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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
くらし、えがく。 ちひろのアトリエ/ちひろ美術館・東京
子どものための本を中心に、新聞や雑誌などさまざまな印刷メディアの絵を描いた画家、いわさきちひろ(1918-1974)。
ちひろ美術館・東京では、現在「くらし、えがく。ちひろのアトリエ」が開催中です。
展示風景
本展では、画家としての出発点となった神田の下宿や練馬の自宅、信州の黒姫高原に建てた黒姫山荘など、それぞれのアトリエで描かれた作品をちひろのことばとともに紹介。さらに幻の熱川のアトリエ設計に関する資料を初公開します。
1945年5月の東京山の手の空襲で、中野の自宅を焼け出されたちひろと家族は、信州の疎開先で終戦を迎えました。
その後、彼女は自立して生きること考えて単身で上京し、神田の叔母の家の屋根裏部屋を間借りして働きながら絵の勉強を始めます。
(上段:左から)いわさきちひろ《飲食店の並ぶ路地》1948年/いわさきちひろ《屋根裏部屋のアトリエで本を読む自画像》1947年頃
(下段:左から)いわさきちひろ《外食券食堂》1948年3月29日/いわさきちひろ《顔をおおう自画像(屋根裏のアトリエにて)》1947年頃
絵本画家としてのちひろの仕事は広く知られていますが、本展では身近な人物や自身をモデルにしたデッサンや、新聞の連載小説の挿絵など展示し、画家としての出発点を紹介しています。
「北望園の春」1948年 新聞「中華日報」 東京中華日報社
私たちがよく知る繊細な水彩のかわいらしい少年少女の作品とは異なるタッチにも注目です。
1950年に7歳半年下の松本善明と結婚し、翌年に息子の猛を生んだちひろ。しかし、狭い神田の下宿先での育児と仕事の両立は厳しく、ちひろは息子を信州に住む両親に預けざる得なくなりました。
撮影:中川敦玲
早く家族3人で暮らしたいと考えたちひろは懸命に働き、1952年に練馬区下石神井に小さな家を建てます。その跡地に建っているのがちひろ美術館・東京です。
ちひろ美術館・東京の復元アトリエ
同館には、ちひろが亡くなる2年前の1972年のアトリエがそのまま復元されています。このアトリエでは、さまざまな作品が生み出されました。
展示風景
そんなアトリエで生まれた作品の中でも注目の展示は、こちらの紙芝居の原画です。
1950年から60年にかけて出版されたこれらの紙芝居は、戦後の印刷技術の過渡期にあたり、写真製版ではなく職人が原画を写し取って版をつくる「描き版」で印刷されました。
展示風景
本展では原画と一緒に完成された紙芝居も展示。それぞれの画面を見比べてみると、当時の描き版の技術ではちひろの水彩の繊細な色合いやにじみは上手く表現できなかったことがうかがえます。
また、原画の方もじっくり観察してみると、絵にうっすらと職人が絵をなぞった跡もみることができますよ◎
(左から)いわさきちひろ《あまやどり》1958年/いわさきちひろ《はないちもんめ》1958年
子を愛する母親の視点から描かれたちひろの絵は、多くの母親たちの共感を呼びました。次第に子どもを描ける画家として評判が高まり、「童画家」とも呼ばれるようになります。
1966年、ちひろは信州北端の黒姫高原に児童文化の関係者らとともに土地を購入し、もうひとつのアトリエである黒姫山荘を建てました。
ちひろの黒姫山荘内部再現(制作:ギャラリー エークワッド)。《椅子》1972年頃 仲谷(川井)利理蔵
黒姫山荘の設計は、気鋭の女性建築家であった奥村まこと(1930-2016)が担当。奥村からちひろへの細かい心遣いが感じられる手紙や、ちひろの好みを活かして設計された黒姫山荘の図面も紹介されています。
展示風景
東京での多忙なくらしを送るちひろにとって豊かな自然に囲まれた黒姫山荘は、日常の雑事から離れて絵に集中できる場所であったといいます。
(左)いわさきちひろ 秋草のあいだからのぞく子ども『花の童話集』(童心社)より1969年
(右)いわさきちひろ いちょうの実『花の童話集』(童心社)より 1969年
若い頃から愛読していた宮沢賢治の童話6編を収めた絵本『花の童話集』(童心社)の原画のほか、仕事の合間に散歩して描いたスケッチなど、彼女が愛した黒姫の地で描かれた作品も展示します。
展示風景
ちひろは奥村が設計した伊豆・熱川のアトリエの完成を見ることもなく、肝臓ガンにより55歳の若さでこの世を去りました。このアトリエはすでに病魔に侵されていたちひろを思い、家族が建築を考えたものだといいます。
ちひろも設計に関わり、絵を描きやすいようにさまざまな工夫が施された熱川のアトリエは豊かな自然に囲まれており、今でもちひろの帰りを待つかのようにひっそりと建っています。
いわさきちひろから奥村まことや後藤(旧姓:和田)京子に宛てられた葉書 1973年
本展では、使われることのなかったアトリエの図面を展示。さらに、設計に関わった奥村まことや、同じ事務所の所員であっ
神田の下宿から練馬のアトリエ、さらに自然豊かな黒姫の地に建ったアトリエで描かれた作品から、いわさきちひろの暮らしと仕事の全貌を辿る本展。
(手前)赤い毛糸帽の女の子『ゆきのひのたんじょうび』(至光社)より 1972年
展示の最後では、絵本『ゆきのひのたんじょうび』(至光社)など、ちひろの画業の中でもっとも充実した1年である1972年に描かれた作品も、彼女のことばとともに紹介しています。
戦後まもない日本で、子どもの本の画家として道を拓いたちひろの人生の軌跡や人物像に迫る展覧会でした。
本展のチケットを「5組10名様」にプレゼント!
〆切は2022年12月4日まで。
※当選は発送をもって代えさせていただきます。