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クロード・モネの世界にひたる。日本初公開作品を含む〈睡蓮〉などを堪能【国立西洋美術館】
2024年11月1日
「10分でわかるアート」は、世界中の有名な美術家たちや、美術用語などを分かりやすく紹介する連載コラムです。
作家たちのクスっと笑えてしまうエピソードや、なるほど!と、思わず人に話したくなってしまうちょっとした知識など。さまざまな切り口で、有名な作家について分かりやすく簡単に知ってもらうことを目的としています。
今回は、19世紀末にポスター作家として名を馳せたフランスの画家「アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック」について、詳しくご紹介。
「この作品を作った作家についてもう少し知りたい!」「美術用語が難しくてわからない・・・」そんな方のヒントになれば幸いです。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、1864年に南フランスの歴史ある貴族の家に生まれます。
幼少期から虚弱体質で、10代の頃に二度の骨折を経験しました。
その影響で、身長は約152cmしかなかったそうです。
絵画にも幼いころから才能を示しており、1882年にはパリに出てレオン・ボナらの画塾で学びます。
その頃に、ヴィンセント・ファン・ゴッホとの親交を深めました。
ヴィンセント・ファン・ゴッホについて詳しく知りたい方はこちら▼
1884年以降はパリのモンマントルという場所に自身のアトリエを構え、歓楽街の華やかな情景を描いた作品を多く制作しました。
そしてロートレックは、20世紀におけるポスター芸術の出発点となるような作品も残しています。
頭部が過敏だったため、室内でもよく帽子をかぶっていたのだそう。
1890年代には画家として黄金期を迎えますが、長年の飲酒や奔放すぎる生活がたたり、37歳の若さでこの世を去りました。
なお、「ディヴァン・ジャポネ」とは「日本の長椅子」という意味。
1880年ごろのフランスでは、パリ万国博覧会の影響で日本文化への関心が高まっていました。
ロートレック自身も多数の浮世絵を蒐集していたのだそう。
構図や色彩などに、どこか浮世絵の面影を感じますね。
中央の黒いドレスの女性は、人気の踊り子ジャヌ・アヴリルです。
彼女はロートレックの親友でもありました。
しかし、報酬が印刷実費に相当する金額のみだったことに腹を立て、手抜きでデザインを作成したものだそう。
それがかえってポスターへの注目を促すこととなり、結果的に大成功をおさめました。
大胆ですっきりとした色彩や構図が、伝説的な歌手アリスティド・ブリュアンの迫力を際立たせています。
「ムーラン・ルージュ」は1889年に開店したキャバレーです。
その華やかな雰囲気に多くの人が魅了され、ロートレック自身も常連客でした。
腰に手を当てているシルクハットの男性はムーラン・ルージュの名物ダンサー。
その隣でドレスをひるがえしている女性に、ダンスを教えているようすを描いています。
ロートレックの作品は三菱一号館美術館が多く所蔵しています。
大貴族の家に生まれたロートレックは、「小さな宝石」と呼ばれ、可愛がられて育ちました。
幼少のころは乗馬や狩猟などをたしなみ、貴族的な生活を送っていました。
骨折後は絵に専念するようになったロートレック。
動物好きなのもあって馬やサーカスを主題とした作品を描いていました。
パリに出てからは、バーやパブに通い詰めるようになります。
ロートレックはお酒が大好きで、常にお酒を持ち歩いていたそうです。
アルコールへの依存は、足の痛みや身体的障害への蔑みから逃避するためでもあったのでしょう。
きらびやかな夜の街に足しげく通うロートレック。25歳のときに、「ムーラン・ルージュ」の支配人から広告用のポスター制作を依頼されます。
これをきっかけに、ロートレックの名声が高まりました。ロートレックが手掛けたポスターの店や描かれたダンサー・歌手らも次々に人気を博しました。
ロートレックはポスターを「芸術」の域まで高めたといえます。
ロートレックは娼館にもよく足を運んでいました。
ロートレック自身は貴族出身なこともあって、経済的な不自由はありませんでした。
しかし、身体的な障害からいびつな体型をしており、差別や嘲笑を受けることもありました。
そんなロートレックにとって、娼館は周囲から差別や嘲笑を受けない安堵できる場所だったのでしょう。
ロートレックが抱える生きづらさや孤独感は、娼婦たちと通ずるものがあったのかもしれません。
晩年は娼館内にアトリエをつくり、娼婦たちの日常をかなり赤裸々に、見たままを描くようになります。
ロートレックは陽気でひょうきんな性格をしていたこともあって、娼婦たちもロートレックには心を許して接していました。
毎日を必死に強く生きる娼婦たちの「生きざま」を描き続けたのです。
パリのきらびやかな歓楽街の情景を粋に描いたロートレック。
ローレックの作品が浮世絵などの日本美術の影響を受けていたのが意外で、それと同時に親近感がわきました。
ロートレックは、「パリの浮世絵師」と言っても過言ではありませんね。
ロートレックの鋭い観察眼と的確かつ迅速な画力により生み出された作品は、今に生きる人びとを魅了し続けています。
参考文献
・『ロートレックー世紀末の闇を照らす』クレール・フレーシュ/ジョゼ・フレーシュ著 創元社 2007年3月10日
・『ロートレックーその作品と生涯ー』アンドレ・フェルミジュ著 ㈱美術公論社 1981年11月22日