PROMOTION
クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
スフマートでは、「つくる」「つたえる」という2つの視点をもとに、ミュージアムを支えるさまざまな人へのインタビューを隔週・前後編でお届けします。
今回お話をお聞きしたのは、菊池寛実記念 智美術館(以下、智美術館)の学芸員・足立 圭さんです。
菊池寛実記念 智美術館・足立 圭さん ※撮影時、マスクを外していただきました。
東京都港区虎ノ門のオフィスビルや、各国の大使館が立ち並ぶエリアに位置する智美術館。まさに都心の中心部ですが、館内に一歩入ると、驚くような別世界が広がっています。そして、同館は現代陶芸を紹介する都内で唯一の美術館でもあります。
前編では、智美術館が2003年にオープンするまでのお話や、創設者・菊池 智(とも)のこだわりがつまった空間についてお聞きしました。
──智美術館の成り立ちをお聞かせください。
当館の創設者は、菊池 智という女性です。智と陶芸との出会いは、第二次世界大戦の戦時中にさかのぼります。
実業家だった父・寛実(かんじつ)が、茨城県の高萩に炭鉱を開いていまして、そこで働く瀬戸の陶工たちのため、窯を作りました。
当時、まだ20歳を過ぎたばかりだった智は、土と炎から生まれてくる陶芸に、非常に感銘を受けて興味を持ったそうです。
──智美術館が建つこの土地は、寛実さんが晩年に拠点とされていた場所だそうですね。
はい。当館が建つ前、この土地には寛実が仕事の拠点とした日本家屋が建っていました。
一方そのころ智は、ホテルニューオータニ内に、現代陶芸を扱うギャラリーを開きます。さらに、ここの敷地内にあった菊池ゲストハウスという施設でも陶芸の展示を行い、新たな作家との出会いを重ねていきました。
そうした出会いの中で、彼らとその作品、またやきものが持つ魅力を、もっと多くの方に紹介したいという想いが高まっていきます。また、自身の現代陶芸コレクションも増えていたことから、美術館を建てることを構想し始めました。
しかし、寛実から家業を引き継いだ兄が突然の他界。美術館設立のタイミングと重なりながらも、智は兄の代わりに父から家業を引き継ぐこととなりました。
家業に取り組みつつ、美術館には理事長としてかかわるなど、智は非常に慌ただしく過ごしていたようです。
──家業を継ぎながら、美術館も! とてもパワフルな方ですね。「女性が造った美術館」という点も、智美術館は珍しいですね。
そうですね。自らコレクションをし、美術館をつくるところまで、全てを女性がひとりで行うというのは、珍しいことだと思います。
展覧会の展示準備では、理事長である智が作品の陳列などにも積極的に参加していました。当時、直接指導を受けていた学芸員の話では、智は非常に確固たる美意識を持ち、それを貫くためには労を惜しまない人だったそうです。
──作品を最高の状態で展示したい、という情熱が伝わってくるエピソードですね。館内の内装も、非常にこだわりが感じられます。
エントランスを入って正面の壁に設置しているのは、美術家の篠田 桃紅(しのだ とうこう)さんの作品です。
智と桃紅さんは長く交流がありまして、美術館のオープンにあたり、智が以前から所有していた本作を一番目立つエントランスに設置しました。
また、展示室のフロアへつながるらせん階段の壁面も同様に、智が所有していた桃紅さんの作品を飾っています。
設置の際は、桃紅さんがここにいらしてくださって、ご自身の構想のもと、経師屋(きょうじや*) の方に直接指示を出しながら行われました。
*経師屋:巻物、掛物、和本、屛風、ふすまなどの表装(ひょうそう:仕立て)をする職人のこと。
──らせん階段のガラスの手すりは、水が上から流れ落ちているようにも見えて、とても美しいですね。
このらせん階段の手すりは、ガラス作家の横山 尚人さんの作品です。本作の制作にあたり、横山さんはこの空間と調和させる表現をとても考えたと聞いています。色彩豊かな作品で知られる横山さんが、ここでは色のない透明なガラスを用いたことも、こうした熟考の結果だったのだと思います。
──まさに、智さんの美意識やこだわりから生まれた空間ですね。
設計は坂倉建築研究所に、施工は清水建設と水澤工務店が携わっています。
※展示は撮影当時のもの
また空間デザインは、スミソニアン自然史博物館で智が自身のコレクションを展示した「Japanese Ceramics Today-Master Works from the Kikuchi Collection」の際に出会った、デザイナー・リチャード・モリナロリさんに依頼しています。
──2003年の開館時から、ずっとこの展示デザインなのでしょうか。
はい。また、展示台には和紙を使っていますが、手掛けた業者の方はすでに廃業されてしまったので、丁寧にメンテナンスをしながら使い続けています。
現在の展示室は、開館から6年後の2009年10月、色絵磁器の人間国宝である、藤本 能道(ふじもと よしみち)さんの展覧会のため、再びモリナロリさんをお呼びし、新たにしつらえました。
山と川をイメージし緑を基調とした部屋と、生命の躍動を表現した赤の部屋で構成され、静と動が表されています。
※展示は撮影当時のもの
──お話を伺っていると、空間そのものが貴重な作品のようです。足立さんご自身が気に入っているところはありますか。
展示準備中、手に持てる作品であれば、ここかな、こっちかな、と置いては移動し、置いては移動・・・と、パズルのように準備をしています。
中央にあるS字型の展示台は、平面の図面だけでは分かりにくい、複数の高低差がありますし、展示台の位置や天井から掛かる布は動かせません。
そのため、実際に作品を置いて冷静に眺めながら、より美しく見える場所、ぴったり合う場所を探します。1日かけて並べた後、休憩をはさんで改めて見て、再び場所を入れ替えることもありますね。
また、企画展担当の学芸員だけではなく、他の学芸員も一緒に展示作業を行い、みんなで確認しつつ、作品とじっくりと向き合いながら準備をしています。
──現代陶芸、現代作家の作品を扱われていると、展示室をご覧になった作家ご本人が、展示位置を変えてほしい、とリクエストされることもありそうですね。
そうですね。図面の段階から、明確なイメージをお持ちの作家さんもいますし、逆に、館にお任せします、という方もいらっしゃいます。
作品のことをもっとも理解しているのは、作者である先生方ご自身だと思います。しかし一方で、少し特殊な空間であるこの展示室を理解しつつ、客観的に作品の魅力を知る存在として、私たち学芸員が責任を持たなければならない部分もあると思います。結果的に「この美術館で展示できて良かった」とおっしゃっていただけるような展示につながれば、学芸員冥利に尽きる、というところでしょうか。
火と土から生まれる陶芸の世界に心動かされ、ギャラリスト、そして美術館の設立へと駆け抜けた、創設者・菊池智さん。その情熱とエピソードには、終始驚いてしまいました。
ご紹介したエントランスやらせん階段、展示室は、ぜひ現地へ足を運んで直接ご覧いただきたい、まさに“作品”です。
また、ホスピタリティの行き届いた館内はバリアフリーで、未就学児童は入館無料。どなたにも気軽に、やきものの世界を楽しんでほしい、という館の想いが伝わってきますね。
後編では、足立さんのこれまでの経歴や、2年に1回の公募展「菊池ビエンナーレ」についてお話を伺います。
どうぞお楽しみに!