の全く違う文化の中で生きた人たちの、人生に関われたような気がした」など、さまざまな声が寄せられました。
また、3331は末広町駅からも近く、千代田区内にあるため、周辺で働いている会社員や学生の方々など、幅広い層の方に展覧会へ来ていただけたのだと思います。
──鑑賞された方も、それぞれメッセージを受け取っていたのですね。最後に今後の展開や、やってみたい企画などについて、可能な範囲でお聞かせいただけますか。
文化や美術を、例えば「現代美術」や「近代美術」などとすでにあるカテゴリーにとらわれずに見せることに挑戦したいと思っています。
3331では過去に千代田区との共同主催で、区内の創作活動をテーマとした展覧会『ポコラート千代田』を開催したことがありました。そこでは、食品サンプルを使わずに、食べ物そのものも展示しました。このように商品でも何でも、人間が創造したものは全て、展示対象だと私は考えています。
なぜ美術は、美術“だけ”を展示しなければならないのでしょうか。これまで私は、人間の創造物は全てフラットに考えるという人類学の思考に助けられてきました。美術史の世界で扱うのは作家と作品と観客だけですが、それは言ってみれば、「美術」というものがあるのだという前提の上に成り立つ、社会のほんの一部のことに過ぎません。そうではなく、いわゆる美術品と呼ばれているもの以外もしっかり紹介する展覧会を、今後も企画していきたいです。
※撮影時、マスクを外していただきました。
「アート」「美術」というカテゴリーにとらわれない視点での展示は、まさに3331ならではの企画になることでしょう。これからの嘉納さんとポコラートの動向が非常に楽しみになるインタビューでした。
次回からは、渋谷公園通りギャラリーの大内 郁さんに、前後編にわたってお話を伺います。どうぞご期待ください。