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2024年11月1日
特別展 生誕150年記念 板谷波山の陶芸/泉屋博古館東京
近代陶芸の巨匠・板谷波山(いたやはざん)が2022年に生誕150周年を迎えたことを記念する展覧会が、泉屋博古館東京にて開催中です。
板谷波山《元禄美人》1894(明治27)年 東京藝術大学
本展は波山の故郷でもある茨城県のしもだて美術館・板谷波山記念館・廣澤美術館の同時開催を皮切りに、石川県立美術館、京都の泉屋博古館を巡回。泉屋博古館東京の展示からは、波山の卒業制作の木彫《元禄美人》が新たに出品されることにも注目です。
端正で格調高く、優美な至高の陶芸約130件を展示し、観る人を波山ワールドへと誘います。
板谷波山は1872年に茨城県下館町(現・筑西市)で生まれ、明治22年に上京して東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。岡倉天心や高村光雲に師事し、彫刻を学び始めました。
(左から)板谷波山《鳩杖》1933-51(昭和8-26)年頃 板谷波山記念館蔵/板谷波山《観音聖像》昭和10-30年代 板谷波山記念館蔵
その後、東京で陶芸家として活躍した波山。やがて陶磁器を芸術の域まで高め、「陶聖」と謳われました。
そのような経歴から品格の高い人物として知られる波山ですが、優しく思いやりに溢れる一面も持ち合わせていたといいます。
板谷波山《椿文茶盌》1963(昭和38)年 筑西市(神林コレクション)蔵
陶芸家として知られる波山には、「図案家」「彫刻家」の側面もありました。
陶芸という言葉が生まれる前、陶磁器は職人たちの分業による生産体制が一般的でした。図案を自ら考える所から仕上げまで手がける「陶芸家」の先駆者であった波山は、庭でよく植物のスケッチをしていたそうです。
上っ張り作業着を着て陶芸を作っていた板谷波山
また、波山は彫刻家がよく着る作業着をいつも着ていました。陶芸よりも先に彫刻を学んだ彼にとって、陶芸は彫刻と地続きにあったのかもしれません。
板谷波山《ひきがえる》1893(明治26)年 板谷波山記念館蔵
本展では貴重な彫刻作品を展示し、波山の彫刻技術についても取り上げていることが特徴です。
(左から)板谷波山《彩磁芭蕉蛙文花瓶》1898-1903(明治31-36)年頃 板谷波山記念館蔵/板谷波山《海水着少女像》1903(明治36)年頃 茨城県陶芸美術館蔵/板谷波山《少年・少女像》1898-1903(明治31-36)年頃 石川県立工業高等学校蔵
泉屋博古館東京のコレクションを築いた住友家15代当主・住友春翠(すみともしゅんすい)は波山芸術を愛した人物だったと言います。
板谷波山《葆光彩磁珍果文花瓶》1917(大正6)年 泉屋博古館東京蔵
重要文化財《葆光彩磁珍果文花瓶》は、春翠が購入したことで現在は泉屋博古館東京の貴重な所蔵品となりました。
本展は全4章で構成され、波山のあゆみを紹介しています。
波山の作品は、それまで作られていた陶磁器と大きく異なります。
明治時代までの陶磁器は登り窯など窯を共同で使用することが一般的でした。一方で波山は個人作家として初めてレンガ窯を自分で用意し、焼成まで自ら手がけました。
板谷波山《葆光彩磁草花文花瓶》1925(大正14)年 個人蔵
まさに陶芸界の“革新者”と言える所業。しかしながら当時のレンガ窯で理想の器を焼成することは大変難しく、完成品が売れても歩留まりの悪さが難点。波山は生涯にわたって貧困の中にありました。
(左から)板谷波山《太白磁紫陽花彫嵌文花瓶》1916(大正5)年頃 廣澤美術館蔵/板谷波山《彩磁蕗葉文大花瓶》1911(明治44)年頃 廣澤美術館蔵/板谷波山《葆光彩磁牡丹文様花瓶》1922(大正11)年 東京国立近代美術館蔵
19世紀後期に欧米でジャポニスム・ブームが終焉を迎えてから、国内の陶磁器輸出は衰退の一途を辿りました。陶磁器輸出の業者たちが苦境に立たされる中、波山はアール・ヌーヴォーに注目し新たな地平を切り開こうと試みたのです。
欧米のアール・ヌーヴォーに東洋の伝統的な技法や美意識を融合させた波山の功績も、本展では詳しく紹介しています。
(左から)板谷波山《帆立貝花瓶》明治末期〜大正前期 板谷波山記念館蔵/板谷波山《蝶貝形平皿》1916(大正5)年頃 筑西市(神林コレクション)蔵/板谷波山《彩磁銀杏散文花瓶》明治40年代 個人蔵/板谷波山《彩磁金魚文花瓶》1911(明治44)年頃 筑西市(神林コレクション)蔵/初代宮川香山《菊花形藤花図壺》1906(明治39)年頃 泉屋博古館東京蔵
板谷波山《碧磁竹葉花瓶》大正前期 個人蔵
板谷波山《氷華彩磁唐花文花瓶》1929年(昭和4)年 東京国立近代美術館蔵
波山の陶磁器は、気品のあるマットな質感やパステルカラーのような色合いが特徴的です。これらは「釉下彩(ゆうかさい)」や「葆光彩(ほこうさい)」などの釉薬研究から生み出された効果。波山の代名詞とも言えるものです。
(左から)板谷波山《葆光白磁菊香炉[火舎 北原千鹿]》昭和前期 廣澤美術館蔵/板谷波山《白磁菊文香炉》昭和前期 個人蔵
釉下彩とは釉薬の下に絵付けをすること。葆光彩は、マットな釉薬を使うことで器全体にベールをかけたように神秘的な印象を生み出します。
(左から)板谷波山《彩磁延寿文花瓶》1936(昭和11)年 出光美術館蔵/板谷波山《彩磁延壽文花瓶》1936(昭和11)年頃 茨城県陶芸美術館蔵
波山は皇室や財界人の仕事を多く請け負っていました。昭和9年に帝室技芸員に任命され、昭和28年に陶芸家として初めて文化勲章を受章したことも含め、権力者をも魅了した陶芸家だと言えます。
輸出品のように量産することよりも、唯一無二の逸品を生み出すことを重視していた波山の仕事。こだわり抜いた分だけ失敗作も多く、完成しなかった作品の破片が無数にあります。
試行錯誤の末に打ち捨てられた無数の陶片
小さく粗末な工房で生まれる、品格と優雅さに満ちた美しいもの。そして美を生み出し続けた波山の足跡には、散らばる無数の失敗作の欠片。
美しいものが生まれるまでの営みが手に取るようにわかり、心が清らかになるような展覧会でした。
東京展終了後は、最終会場となる茨城県陶芸美術館へ巡回します。波山芸術の粋を集めた展覧会、ぜひ会場でお楽しみください。
「缶入り飴」1,000円
また、本展では展覧会限定のグッズが豊富です。ミュージアムショップもお見逃しなく。
初代宮川香山《色絵犬張子香合》1910(明治43)年 泉屋博古館東京蔵 ※特別出品
本展のチケットを「5組10名様」にプレゼント!
〆切は2022年11月30日まで。
※当選は発送をもって代えさせていただきます。