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2024年11月1日
生誕110年 香月泰男展/練馬区立美術館
太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描いたシベリア・シリーズにより、戦後美術史に大きな足跡を残した画家・香月泰男(かづき やすお/1911-74)。
現在、練馬区立美術館にて香月の画業の全容をたどる回顧展が開催中です。
生誕110年 香月泰男展 展示風景より
本展では、代表作であるシベリア・シリーズを中心に、香月作品を制作順に展示。
自身の「一生のど真中」に戦争があり、その体験を個人の視点から20年以上にわたって描き続けた、「シベリアの画家」香月泰男の創作の軌跡に迫ります。
※展覧会詳細はこちら
明治から大正に移り変わる直前の1911年、山口県三隅村(現・長門市)に生まれた香月泰男。1974年、自宅で心筋梗塞のために62歳で急逝するまで、故郷・三隅で創作活動を行っていました。
1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)油画科に入学した香月は、ファン・ゴッホや梅原龍三郎、パブロ・ピカソなど先人の画風を試しながら、独自の表現を模索していきます。
そして1934年、国画会展に初入選し画壇デビューを果たします。しかし、1941年に太平洋戦争が勃発。香月も1943年に召集され、当時の満州国ハイラル市へ出兵しました。
1945年、日本の敗戦によって、ロシアのシベリアに2年間抑留されることになった香月。戦争と抑留により、制作活動は4年半、中断を余儀なくされました。
シベリアでの極限状態で感じた苦痛や郷愁、また死者への鎮魂の思いをこめ、香月は太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描き、「シベリアの画家」として評価を確立していきました。
本章のタイトルにもなっている「逆光のなかのファンタジー」は、香月の初期を特徴づける作風を示します。
(左から)《釣り床》1941年/《水鏡》1942年 いずれも、東京国立近代美術館
1940年ごろに描かれた《釣り床》などの作品には、少年や少女の姿がしばしば描きこまれます。
逆光をあびて実在感を失った彼らのシルエットは、風変わりな構図とあいまってノスタルジックな詩情を漂わせています。この作風は、戦争とシベリア抑留による4年半の中断を経て、戦後まで引き継がれました。
(左から)《埋葬》1948年/《雨〈牛〉》1947年 いずれも、山口県立美術館 *シベリア・シリーズ
1947年5月に帰国した後、香月はすぐさま制作を再開します。
同年10月に描き上げられた《雨〈牛〉》は、のちに生涯の代表作となるシベリア・シリーズの第一作に位置づけられる貴重な作品です。
香月はこの作風で兵役と抑留の経験を描くことにも挑戦しましたが、過酷な体験にはそぐわないと感じていたのだそう。
香月がシベリア・シリーズに本格的に着手するまでには長い時間を要したといいます。
1950年ごろから香月は、台所の食材や庭の草花など、身の回りの日常を好んで描くようになりました。
このころの香月の作品画面は、学生時代に学んでいたピカソなどのキュビスムの影響が表れ、豊かな色彩で描かれるのが特徴とされています。
(左から)《路傍》1956年/《山羊》1955年 いずれも、香月泰男美術館
さらに香月は、油彩画による日本的な美意識を表現するようになり、日本画の画材や木炭を絵の具に混ぜるといった技法の研究に取り組みました。
やがて方解末(ほうかいまつ)という、方解石(炭酸カルシウムからなる鉱物)の粉末を絵の具に混ぜ、マットな画面をつくり、薄く溶いた黒い絵の具で描く方法にたどりつきます。
この技法により、色数は絞られ、50年代なかばの《山羊》や《路傍》では、ほとんど白と黒、茶色のみの画面となっています。
渋みのある土色とマットな黒を基調とする重厚な画面を作り出すことに成功した香月。これにより、シベリアの記憶が絵画化されることになりました。
1959年から香月は、兵役と抑留の経験を描くことを本格化していきます。
《北へ西へ》や《ダモイ》、《1945》の3点は、シベリアへの輸送、収容所での帰国前の所持品検査、敗戦後の大陸で見た光景と、時間も場所も異なる主題が選ばれています。
(左から)《北へ西へ》1959年 油彩・方解末・木炭,カンヴァス 山口県立美術館蔵/《ダモイ》1959年 油彩・方解末・木炭,カンヴァス 山口県立美術館蔵
日常生活の中で、不意によみがえる記憶をそのたびに絵画化するというプロセスで描き継がれた兵役と抑留を主題とする作品は、次第に一つのまとまりを持つようになり「抑留生活もの」、「敗戦シリーズ」、「ソ連もの」などと呼ばれるようになりました。
《別》関連素描 1966年頃 山口県立美術館
1967年に刊行された画集『シベリヤ』とその出版記念展により、この時までに描きためた32点の作品を、自らが体験した順番に並び替え紹介することで、一群の絵画はシリーズとして提示。以降、シベリア・シリーズという呼称が定着しました。
60年代末ごろから、シベリア・シリーズの主題は自身の体験に近いものから、かつての自分が置かれた情景を遠くから眺めているように描かれたものへと変わっていきました。
(左から)《日本海》1972年/《青い太陽》1969年 いずれも、山口県立美術館 *シベリア・シリーズ
このころから、モノクロームを主体としていた香月の絵画世界に、少しずつ色彩が戻っていきます。
シベリア・シリーズでも《青の太陽》や《業火》など、青や赤が印象的な作品が描かれるようになりました。
こうした最晩年の香月の作品は、彼の新しい画風の展開を予感させるものでしたが、1974年3月に、故郷・三隅の自宅で香月は心筋梗塞により突然この世を去ります。
生誕110年 香月泰男展 展示風景より (写真右手前)《渚〈ナホトカ〉》1974年 山口県立美術館 *シベリア・シリーズ
急逝した香月のアトリエには、遺作となった最後のシベリア・シリーズである《渚〈ナホトカ〉》がイーゼルに掛けられたままでした。
自身のシベリア抑留の体験を描き、戦後の日本美術史に大きな影響を与えた香月泰男の画業を紹介する本展。
戦争が遠い記憶になりつつある今だからこそ、観てほしい展覧会だと思いました。
なお、本展は一部展示替えを行います。前期展示は3月6日(日)まで。後期展示は3月8日(火)からとなります。