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2024年11月1日
戦後デザイン運動の原点/川崎市岡本太郎美術館
日本の戦後デザイン運動の先駆けとして知られる「国際デザインコミッティー」(現・日本デザインコミッティ-)。
その活動と創立メンバーたちの交流に焦点をあてた展覧会が、川崎市岡本太郎美術館で開催中です。
展示風景
芸術家・岡本太郎も国際デザインコミッティーの創立メンバーのひとりでした。
既存の概念にとらわれない考え方をするメンバーとともに、日本を代表するデザイン・プロダクトを次々に打ち出していきます。
本記事では、展示の見どころを紹介します。
※展覧会情報はこちら
国際デザインコミッティーが生まれたのは、戦後の復興からまもない1950年代の東京。
人びとの暮らしのなかに、だんだんと家具や道具のデザインへの意識が少しずつ広がりはじめるなかで、国際交流やデザインを広めることを目的に創立されました。
きっかけは、1953年にイタリアから届いた「第10回ミラノ・トリエンナーレ」への招待状です。
展示風景
これに応えるために集まったのが、建築家の丹下健三や吉阪隆正、清家清、デザイナーの剣持勇、柳宗理、渡辺力、亀倉雄策、評論家の勝見勝、浜口隆一、瀧口修造、写真家の石元泰博、そして芸術家の岡本太郎でした。
結局第10回ミラノ・トリエンナーレへの参加は見送りとなりますが(第11回に参加となった)、デザインを通して国際交流や普及をするために立ち上がったのが、当時をリードする多彩な人びとだったのです。
創立後、彼らの活動の軸となっていったのは、東京銀座の百貨店・松屋の一画に設けられた売場「グッドデザインコーナー」に置くための商品選定と、併設されていた「デザインギャラリー」、そして催事場で行われた展覧会を通じてデザインを広めることでした。
本展では、グッドデザインコーナーに選定されたプロダクトが多数展示されます。
今でこそよく知られる“グッドデザイン”ですが、一般にはまだ知られていない時代。諸外国からは日本のデザイン盗用問題の指摘が相次いでおり、デザインに対する意識の底上げを必要とする時代でもありました。
百貨店という身近な場での展示は評判も良く、1957年には通産省のGマーク「グッドデザイン商品選定制度」が制定されたことにより、人びとのデザインに対する考え方は急速に変化していきます。
展示風景
展示室には、“グッドデザイン”に選定されたプロダクトが並びます。
柳宗理《バタフライスツール》や剣持勇《スタッキングスツール》など、ロングセラーとなったものばかりです。良いものは時代を超えて愛されるということでしょうか。
松屋の売り場の存在が徐々に知られていくと、グッドデザイン選定を目指すデザイナーやメーカーが増えましたが、白山陶器のデザイナーだった森正洋《G型しょうゆさし》は試作を何度も出品し、メンバーの指摘に何度も改良されたものです。
展示風景
デザイナーとデザインコミッティーの共同制作ともいえるプロダクトでもあります。
良いプロダクトを作ることで、人びとの意識を変え、愛される日本のデザインも作り上げた、メンバーの活動の軌跡を間近でぜひご覧ください。
コミッティーのメンバーが企画を行う「デザインギャラリー」の展示のうち、第1回「わたしの好きなデザイン」展(1964年)と、イサム・ノグチを取り上げた第4回「あかり」展(1964年)、石元泰博の写真展となった第24回「桂」展(1966年)に注目し、部分的な再現展示も行います。
展示風景
〈あかり〉は、言わずと知れたイサム・ノグチの名シリーズです。アメリカの日系彫刻家であるイサム・ノグチが初来日したとき、岐阜提灯の美しさ、手仕事の味わいに魅力を感じて作られたプロダクトで、当時はかなりの評判だったそう。
現代でも岐阜でつくられ、世界各国に輸出されています。
竹に和紙という、いかにも和風な照明器具に感じますが、世界のさまざまな生活様式に溶け込む、柔軟性を持ったデザインです。
このデザインのすごさについて、メンバーでもあり評論家の浜口隆一は感心したそうです。
日本のデザインの地位を確立し、デザインを通じた国際交流と普及を目的に奔走した国際デザインコミッティー。
活動以前のメンバーの交流や、貴重な資料など、盛りだくさんな内容となっています。
なお、本展会場に設置された一部の椅子は、自由に座ることができます!(座れないものもありますので、係員の指示に従ってください)
プロダクトのすばらしさを目で見て、そして体感してみてはいかがでしょうか?
開催期間等、変更になる場合がございます。最新の情報は当館ホームページにてお知らせいたします。